流転海48号

安泰寺文集・平成23年度


森山香


 平成二十三年八月、母方の祖父が亡くなりました。
九十二歳でした。祖母は、「私の人生悔いはない」と天に万歳をしながら送り出しました。そんな祖母の着物は、銘仙の縦模様、裏地はピンクと赤といった大正ロマン。
 私には、少し丈が短いけれど、うまく体を包み馴染んでくれます。強い祖母が袖を通した着物、今、私が着ています。人は死んでしまったら、何処へ行くんだろう。。お寺で生まれ育った私は、小さな時からそんなことを考えていました。年を経て、心とは何か、本物とは何か、と迷い始めました。
 そして、坐禅と出会い、言葉では表せない何か、に惹かれ坐禅堂に通うようになりました。坐禅をしていると、妄想が出てきます。いつも自分から離れている自分に気づきます。出来るのかと不安の心。やっていないうちから又妄想。。自分は今という時間を妄想だらけで過ごしいるんだなと気づきます。日常は、まさに不安だらけ、妄想だらけです。坐禅をしていると、そんな自分をダメだダメだ!と励ましてくれている自分に気づきます。又、背筋を伸ばし強くなりたいと念じます。一人では、くじけてしまいそうな自分、導いてくださる方、共に歩んでいる方のおかげで、ダメだダメだと繰り返しながら、自分を立て直す事ができます。

 今日はお天気、風が気持ちのいい日です。日本海は穏やかに波打ち、岩場では、釣りをしているおじいさん、その横には、座って海を眺めているおばあさん、ベンチでお昼寝をしている学生。ゆったりとした午後の時間。太陽の光、風、音、香りの中で、自然が当たり前に循環していてくれるから、私は、ここに居るのかな。
 安泰寺へ始めて訪れました。
 午前九時、晴れた夏の日でした。歩いて、登って、川や緑が太陽に照らされてキラキラとしています。山水が溢れ出て、田畑を横にどんどん登ります。砂利道、舗装道、又砂利道と‥辺りは高い杉の木が立ち並び三六〇度山の中です。

 午前一〇時、安泰寺。正面の本堂の扉が開け放たれ、修行されている彼女らが笑顔で迎えてくれました。私もつられて笑顔になります。
 安泰寺の畑には、つるが木にも登り、谷にも下りる勢いでかぼちゃが育っていました。田んぼの稲が育ってきたため、水ハケ用の道を遠く遠くからこちらへまっすぐに鍬で作っていきます。山の木を切り倒し、皆で、押したり引いたり、持ち上げ、蹴飛ばし、下へ落としていきます。運び、並べ、そして割り、薪となります。時間をかけて、泥んこになり、汗を流し作り上げていく自然の循環がそこにありました。そして、仲間がいます。かまどに薪を入れ、食事を作り風呂を焚きます。同じ時間に食事を頂き、床につきます。人は、何によって安らぎを感じ続けていけるのでしょう。人が生きるという事は、どういうことなのでしょう。

 安らぎは、この自然を無くしてしまったら、きっと得られない、私たちを守ってくれているこの大きな自然を守ることは、簡単に出来る事ではありません。くじけてしまいそうな自分です。
 安泰寺、朝四時、止静、坐禅が始まります。共に歩む仲間と。
 私は、安泰寺へ何度でも通い続けます。


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