流転海48号

安泰寺文集・平成23年度


ネルケ無方


監院の職は為公これ務む。
いわゆる為公とは無私曲なり。
無私曲とは稽古慕道なり。
慕道は以って道に順うなり。 (知事清規) 

 去年の秋の彼岸に、永光寺という曹洞宗の名刹で行われた坐禅会の講師としてよばれた。二泊三日の小旅行である。道中の大阪で、寺から緊急連絡が取れるように、久々にプリペイド式の携帯を買った。大阪城公園でホームレス生活をしていた時に使っていた携帯は、まだ目覚まし時計代わりに使っていたのだが、プリペイドカードの延長期限がとっくに過ぎていたのだから発信も受信もできないままだった。
 能登の山奥の永光寺に着くなり、携帯の画面を見たが、アンテナは一本も立っていなかった。安泰寺では最近、便利がよくなってアンテナが一本立つこともあるが、そうなると経行中に携帯の着暦をチェックする参禅者も現れてくる。何をしにくるのか、と口宣を入れたくなる私だが、下手をすれば自分も同じことになりえた。安泰寺の様子がちょっと気にもなっていたのだが、知らぬが仏。坐禅には電波の届かない場所が適している。
 坐禅会が無事終わり、金沢に戻ったときに、前日に送信された嫁からの一通のメールが届いていた。はて、娘が参加していた小学校の運動会の報告かな、と思ったが、そうではなかった。
 「Kが圧力鍋で事故って大やけど。救急車で豊岡病院に運ばれて今ICU。何日かは入院するらしい。で、朝から電気はブレーカーのトラブルで使えないし、携帯は圏外やし。お弁当もつくらなあかんし、大変だわ。電気の問題は解決した。あした湯村についたらその足で豊岡の病院に行かないといけません。いろいろな説明とかその他、諸々あるらしい。私は今日は子供も運動会やし行けないので、明日にしてもらった。できればこれ読んだら電話して。たぶん他の人も動揺していると思う。」
 その秋には参禅者がたくさん来ていた。二十数名だ。しかし、長期滞在者は外国人が一人のみ。暁天坐禅中に台所のほうから「バコーン!!」という音がしたらしいが、誰も気にしない。
 坐禅中に何があっても動かないこと。たとえ死にそうになっても、動かないこと。坐禅の最中に死んだって、大丈夫だ。俺がお葬式をタダでしてあげるから、というのが、私の接心前のお決まりの説法であるから、耳慣れない音が聞こえたくらいでは、動くものはいない。今日はKの典座デビューの朝である。時間との戦いで、大きな鍋でも落としたのだろう。と思いきや、向こうから人の叫びが聞こえてくる。しばらくはそれでも動いていなかったが、やがて一人また一人が心配になり座を離れた。
 台所は大変なことになっていた。変形していた圧力鍋の破片が床にお落ちていて、天井やそこら中には大豆がくっついていた。Kはうごめいていた。暫くは、誰もどうしたらよいものか、わからなかった。Kに水を浴びさせ、ようやく救急車を呼ぶことになった。寺までの山道は登れないから、Kをハコバンでバス停まで下ろすことになった。ところが、バス停で待っていたのが消防車だった。「大やけどをしている」を伝えようとして、英語のBurn(やけど)が「燃えている」と解釈されていたのだろうか。
 私が病院に着いたときには、Kの全身に包帯が巻かれていた。意識もあり、言葉も通じていたので、ほっとしていた。ただ、彼は日本語がまったく話せないから、医師や看護師との意思疎通ができていないようだった。事故の原因は、圧力のかかっていた大型の圧力鍋を無理やりに開けようとしたことだった。幸い、飛んできた鍋の蓋は彼の頭からはずれ、命は助かった。体全体の皮膚の二十五%の大やけどでした。ソーシャル・ワーカーに呼び出された。
 「お金をいくら持ち合わせているのか、今あるお金をとりあえず持ってきてほしい」
 観光ビザで日本に来ているKは保険に入っておらず、全額の一二〇%も請求されていたのだ。全部で六十数万円だった。
 Kは退院してから、托鉢をするといった。仲間と二人で京都に出かけて、網代傘を被って雲水のまねをしていたが、結局は帰りの飛行機のチケット代しか入らなかったらしく、安泰寺に戻ることなく帰国してしまった。
 安泰寺の修行には怪我が付き物だ。数年前も、警察から電話がかかった。
 「外国人が血を流して諸寄の道路に倒れているの見つけた。救急車を呼んだが、本人は『だいじょうぶ、だいじょうぶ』と言って乗らない。ひょっとしてあなたのところの修行僧?」
 確かに雲水一人はその日、托鉢をしに自転車で城崎に出かけているはずだった。諸寄とは反対の方向だが、修行僧らしい外国人となれば安泰寺の人しかない。やれやれ、どんなものかとしぶしぶ駆けつけたところ、間違いなく安泰寺のDだった。本人が「だいじょうぶ」と言っている以上、無理に病院に連れるわけにもいけない。どうやら、自転車に乗って頭から電柱にぶつかったようだ。急な下がり坂のカーブの中、勢いを持って、だ。「だいじょうぶ、だいじょうぶ」というDを、とにかく車に乗せて寺に戻そうとした。走行中にハンドルがぽっきと折れて、自転車を操縦できず電柱にぶつかったという彼は、ろれつが回らない。頭に捲いた紙オムツをあげよくよく見ると、額は煮魚の切り込みのようになっていた。あわてて鳥取の大きな病院に連れたのはいうまでもない。だいぶ後でわかったことだが、ろれつが回らなかったのは、頭が電柱にぶつかったせいではなかった。そもそも、ハンドルが折れたから、電柱にぶつかったというのも、考えてみればおかしい。普通なら、因果関係は逆であるはずである。勢いよく電柱にぶつかったから、ハンドルが折れたのだ。そして電柱にぶつかった原因は飲酒であったようだ。それからしばらくして、酒と女性問題が原因してDに安泰寺を降りてもらった。
 長い間音信不通だったが、この間ある女性から電話がかかった。
  「Dをもう一度、預かってもらえないか」
 わけを聞くと、Dは今彼女のところに転がり込んでいるらしい。ろくに働きもせず、お金をくすねては酒を飲む毎日だとか。
 「たたき出せ」というと
 「そうはいかない。彼を養子にしてしまったから」という。
 ほぼ同じ時期、Dと付き合っていた別の女性の一人が自殺してしまったと連絡が入った。彼女が安泰寺に参禅に来て、Dと知り合ってからもう四、五年は経っていたが、彼女とDとの関係の経緯をみて、安泰寺でのいきさつが自殺と無関係とも思えない。
 私の師匠がブルドーザーでバス停までの四キロの道のりを除雪し、Uターンして山に戻ろうとした際に重機ごと冷たい川に落ちしまったのは今から十年前、二〇〇二年のバレンタインデーのことである。事故当時、安泰寺には二、三人しか雲水が残っておらず、留守番役として呼び戻されたのは私だった。 
 「どうせ、ホームレスのまね事をしていて、暇を持って余しているはずだ」 
と思われていたのだろう。確かに、当時の私は暇だった。先輩達に逆らうわけにもいかない。まさか弟子の中でも一番若い、経験も浅い、しかもガイコクジーンの私が一ヶ寺の住職を任せられるとは思ってもいなかった。 
 これをきっかけに、当時付き合っていた彼女にプロポーズをした。   
 「俺について、山寺に来ないか?」
 寺には檀家が一軒もない、住職の給料はゼロ。米や野菜、かまどで使う薪を自給自足でまかなっている。そんなことを彼女に伝えた。
「そのお寺の住職、何年くらいするの?」
「まぁ、まず十年だな」
「無理かもしれないけど、がんばってついていくわ」
二人の間に子どもは二人も生まれたし、私の元で出家得度した仏弟子も十数人いる。彼らの命を預かり、彼らの指導に当たることがこの山寺での私の使命だ。ところが、十年たって今、後を継ぎそうな弟子はまだ育っていない。これから育つかどうかも、心配だ。嫁には仏頂面で言われる。
 「約束の十年、もう過ぎたけど、どうする?子どもの教育、私たちの老後、どうなる?」
弟子も知りたいようだ。
 「僕たちが安泰寺に何年修行をすれば、ちゃんとした檀家寺の住職になれるの?それまで、小遣いはでないの?」 
 おいおい、オレのことを誰だと思っているのだ。オレが誰のために寿命を減らしているのか、分かっているのか。ついついそう叫びたくなることも事実だ。
道元禅師のいう「無私曲・為公」に学び、初心に帰らなければならないのは、他でもなくこの私だと、最近痛感させられている。


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