安泰寺

A N T A I J I

人間関係で仕事をやめたいとボヤく人へ


内山興正著


 人間は自分一人で生きているのではありません。自分が働く、その働きの場とともに生 きるのです。その働きの場とは仕事であり、また人間関係でもあります。仕事をやめ人間 関係をやめれば、植物人間と同じことになってしまうだけです。

  しかし今たずさわっている職場において、特別に意地悪な人間がいて、いわゆる苛めが 自分に向けられているということはあり得ます。その場合には、今の職場を捨てて他の仕 事に就かれたらいいと思います。
  しかし、そこでもやはり人間関係において同じようなことが起こるとすれば、それは自 分自身に欠陥があると見なければなりません。というのは他に移る場合にも、先ず自分自 身の欠陥である癖を後生大事にカバンに詰めて持って行き、新しく移った先でも、先ずそ のカバンから自分自身の癖を取り出して人と接するから、同じことが起こるのです。この ような場合は他を責めるより以前に、先ず自分自身を反省して出直さなければ、幾ら転々 としても同じことが起こるだけです。

  それでもう自分は一生定職をもつことをやめ、人間関係ももちたくないと考え、植物人 間的一生を送る決心がつくなら、それも悪くはないでしよう。今どきの日本社会では、子 供が一生働かず食うのに不自由はないほどの財産を残す親も少なくはないですから、そん な親からあなたに財産がたっぷり残されてあるならそれも結構です。
  しかしその場合でも、単にぶらぶらして遊ぶ植物人間的一生を送るのではなく、人間関 係をもつことの少ない仕事(例えば職人とか芸術家とか)を目差して自分の生命の火を燃 やすことをお勧めします。せっかくの生命を与えられ、また社会にもお世話ご厄介になっ て生きているのですから、この自分の生命の火を燃やさず、まるまる社会の厄介者だけに 終わっていいはずはありませんから。

  「いや、自分は社会に別に厄介になっていやしない。社会の恩など特別蒙ったことはな い」と考える幼稚な若者もいると思いますから念のため申し上げておきますが、そういう 人は全く素裸で大自然の中に放り出されても、果して自分一人で生きていけると思っているのでしょうか。
  実はわれわれ、大昔からの無数に多くの先人達の知慧と社会的財産の中に初めて、一匹 の魚も釣ることが出来(例えば釣針一本でも糸一筋でも先人の知慧と社会的財産の結晶で す)、また一枚の布でも身にまとうことが出来るのです。そしてそういうことを社会の恩 と言うのであって、人間誰でもこの社会の恩を蒙ることなしに、どんな隠遁者でも生きて いけるものでないことはよく知っておかねばなりません。

Switch to English Switch to Spanish Switch to German Switch to French Switch to Italian Switch to Polish Switch to Russian