写真で見る安泰寺
[expand title="FAQ: 写真で見る安泰寺と現実の安泰寺はどうしてこんなに違うのか"]ホームページを読んでいると、安泰寺の坐禅や作務(重労働)の差定が結構厳しそうという方もおられると思います。なのに、この写真で安泰寺をみると、皆遊んでいるのはどうしたことでしょうか。
まず、これらの写真は休み時間で撮られたものばかりですから、遊んでいるには決まっています。接心三昧や作務地獄の時は、カメラを持ち歩くようなヤツはおりません。パーティタイムやのんびりした放参(休日)の午後などがカメラの出番です。ですから、「座蒲上に死ぬ」とか、「作務は重労働」だとかいっても、自然の中で遊ぶ時間だってあります。
しかしながら、これらの写真に写られていない場面も当然あります。ただ、修行がキツいときこそ、写真を撮る余裕などありません。また、「キツイ」というのも、我々が毎日生きている生活、日々の坐禅と作務そのものよりも、その生活の中でなかなか落ち着かない我々の心が「キツイ」とぐずっているだけ、ということは多いような気がします。我々の心は現実をありのままに受け入れようとせず、いつももっといいもの、もっと幸せな生活、もっと大きな満足感を追い求めています。ですから、これらの写真も、実際にここで生活している人よりも、安泰寺を画面でしか知らない人にとって、優雅に見えるかもしれません。ここで生活している人にとっては、安泰寺はもうはや現実であり、遠い夢ではありません。
これから安泰寺に行こうと思っている方も、実際に安泰寺に来られた時に若干失望するかもしれません。それは写真の見たときに頭の中で想像「安泰寺」と、現実ここにある安泰寺が違うからです。イメージと現実は違います。安泰寺は「想像」ではなく、時たま我々の夢や想像をも否定してしまう現実です。この現実をいかに創造すべきか、は我々に与えられた課題です。[/expand]
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