死の至てちかくあやふきこと脚下にあり
今年は畑係になり、生命の営みをより強く実感することが多かったです。なんの知識も持ち合わせていない素人の私が、先輩に教えてもらったことやその場で調べた情報を頼りになんとか手探りでやってみたというレベルで、作物たちには申し訳なかったのですが、作物はしっかりと成長してくれました。毎日、作物自身の生命力の強大さに驚かされていました。
そしてそれと同じかそれ以外に生命の死に対する意識も強くなりました。自分たちで蒔いた種が発芽してから、株間を確保してさらなる成長のために間引きをする際は自らの手で生命を選別して摘み取っていることを自覚しました。また、成長途中の野菜を食べるために虫が寄ってきたため、素手で捕まえて水を入れたペットボトルの中に入れたり、畑の外に放り投げたこともありました。虫も生命の営みとして野菜を食べていただけであるのに、まさかそんなことをされるとは思っていなかったでしょう。
そういったことを目の当たりにして内山老師の書いている生命の実物とはこれかとか、仏性とはこういうことなのかと少しわかったような気になっていましたが、まだまだ自分自身のこととして実感はできていませんでした。
ある日、そんな考え事をしながらトラックを運転してしまっていたのでしょう。荷物を受け取りに安泰寺から山を下っているときに崖から転落してしまいました。その当時の記憶は曖昧ですが、トラックが川に逆さまに転落していたそうです。どうやって運転席から出たのか、歩いて安泰寺まで上がり救急車を呼んでいただけました。幸いにも怪我は鎖骨と胸椎の骨折、頭と手を十数針縫う程度で済みました。おそらく私は転落した直後に生命の実物になっていたのではないでしょうか。虫が命の危機を感じ、力一杯もがいていたのと同じように、私も西原昌文としてラベリングされる前のただの生命としての活動を純粋に行なっていたのだと思います。スマホを置き去りにしていたことやメガネが壊れどこかへいっていたことなどその時は全く忘れ、一心不乱に歩いていたことを考えると、今の私にはあれが自己ぎりの自己だったのかと感じてしまいます。
振り返ってみるとそのような極限状態の時にしか身をも心をも放ち忘れられていないようです。昨年の文集にも書いたような、五日接心で疲れや痛みがピークに達している時、典座で次から次にタスクが舞い込んでくる時なども極限状態にあったといえます。
では、極限状態に追い込まれなければ生命の実物として活き活きとはたらくことはできないのでしょうか?ついつい盗人根性をだして疎怠緩慢になってしまう私はどうしたら極限状態が特別な一時の状態でなくなるのでしょうか?
この疑問を持ちながら臘八接心のときに考えたのは、現実と向き合うこととは自分がしていただいていること、それに対してお返ししていること、迷惑をかけていることの3つがどれくらいあるのか考える内観をすることがその生命の実物を呼び起こしてくれるのではないかというものです。農作業の知識がなかったり、事故を起こしたりする迷惑をかけっぱなしな私が、毎日おいしい食事をいただけていますし、安泰寺に安居している皆さんに助けられてばかりです。お返しできていることなんて何も思いつきません。そんな現実が突きつけられると、次は何をしようか、何をすべきかと考え始め活き活きとはたらける気がしています。



