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右か左か、 いま人生の岐路に立つ人へ
内山興正著
損か得か・・・何とか損をせず少しでも得する方を選択したいというのなら、その辺に沢 山出ている処世術、世渡り指導書をお読み下さい。せっかく私にこの問いを問われるのな ら、私なりに人生の真実としてはどうするかの話を申し上げるより他はなく、どうぞその おつもりでお読み下さい。
今はコンピューターが全く進んでしまって、すべてコソピューター任せのようですが、 果してこのコソピューター任せであることが人間として真実であるか、どうか・・・その判 断さえも答えるようなコソピューターを造り出したいと、先端のコソピューター技術者は 努力しているのだという話を聞きました。
でもコンピューター判断は常に、Oか1か(アレかコレか)の判断であるわけですが、 人生の真実は実は「あれもこれもわが人生」ということなのです。そういう「あれもこれ も的判断」が、コソピューターで出来るようになるものかどうか・・・。
コソピューターの話はさておいて、「あれもこれもわが人生」とは一体どういうことか。 それは「得してもわが人生、損してもわが人生」「成功してもわが人生、失敗してもわが 人生」「生きるのもわが人生、死ぬのもわが人生」・・・つまり何から何まで「わが人生」 ということなのです。
そういう「わが人生の真実」とは、結局「どっちへどう転んでもわが人生」というより 他はありません。しかしコトバで言えばそういうコトバで片付くわけですが、それではそ れを、今ここ実際としてどう踏み出すか人間行動は常に今ここの一歩として歩み出す より他はなく、そのために一歩一歩選択しなければならないのです。
この頃は全方位外交などという器用なコトバまで作り出しましたが、実際として一体ど うすればいいのか。ちょうど、このコトバがもてはやされた頃、フジ三太郎の漫画に、バ ーのマダムが身は右の男によりかかり、足は左の男の足を踏み、若手左手はそれぞれ左右 の男の背後から二人目の男の手を握り、そして目は右の三人目の男の方にウィンクを送り ながら、左の三人目の男に話しかけているというような奮戦ぶりが描かれ、これに「全方位外交」という題がつけられてあったのを思い出します。 しかしこのような全方位外交も、今いう「どっちへどう転んでもわが人生」ということ とは、少し違うのだと思います。
「どっちへどう転んでもわが人生」という「人生の真実」は、結局「わが人生の深さ」 です。その「わが人生の深さ」を狙うとは、どっちへどう転んでも「出会う処はすべてわ がいのちの分身」であり、「わが人生の中味・内容」なのですから、「出会う処の中にわが いのちの全分を籠めて尽くす」ことです。
いま私はこの問いを前にしてこの話を書いているわけですが、この問いそのものを私自 身の問題とし、いま私がどうするのか。これまた真剣に取り組み、私のいのちの全分を籠 めて考えつつ書いています。そしてこの場合の狙いとしては、いかにこれにおいて「いの ちの光明を輝かすか」「神の栄光を顕わすか」だけを狙っているのです。
果してそうであることが出来るかどうか。この場合、合格か不合格かはもはや問題では なく、とにかくそれを狙ってやっています。こんな私の狙いを支えてくれている言葉は、 次のような言葉です。
「さらば飲むにも、食らうにも、何事をなすにも、凡て神の栄光を顕わすようにせよ」 (コリソト前一〇の三一)
「凡眼を以て観ること莫れ、凡情を以て念ふこと莫れ、一茎草を拈じて宝王刹を建て、 一微塵に入りて大法輪を転ぜよ」(典座教訓)