【典座教訓】
人生料理の仕方
佛家に本(もと)より六知事有り。共に佛子爲(た)りて、同(とも)に佛事を作(な)す。
就中(なかんづく)典座の一職(いっしき)は、是れ衆僧(しゅぞう)の辨食(べんじき)を掌(つかさど)る。
『禪苑清規(ぜんねんしんぎ)』に云(いわ)く、「衆僧を供養するが故に典座有り」と。
古(いにしえ)より道心の師僧、発心の高士(こうし)充て来(きた)の職なり。蓋(けだ)し一色の辨道の猶(ごと)きか。
若し道心無きは、徒(いたずら)に辛苦を労して畢竟(ひっきょう)益(えき)無し。
『禪苑清規』に云く。「須(すべから)く道心を運(めぐ)らして、時に随って改変し、大衆をして受用安樂ならしむべし」と。
昔日(そのかみ)、イ山(いさん)。洞山(どうざん)等之を勤め、其の余の諸大祖師も、曽(かつ)て経来れり。所以(ゆえ)に世俗の食厨子(じきずし)、及び饌夫(せんぷ)等に同じからざる者か。
山僧在宋の時、暇日、前資勤旧(ぜんしごんきゅう)等に咨問するに、彼等聊(いささ)か見聞(けんもん)を挙(こ)して、山僧の為に説く。此の説似(せつじ)は、古来有道の佛祖の遺す所の骨髄なり。大抵須らく『禪苑清規』を熟見すべし。然して後に須らく勤旧子細之の説を聞くべし。
所謂(いわゆる)、当職(とうしき)一日夜を経す。先ず斎時罷(さいじは)、都寺(つうす)、監寺(かんす)等の辺(あたり)に就いて、翌日の斎粥の物料を打(た)す。所謂米菜等なり。
打得し了(お)わらば、之を護惜(ごしゃく)すること眼晴(がんせい)の如くせよ。保寧(ほねい)の勇(ゆう)禪師曰(いわ)く、「眼晴なる常住物を護惜せよ」と。
之を敬重(きょうじゅう)すること御饌草料(ぎょせんそうりょう)の如くせよ。
生物熟物(しょうもつじゅくもつ)、倶(とも)に此の意を存せよ。
次に諸(もろもろ)の知事、庫堂に在りて商量すらく、明日甚(なん)の味を喫し、甚(なん)の菜を喫し。甚(なん)の粥を設(もう)けん等と。
『禪苑清規』に云く、「物料並に斎粥の味数(みすう)を打するがごときは、並びに預先(あらかじめ)庫司知事と商量せよ。
所謂(いわゆる)知事には都寺(つうす)、監寺(かんす)、副司(ふくす)、維那(いの)、典座(てんぞ)、直歳(しつすい)あるなり。
味数を議定し了(おわ)らば、方丈・衆寮(しゅりょう)等の厳浄牌(ごんじょうはい)に書呈せよ。然して後に明朝の粥を設弁(せつべん)す。
米(べい)を淘(と)ぎ菜を調(ととの)うる等は、自ら手ずから親しく見、精勤誠心(しょうごんじょうしん)にして作(な)せ。
一念も踈怠緩慢(そたいかんまん)にして、一事をば管看(かんかん)し、一事をば管看せざるべからず。
功徳海中、一滴も也(ま)た譲(あたう)ること莫(なか)れ。善根山上、一塵も亦積むべきか。
『禪苑清規』に云く、「六味(ろくみ)精(くわ)しからず、三徳給(そなわ)らざるは、典座の衆に奉(ぶ)する所以(ゆえん)に非(あら)ず」と。
先ず米(べい)を看んとして便ち砂(いさご)を看、先ず砂を看んとして便ち米を看る。審細(しんさい)看來り看去りて、放心すべからず。自然(じねん)に三徳圓滿し、六味具に備わらん。
雪峰(せっぽう)、洞山に在って典座と作(な)る。一日、米を淘(と)ぐ次(つい)で、洞山問う。「砂を淘り去って米か、米を淘り去って砂か」。峰云く、「砂米一時に去る」。洞山云く、「大衆箇(こ)の什麼(なに)をか喫す」。峰盆(はち)覆却(ふくきゃく)す。山云く、「子(なんじ)佗(た)後、別に人に見(まみ)え去ること在らん」と。
上古(じょうこ)有道の高士、自ら手すから精(くわ)しく至り、之れを修すること此(かく)の如し。後來の晩進之れを怠慢すべけんや。
先來(せんらい)云う、「典座は絆(ばん)を以て道心と爲す」と。米砂誤まりて淘り去ること有るが如きは、自ら手ずから檢點(けんてん)せよ。
清規に云く、造食(ぞうじき)の時、須(すべか)らく親しく自ら照顧(しょうこ)して、自然(じねん)に精潔なるべしと。
其の淘米の白水(はくすい)を取りて、亦た虚(むなし)く棄てざれ。古來漉白水嚢(ろうはくすいのう)を置いて、粥米(しゅくべい)の水を辨ず。
鍋(か)に納(い)れ了(おわ)れば、心を留めて護持し、老鼠(ろうそ)等をして觸誤(しょくご)し、竝びに諸色の閑人(かんじん)をして見觸せしむること莫れ。
粥時の菜を調ふる次に、今日齋時に飯羮等に用うる所の盤桶(ばんつう)並に什物調度(じゅうもつちょうど)を打併(たびゃう)して、精誠浄潔(せいせいじょうけつ)に洗灌(せんかん)し、彼此(ひし)高處(こうじょ)に安ずべきは高處に安じ、低處に安ずべきは低處に安ぜよ。高處は高平に、低處は低平。
キョウ(木+夾)杓(きょうしゃく)等の類、一切の物色(もつしき)、一等に打併して、眞心(しんしん)に物を鑑(かん)し、輕手(けいしゅ)に取放(しゅほう)す。
然して後に明日の齋料(さいりょう)を理會(りえ)せよ。先ず米裏に蟲有らんを擇べ。緑豆(りょくず)・糠塵(こうじん)・砂石等、精誠に擇べ。
米を擇び菜を擇ぶ等の時、行者(あんじゃ)諷經(ぶぎん)して竈公(そうこう)に囘向(えこう)す。
次に菜羮(さいこう)を擇び物料(もつりょう)を調辨(ちょうべん)す。
庫司に隨いて打得(たとく)する所の物料は、多少を論ぜず、麁(鹿+鹿+鹿)細(そさい)を管せず、唯だ是れ精誠に辨備するのみ。切に忌(い)む。色を作して口に料物の多少を説くことを。
竟日(ひねもす)通夜(よもすがら)、物來りて心(むね)に在り、心(むね)歸して物に在り。一等に佗の與(ため)に精勤辨道す。
三更(さんこう)以前は、明曉(みょうきょう)の事を管し、三更以來は、做粥(さしゅく)の事を管す。
當日の粥了(おわ)らば、鍋(か)を洗い飯を蒸し羮(こう)を調う。
齋米(さいべい)を浸(ひた)すが如きは、典座水架(すいか)の邊を離るること莫(な)れ。明眼(めいげん)に親しく見て、一粒(りゅう)を費さず。如法に淘汰せよ。
鍋に納れて火を燒き飯を蒸す。
古に云く、「飯を蒸す。鍋頭を自頭と爲し、米を淘る。水は是れ身命なりと知れ」と。
飯を蒸し了らば、便(すなわ)ち飯ラ(竹+羅)裏(はんらり)に收め、及ち飯桶(はんつう)に收めて、擡槃(ばんだい)の上に安ぜよ。
菜羮(さいこう)等を調辨(ちょうべん)すること、應に飯を蒸すの時節に當るべし。
典座親く飯羮(はんこう)調辨の處在を見、或は行者を使い、或は奴子(ぬす)を使い、或は火客(こか)を使い、什物(じゅうもつ)を調えしめよ。
近來は大寺院に、飯頭(はんじゅう)・羮頭(こうじゅう)有り。然れども是れ典座の使う所なり。
古時は飯頭羮頭等無く、典座一管(いっかん)す。
凡(およ)そ物色(もつしき)を調辨するに、凡眼(ぼんがん)を以て觀ること莫れ。凡情を以て念(おも)うこと莫れ。
一莖艸(いっきょうそう)を拈(ねん)じて、寶王刹(ほうおうせつ)を建て、一微塵(いちみじん)に入いて、大法輪を轉ぜよ。
所謂(いわゆる)、縱(たと)えフ(艸+甫)菜羮(ふさいこう)を作るの時も、嫌厭輕忽(けんえんきょうこつ)の心を生ずべからず。縱え頭乳羮(ずにゅうこう)を作るの時も、喜躍歓悦(きやくかんえつ)の心を生ずべからず。既に耽著(たんじゃく)無し、何(なん)ぞ惡意(おい)有らん。然らば則ち麁に向うと雖も全く怠慢無く、細(さい)に逢(あ)うと雖も彌(いよいよ)精進有るべし。
切に物を遂うて心を變ずること莫れ。人に順(したが)いて詞(ことば)を改むるは、是れ道人に非ざるなり。
勵志至心(しいしん)に、浄潔(じょうけつ)なること古人に勝(まさ)れ、審細(しんさい)なること先老に超えんことを庶幾(こいねがふ)べし。
其の運心(うんしん)道用(どうゆう)の體(てい)たらくは、古先(こせん)は縱(たと)ひ三錢を得るときは、而(すなわ)ち(艸+甫)菜羮を作るも、今ま吾(わ)れ同く三錢を得るときは、而(すなわ)ち頭乳羮を作らんと。
此の事難(なん)爲(に)なり。所以(ゆえ)は何(いか)ん。今古殊異(しゅい)にして、天地懸隔(けんかく)なり。豈(あ)に肩を齋(ひと)しくすることを得る者ならんや。
然れども審細(しんさい)に辨肯(冖+月)するの時は、古人を下視(あし)するの理、定(さだ)んで之れ有り。
此の理、必然なるすらを、猶(な)お未だ明了ならざるは、思議(しぎ)紛飛(ふんぴ)して、其の野馬(やば)の如く、情念奔馳(ほんち)して、林猿(りんえん)に同じきを卒由(もつて)なり。
若(も)し彼の猿馬(えんば)をして、一旦(たん)退歩返照(たいほへんしょう)せしめば、自然(じねん)に打成一片(だじょういっぺん)ならん。是れ及(すなわ)ち物の所轉(しょてん)を被(こうむ)るとも、能(よ)く其の物を轉ずるの手段なり。
此の如く調和浄潔にして、一眼兩眼を失すること勿(なか)れ。
一莖菜を拈じて丈六の金身と作し。丈六の金身を請して一莖菜を作す。
神通及び變化、佛事及び利生する者なり。
已に調ひ調へ了て已に辨じ、辨じ得て那邊(なへん)を看し這邊(しゃへん)に安(お)け。
鳴(みょう)鼓(く)鳴(みょう)鐘(しょう)には、衆に隨い參(さん)に隨い、朝暮の請參(しょうさん)、一も虧闕(きけつ)すること無れ。
這裏に却來(きゃらい)せば、直に須らく目を閉じて堂裏幾く員の單位ぞ、前資勤舊(ごんきゅう)獨寮等幾く僧ぞ、延壽、安老、寮暇等の僧、幾箇(いくこ)人か有る、旦過(たんが)に幾く板の雲水ぞ、菴裏に多少の皮袋(ひたい)ぞと諦觀すべし。
此の如く參じ來り參じ去りて、如し纎毫ぞの疑猜(ぎさい)有らば、他の堂司(どうす)及び諸寮の頭首(ちょうしゅ)、寮主、寮首座(しゅそ)等に問ひ、來るべし疑を銷(しょう)し。
便ち商量すらく。一粒米を喫するに、一粒米を添え、一粒米を分ち得れば、却て兩箇の半粒米を得(う)。三分四分一半兩半あり。他の兩箇の半粒米を添れば、便ち一箇の一粒米と成る。又九分を添うるに、剩り幾分と見、今九分を收めて、佗幾分と見る。
一粒の盧陵米を喫得して、便ちイ山僧を見、一粒の盧陵米を添得して、又水コ(牛ヘン+古)牛を見、水コ牛イ山僧を喫し、イ山僧水コ牛を牧す。吾れ量得すや也た未だしや、ナンジ(イ+爾)算得すや也た未しやと。
檢し來り點じて來り、分明に分曉し、機に臨んで便ち説き、人に對して即ち道(い)え。
且恁功夫(しばらくかくのごときのくふう)、一如二如、二日三日、未だ暫くも忘るべからざるなり。
施主院に入て財を捨し齋を設けば、亦た當に諸の知事一等に商量すべし。是れ叢林の舊例(きゅうれい)なり。
囘物(えもつ)俵散は、同く共に商量せよ。權を侵(おか)し職を亂することを得ず。
齋粥如法に辨じ了らば、案上に安置し、典座袈裟を搭け坐具を展べ、先づ僧堂を望んで、焚香九拜し、拜し了て、及ち食を發すべし。
一日夜を經し、齋粥を調辨し、虚しく光陰を度ること無れ。
實の排備有らば、擧動施爲、自ら聖胎長養の業と成り、退歩飜身、便ち是れ大衆安樂の道なり。
而今(いま)我が日本國、佛法の名字、聞くこと己(すで)に久しし。然あれども僧食(そうじき)如法作(にょほうさ)の言、先人記せず。先徳教えず。況んや僧食九拜の禮、未だ夢にだも見ざること在り。國人僧食の事を謂ふ。僧家作食(さじき)法の事は、宛も禽獸の食法の如しと。實に憐みを生ずべし。實に悲しみを生ずべし。
如何んぞや。
山僧天童に在りし時、本府の用(ゆう)典座職に充てりき。予因(ちなみ)に齋罷(さいは)に東廊を過ぎ、超然齋に赴くの路次、典座佛殿前に在りて苔を晒す。手に竹杖を携へ、頭に片笠無し。天日熱し、地甎熱す。汗流れて徘徊すれども、力を勵め苔を晒す。稍(やや)苦辛を見る。背骨弓の如く、龍眉(ほうび)鶴に似たり。
山僧近前して、便ち典座の法壽を問ふ。座云く、「六十八歳」。
山僧云く、如何ぞ行者人工(にんく)を使わざる」。座云く、「佗は是れ吾にあらず」。
山僧云く、「老人(ろうにん)家(け)如法なり。天日且つ恁(かくのごとく)熱す。如何ぞ恁地なる」。座云く、「更に何(いず)れの時をか待たん」と。
山僧更(すなわ)ち休す。
廊を歩する脚下、潛(ひそか)に此の職の機要爲ることを覺ふ。
又嘉定(かてい)十六年、癸未(きび)、五月中。慶元の舶裏(はくり)に在りて、倭使頭説話(せつた)次、一老僧有り來。年六十許歳(ばかり)。一直に便ち舶裏に到り、和客に問ふて倭椹(わじん)を討(たず)ね買う。
山僧他を請(しょう)して茶を喫せしむ。佗の所在を問へば、便ち是れ阿育王山の典座なり。
佗云く、「吾は是れ西蜀の人なり。郷を離るること四十年を得たり。今年是れ六十一歳。向來粗ぼ諸方の叢林を歴(へ)たり。先年權(か)りに孤雲裏に住し、育王を討ね得て掛搭(かた)し、胡亂に過ぐ。
然あるに去年解夏(かいげ)了(りょう)。本寺の典座に充てらる。明日五日なれども、一供(く)渾(すべ)て好喫無し。麺汁を做(つく)らんと要するに、未だ椹(じん)の在らざる有り。仍(よっ)て特特として來る。椹を討ね買いて、十方の雲衲に供養せんとす」と。
山僧佗に問ふ、「幾ばく時か彼(かしこ)を離れし」。座云く、「齋了(さいりょう)」。
山僧云く、「育王這裏を去ること多少の路か有る」。座云く、「三十四五里」。山僧云く、「幾ばく時か寺裏に廻り去るや」。座云く、如今(いま)椹を買ひ了らば便ち行(さら)ん」。
山僧云く、「今日期せずして相ひ會し、且つ舶裏に在て説話(せった)す。豈に好結縁(こうけつえん)に非ざらんや。道元典座禪師を供養せん」。
座云く、「不可なり。明日の供養、吾れ若し管せずんば、便ち不是(ふぜ)にし了(おわ)らん」。
山僧云く、「寺裏何ぞ同事の者齋粥を理會する無からんや。典座一位、不在なりとも、什麼(なん)の欠闕(かんけつ)か有らん」。
座云く、「吾れ老年に此の職を掌(つかさど)る。及ち耄及(ぼうぎゅう)の辨道なり。何を以て佗に讓る可けんや。又た來る時未だ一夜宿の暇を請はず」。
山僧又典座に問ふ、「座尊年、何ぞ坐禪辨道し、古人の話頭を看せざる。煩く典座に充て、只管に作務す、甚(なん)の好事か有る」と。
座大笑して云く、「外国の好人、未だ辨道を了得せず。未だ文字を知得せざること在り」と。
山僧佗の恁地(かくのごとき)の話を聞き、忽然として發慚驚心(ほつざんきょうしん)して、便ち佗に問ふ、「如何にあらんか是れ文字。如何にあらんか是れ辨道」と。
座云く、「若も問處を蹉過せずんば、豈に其の人に非ざらんや」と。
山僧當時(そのかみ)不會(ふえ)。
座云く、若し未だ了得せずんば、佗時(たじ)後日、育王山に到れ。一番文字の道理を商量し去ること在らん」と。
恁地(かくのごとく)話(かた)り了って、便ち座を起って云く、「日晏(く)れ了(な)ん忙(いそ)ぎ去(いな)ん」と。便ち歸り去れり。
同年7月、山僧天童に掛錫(かしゃく)す。時に彼の典座來りて得相見して云く、「解夏了(かいげりょう)に典座を退き、郷に歸り去らんとす。適(たまた)ま兄弟(ひんでい)の老子が在りと説くを箇裏に聞く。如何ぞ來りて相見せざらんや」と。山僧喜踊(きゆう)感激して、佗を接して説話(せった)するの次で前日舶裏に在りし文字辨道の因縁を説き出す。
典座云く、「文字を學ぶ者は、文字の故を知らんことを爲(ほっ)す。辨道を務る者は、辨道の故を(冖+月)(うけが)わんことを要す」と。
山僧佗に問う、「如何にあらんか是れ文字」。座云く、「一二三四五」。
又問う、「如何にあらんか是れ辨道」。座云く、「(彳+扁)界會て藏さず」と。
其の餘の説話(せった)、多般(たはん)有りと雖も、今緑せざる所なり。
山僧聊(いささ)か文字を知り、辨道を了するは、及ち彼の典座の大恩なり。
向來一段の事、先師全公に説似す。公甚だ隨喜するのみ。
山僧後に雪竇の頌有り僧に示して「一字七字三五字。萬像窮め來るに據(よ)りどころ爲(あら)ず。夜深(ふ)け月白うして滄溟に下り、驪珠(りじゅ)を捜り得るは多許(そこばく)か有る」と云を看る。
前年彼の典座の云ふ所と、今日雪竇の示す所と、自ら相ひ符合す。彌(いよいよ)知る彼の典座は是れ眞の道人なることを。
然あれば則ち從來看る所の文字は、是れ一二三四五なり。今日看る所の文字も、亦た六七八九十なり。
後來の兄弟(ひんでい)、這頭從り那頭を看了し、那頭從り這頭を看了す。恁(かくのごとき)功夫を作さば、便ち文字上の一味禪を了得し去らん。
若し是の如くならずんば、諸方の五味禪の毒を被りて、僧食を排辨するに、未だ好手たることを得(う)べからざらん。
誠に夫れ當職は先聞現證(せんもんげんしょう)。眼に在り耳に在り。文字有り道理有り。正的(しょうてき)と謂つべきか。
縱(すで)に粥飯頭の名を忝(かたじけの)うせば、心術も亦た之に同ずべきなり。
禪苑清規に云く、「二時の粥飯、理すること合に精豐なるべし。四事の供、須らく闕少(けっしょう)せしむること無なるべし。世尊二千年の遺恩、兒孫(じそん)を蓋覆(がいふ)し、白毫光(びゃくごうこう)一分の功徳、受用不盡」と。
然あれば則ち。
「但(た)だ衆を奉することを知って、貧を憂ふべからず。
若し有限の心無んば、自ら無窮(むきゅう)の福有らん」と。蓋(けだ)し是れ衆に供(ぐう)ずるは住持の心術なり。
供養の物色を調辨するの術は、物の細を論ぜず、物の麁を論ぜず、深く眞實心敬重(きょうじゅう)心を生するを詮要と爲す。
見ずや、漿水の一鉢も。也(また)十號に供ずれば、自と老婆生前(しょうぜん)の妙功徳を得、菴羅(あんら)の半果も、也(また)一寺に捨すれば、能く育王最後の大善根を萌し、記別(艸+別)(きべつ)を授り大果を感ぜり。
佛の縁と雖も、多虚は少實に如(し)かず。是れ人の行なり。
所謂(いわゆる)醍醐味を調ふるも、未だ必ずしも上と爲さず、フ(艸+甫)菜羮(ふさいこう)を調ふるも、未だ必ず下と爲さず。フ菜を捧げフ菜を擇ぶの時、眞心、誠心、浄潔心ならば、醍醐味に準ずべし。
所以(ゆえ)何(いかん)となれば、佛法の清浄の大海衆に朝宗するの時、醍醐味を見ず、フ菜味を存せず、唯一大海味のみ。
況や復た道芽を長じ、聖胎を養ふの事、醍醐とフ菜と、一如にして二如無きをや。
比丘の口竈(かまど)の如しの先言有り。知らずんばあるべからず。
想ふべしフ菜能く聖胎を養ひ、能く道芽を長ずることを。賤しと爲すべからず。輕しと爲すべからず。人天の導師、フ菜の化益(けやく)を爲すべきものなり。
又た衆僧の得失を見るべからず。衆僧の老少を顧(かえりみ)るべからず。
自(じ)猶(な)ほ自の落處を知らず、佗(た)爭(いかで)か佗の落處を識ることを得んや。自の非を以て佗の非と爲す。豈に誤まらざらんや。
耆年(ぎねん)と晩進(ばんしん)と、其の形異なりと雖も、有智(うち)も愚朦(ぐもう)も、僧宗是れ同じ。
亦た昨は非なるも今は是(ぜ)、聖凡(しょうぼん)誰(なんぞ)知らん。
禪苑清規に云く、「僧は凡聖と無く、十方に通會す」。
若し一切の是非莫管(まつかん)の志氣(しいき)有らば、那(なん)ぞ直趣無上菩提の道業に非ざらんや。
如(も)し向來の一歩を錯(あやま)らば、便及(すなはち)對面して蹉過せん。
古人の骨髄、全く恁(かくのごとき)功夫を作すの處に在り。
後代當職を掌(つかさど)るの兄弟(ひんでい)も、亦た恁(かくのごとき)功夫を作して始て得てん。
百丈高祖の規縄(きじょう)豈に虚からんや。
山僧歸國より以降(このかた)錫を建仁に駐(とど)むること一兩三年。
彼寺(矛+攵+心)(おろ)かに此の職を置けども。唯だ名字のみ有て、全く入の實無し。
未だ是れ佛事なることを識らず、豈に敢て道を弁(冖+月)せんや。
眞に其の人に遇はず、虚く光陰を度り、浪(みだり)道業を破ることを憐憫すべし。
會(かつ)て彼の寺を看るに此の職の僧、二時の齋粥、都(すべ)て事を管せず。一りの無頭腦、無人情の奴子(ぬす)を帯して、一切大小の事、總に佗に説向す。正を作得すも、不正を作得すも、未だ會て去(ゆ)いて看せず。
鄰家に婦女有るが如くに相ひ似たり。若し去(ゆ)いて得佗を見れば、及ち恥とし及ち瑕(きず)とす。
一局を結構して、或は偃臥し、或は談笑し、或は看經(かんきん)し、或は念誦して、日久しく月深けれども、鍋邊(かへん)に到らず。
況(いわん)や什物を買索(ばいさく)し、味數を諦觀するは、豈に其の事を存せんや。
何(いか)に況や兩節の九拜未だ夢にだも見ざること在り。
時至れども童行(ずんなん)に教ることも也(ま)た未だ會て知らず。
憐むべく悲むべし。無道心の人。未だ會て有道徳に遇見せざるの輩(ともがら)、寶山に入ると雖も、空手にして歸り、寶海に到ると雖も、空身にして還ること。
應に知るべし佗未だ會て發心せずと雖も、若も一本分人に見(まみ)へば、則ち其の道を行得せん。
未だ本分人に見へずと雖も、若し是れ深く發心せば、則ち其の道を行膺せん。
既に以(すで)に兩つながら闕(か)かば、何を以てか一の益あらん。
大宋國の諸山、諸寺、知事頭首の職に居るの族(やから)を見るが如きんば、一年の精勤爲りと雖も、各三般(さんぱん)の住持を存し、時と與(とも)に之を營み、縁を競ふて之を勵む。
已に他を利するが如く兼て自利を豐にす。叢席を一興し高格を一新す。肩を齋(ひとし)うし頭を竸ひ踵を繼ぎ蹤を重んず。
是に於て應に詳(つまびらか)にずべし。自を見ること佗の如くなるの癡人(ちにん)有り。佗を顧ること自の如くなるの君子有りことを。
古人云く、「三分の光陰二早く過ぐ、靈臺一點も揩磨(かいま)せず。生を貧り日を遂ふて區區(くく)として去る。喚(よ)べども頭を囘らさず爭奈何(いかん)せん」と。
須(すべから)く知るべし未だ知識に見(まみ)えんざれば、人情に奪は被(る)ることを。
憐むべし愚子長者所傳の家財を運出(うんすい)して、徒(いたづら)に佗人面前の塵糞と作すことを。
今は乃ち然かあるべからざるか。
嘗(かつ)て當職を觀るに前來の有道、其の掌其の徳自から符す。
大イの悟道も、典座の時なり。洞山の麻三斤も、亦た典座の時なり。
若し事を貴ぶべき者ならば、悟道の事を貴ぶべし。若し時を貴ぶべき者ならば、悟道の時を貴ぶべき者か。
事を慕ひ道を耽(たのし)むの跡、砂(いさこ)を握て寶と爲する、猶ほ其の驗(しる)し有り。形を模して禮(らい)を作す。屡(しばし)ば其の感を見る。
何(いか)に況(いわん)や其の職是れ同じく、其の稱(しょう)是れ一なるをや。
其の情其の業、若し傳ふべき者ならば、其の美其の道、豈に來らざらんや。
凡そ諸の知事頭首(ちょうしゅ)、及び當職作事作務の時節、喜心、老心、大心を保持すべき者なり。
所謂喜心とは、喜悦の心なり。
想ふべし我れ若し天上に生れば、樂に著め間(ひま)無く、發心すべからず。修行未だ便(べん)ならず。何かに況や三寶供養の食を作るべけんや。
萬法の中、最尊貴なるは三寶なり。最上勝なるは三寶なり。天帝も喩ふ非(べか)らず。輪王も比せず。
清規に云く、「世間の尊貴、物外(もつがい)の優間(ゆうげん)、清浄無爲なるは、衆僧を最と爲す」と。
今吾幸に人間に生れて、此の三寶受用の食(じき)を作ること、豈に大因縁に非ずや。尤も以て悦喜すべき者なり。
又た想ふべし、我れ若し地獄、餓鬼、畜生、修羅等の趣に生れ、又自餘の八難處に生れば、
僧力の覆身(ぶしん)を求むること有りと雖も、手ら自ら供養三寶の淨食を作るべからず。
其の苦器に依て苦を受け、身心を縛すればなり。
今生既に之を作る。悦ぶべきの生なり。悦ぶべきの身なり。曠大劫の良縁なり。朽(く)つべからざるの功徳なり。
願くは萬生千生を以て、一日一時に攝し、之を辨すべく之を作るべし。
能く千萬生の身をして良縁を結ば使(しめ)んが爲めなり也。
此の如き觀達の心、乃ち喜心なり。
誠に夫れ縱ひ轉輪聖王の身作るも、供養三寶の食作ら非(ざ)る者は、終に其益無し。唯是れ水沫泡(火+(爪+臼))(すいまつほうえん)の質なり。
所謂老心とは、父母の心なり。譬へば父母の一子を念ふが若(ごと)し。三寶を存念すること、一子を念ふが如くせよ。
貧者窮者(ぐうしゃ)、強(弓+(口+虫))(ち)ながちに一子を愛育す。其の志如何ん。外人識らず。父と作り母と作て方(まさ)に之を識る。
自身の貧富を顧みず。偏(ひとえ)に吾子の長大ならんことを念ふ。
自の寒きを顧みず、自の熱きを顧みず、子を蔭(おほ)ひ子を覆(おほ)ふ。
以て親切切切の至りと爲す。
其の心を發(おこ)す人、能く之を識る。其の心に慣ふ人、方に之を覺る者なり。
然あれば乃ち水を看穀を看るに、皆な子を養ふの慈懇を存すべき者か。
大師釋尊猶ほ二千年の佛壽を分て、末世の吾れ等を蔭ひたまふ。其の意如何ん。唯だ父母の心を垂るるのみ。
如來は全く果を求むべからず。亦た富を求むべからず。
所謂大心とは、其の心を大山(だいせん)にし、其の心を大海にす。偏(へん)無く黨(とう)無き心なり。
兩を提(ひさげ)て輕しと爲なず、鈞を扛(あ)げて重しとすべからず。春聲(しゅんせい)に引か被(れ)て、春澤(しゅんたく)に游(あそ)ばず。秋色を見ると雖も、更に秋心無し。
四運(しうん)を一景(いっけ)に竸ひ、銖兩(しゅりょう)を一目に視る。
是の一節に於て大の字を書すべし。大の字を知るべし。大の字を學すべし。
夾山(かつさん)の典座、若し大字を學せずんば、不覺の一笑もて、大原を度すること莫らん。
大イ禅師、大字を書せずんば、一莖柴(いっきょうさい)を取て、三たび吹くべからざらん。
洞山和尚、大字を知らずんば、三斤の麻を拈じて、一僧に示すこと莫らん。
應に知るべし向來の大善知識は、倶に是れ百艸頭上に、大字を學し來て、今乃ち自在に大聲を作し、大義を説き、大事を了し、大人を接し、者箇(しゃこ)一段の大事因縁を成就する者なり。
住持。知事。頭首。雲衲。阿誰(たれか)此の三種の心を忘却する者ならんや。
(山+亠+日)(とき)に嘉禎三丁酉春。記(き)して後來學道の君子に示す。
觀音導利興聖寶林禪寺住持傳法沙門道元記(しる)す。