安泰寺

A N T A I J I

正しい坐り方 8「いつ、何を食べるか」

(大人の修行 その28)


 ドイツでは食事について「朝は騎士のように、昼は王様のように、夜は乞食のように」ということわざがあります。要するに、これから仕事をしようとする時の朝ご飯と、仕事中の一休みである昼ご飯だけはしっかり食べなさい、という意味です。仕事が終わって、この後、寝るだけだという晩ご飯は逆に控え目に取りなさい、と。私の育った家庭では昼食だけ温かいご飯が出て、朝と晩はもっぱらパン食でしたが、一般のドイツの家庭も似たようなものだと思います。夜よりむしろ昼に食べるのです。日本人は逆に夕ご飯を重んじているようです。朝は何も食べずに、昼も簡単なお弁当で済ましている人は少なくないと思います。そうするとどうしても仕事が終わった後、寝る前に食事をたくさん摂ることになってしまいます。安泰寺の接心でも、過去に朝ご飯だけ控えて坐っていた雲水が何人かいました。彼らに言わせれば、朝ご飯を食べなければ、頭がスッキリし、あまり居眠りをしないそうです。ところが、昼に天麩羅うどんが目の前に現れてきますと食欲は押さえきれず、食べるだけ食べて、午後の坐禅はぐっすり眠ってしまいます。個人差や文化の違いこそあれ、昼を過ぎてからたくさん食べだすというのは、私には不健康かつ不経済的に思えてなりません。やはり寝る前ではなく、これから仕事にかかろうとするときに栄養を摂るべきではないでしょうか。仏教の伝統においても、昼過ぎに食事を摂るのは本来、禁じられています。禅寺の夕ご飯を「薬石」と呼んでいるのもそのためです。本来、昼過ぎの食事はないはずですから、「食事」と言わず「薬」と呼んでいるわけです。道元禅師の典座教訓の中では「薬石」の話は一切出てこず、昼食の後片づけが終わったら、典座は早速次の朝の食事の準備にかかります。ただし、同じ「永平清規」の中の「衆寮に於いて喫湯す」という文について、沢木老師はこの「湯」は「米湯」という極く軽いお粥ではなかったかと推測されています。つまり、朝や昼の食事の残りをお湯で溶かして休み時間に飲んでいたということです。そうなれば、なるほど「食事」というよりも「薬」程度です。その「薬」はいつの間にかおじやになり、そしていつの間にか朝ご飯(お粥に梅干し)よりも立派なご飯になってしまったわけです。

 それでも、「薬石」は「薬石」と呼ばれ続けていますし、朝や昼のように誦経をしながらいただくということもしません。中身はちゃんとしたご飯でも、建前では食事ではないのですから、略式で食べるのです。しかし、いわゆる認可僧堂(お坊さんになるための専門学校のようなもの)の雲水が本当に食べ出すのは、夜9時の「開枕」以降ではないでしょうか。この時間では電気を消して寝るか、一人で坐禅をするのが本来なのですが、多くの僧堂ではこの時間が「余暇」として解釈され、雲水の唯一の自由時間になります。そして、日中いちおう形通りの修行をこなしている若いお寺の息子達は長い一日のストレスを発散するため、夜な夜な好きな酒や肉を飲食します。そうなりますと、応量器で僧堂で食べる3度の食事(無論、精進料理です)は単なる芝居に過ぎません。そうではなく、生活そのものを修行と心得た場合、「いつ、何を食べるか」というのが大きな課題になります。

 最初に安泰寺を訪れる参禅者の多くは、ここでは普段の食事に精進料理以外のものも出るということにびっくりします。かの私自身もそうでした。子供の頃から肉は苦手で、お坊さんになるまではずっと菜食主義でした(が、乳製品と卵は平気でした)。ただ幼い時、親に「この子は噛むのが億劫なだけだ」と言われ肉を無理矢理食べさせられたことはよくありました。 それはともかく、お坊さんになれば当然ながら肉も魚も食べずに済むと思っていたら、大違いでした。雲水が精進料理にこだわらないばかりか、菜食主義者の私にも肉や魚を進めてきます。彼らは肉や魚を目の前に、しかめっ面をした私に向かって「好き嫌いを言わずに、出された物をすべてありがたくいただくのが雲水。殺すなかれというのではなく、せっかく食卓に出た肉・魚をどう生かすかという問題だ」と諭したものです。当時はひねくれた屁理屈にしか聞こえなかった論理なのですが、「群を抜いて益なし」という道元禅では皆に従ってゆくしかありませんでした。そして今では当然、自分の主義を通すよりも、お布施としていただいた肉類をその施主が喜ぶように美味しくいただいた方がよいと思っています。実際にこの15年間の間、乳製品をほとんど摂らなくなったせいか、肉を美味しく食べられるようになりました。とは言っても、安泰寺の食卓に並ぶ90%以上の物は寺の田畑で採れた玄米や野菜ですから、肉や魚が出ることは滅多にありません。生臭いものと言えば、本だしと自家製の卵です。一切の修行生活がそうであるように、食べることに関しても大事なのは特定な食事療法へのこだわりではなく、道元禅師のいう「柔軟心(にゅうなんしん)」です。少なくとも私自身にとって、菜食主義を通そうと思えば簡単ですが、自分の頭を柔らかくすることはなかなか大変なことです。

 「柔軟心」とはつまり今年の4月号から問題にしている「忍辱の婆羅蜜」の実践です。かといって、何を食べてもいいというわけではありません。「食べること=生きること」とまで言わなくても、食べることが自分の生活におよぼす影響は非常に大きいというのは確かです。坐禅にしても、辛いものを食べた後の坐禅と、甘い物を食べた後の坐禅と、酸っぱいもの食べた後の坐禅の中身は、それぞれ違うと言うことは実際にやってみればすぐ分かるはずです。坐禅が変わるだけではなく、自分自身が食べ物・食べ方によって変わります。道元禅師が食事の仕方を何よりも大事にされている理由の一つもここにあると思います。出された物をすべてありがたくいただく(「比丘の口は竈のごとし」・・・典座教訓)というのが雲水の食事の基本であれば、食卓に食べ物を出す典座の責任も重くなります。なぜなら食事の内容によって、皆の修行の内容も変わってくるからです。道元禅師が宋の中国で体験された話が書かれている「宝鏡記」では、如浄禅師は「五辛を食ふべからず、肉を食ふべからず、多く乳並びに蜜等を食ふべからず、飲酒すべからず、諸の不浄食を食ふべからず、諸の生硬物を食ふべからず、久損せる山茶、及び風病薬を喫すべからず、諸の椹を喫することなかれ、多く乳並びに蘇蜜等を喫することなかれ、扇ダ・半荼迦等の類に親厚することなかれ、多く梅干し及び乾栗を喫することなかれ、多く龍眼・茘枝・橄欖を喫することなかれ、多く沙糖・霜糖を喫することなかれ、兵軍の食を喫することなかれ」と、非常に事細かな注意を施されています。そもそも「精進料理」というのはただ「肉や魚を頂戴しない」という意味ではなく、その他にもタマネギやニンニクのような、妄想を起こすような野菜も使わないのです。

 先も述べました通り、安泰寺では肉や魚の場合でも、お布施としていただいたものはすべて調理して食卓に出されています。若い西洋人に多い菜食主義者達を除けば、日頃野菜ばかり食べている雲水達はこれら「生臭いもの」を文句言わず頂戴しているというより、ご馳走としてむしろ喜んでいます。そのせいか、典座が接心のためにこうした皆に喜ばれる物をとっておくことがあります。接心中は朝から晩まで眠気と足の痛さとの戦いですから、食事ぐらいは美味しい物が食べたいというのが雲水の本音です。ところが、接心中に毎日のように肉や魚が出ますと、ただでさえ痛い足はますます痛くなり、ただでさえ眠いのがいよいよぐっすり眠ってしまうのが実感できるのではないかと思います。とはいうもの、接心中だけ精進料理にこだわり、接心が終わった途端に暴飲暴食するのも変な話です。安泰寺の接心の最後の食事は決まってカレーライスなのですが、月に2・3回しか出ない白米(安泰寺は基本としては玄米食)とそのカレーの美味しさに負けてついつい食べ過ぎてしまった経験を私は何回も持っています。接心中であろうが、如常の日であろうが、食事は常に大事であり、食べ物・食べ方は修行の基本の一つをなしているのです。

 もう一つの基本はその修行生活を支える作務(仕事)への取り組み方です。私たちがストレスを感じたり、ひどく疲れたりするのは、ある栄養剤のコマーシャルが主張するように「前向きに生きているから」ではなく、むしろ作務の意味を分かっていないからだと思いますが、この点についてはまた来月に・・・ 続く  (堂頭)

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