火中の連
共生できる文化、共生できない文化 |
安泰寺に初めて上山した1990から、もはや20年が過ぎました。安泰寺の堂頭になって、10年目になろうとしています。
最近、地方の団体に講演に呼ばれる機会が多くなりました。「外国人の目から見たニッポン」といったようなテーマがメインです。ところが、1990年に日本学の留学生として来日したおり、当時の堂頭さんに「安泰寺は日本じゃない」と一喝されました。日本にいながら、そういう安泰寺以外の日本をほとんど見ていないので、私の日本観がひどく歪んでいると思います。そういう歪んだ日本観を聴衆にぶっつけ、終わった後に質疑応答を受けることによって、私自身が一番日本について学んでいることが多いかもしれません。この「火中の蓮」でも、今年は仏教論をしばらく休んで、他文化理解、多文化共生について論じたいと思います。
今年の文集の挨拶にこう書きました。
【今や外国の参禅者は半数を超えてしまい、それは文集にも反映されています。冬を越す7人のうちには、日本人が2人、ドイツ人が2人、フランス人・スペイン人・チェコ人がそれぞれ1人います。
私が雲水だった頃には、私以外の修行者のほとんどは日本人でしたが、今は国内参禅者は過半数を割ってしまいました。11カ国語で開いている寺のホームページを見てきた人がほとんどなので、安泰寺の共通語も、いつの間にか世界各国訛りの英語に変わってしまいました。
そこで大事なのが、お互いの言語を学ぶ事だけではありません。言葉の違いより、コミュニケーションの違い、人間同士の関わり方の違いが問題化しがちです。そして、それはこれから雪に遮断される「静かな」時期にこそ表面化します。山は静かですが、それぞれの心の中はそうでもなかったり…。
おなじ釜の飯を食べていながら、「以心伝心」でもなんでもコミュニケーションをとり、切磋琢磨される…、これこそ多くの参禅者にとって今の安泰寺では一番大きな公案であり、一番大変な修行でしょう。
欧米型のコミュニケーションは、「私」と「あなた」がそれぞれ山頂に立って遠いところから叫び合うようなものです。日本人ならそこで深い井戸を掘って、共有できる水脈を互いに探ろうとするでしょう。山頂で叫び続けている欧米人の参禅者は「どうして日本人から返事が返ってこないのだろうか」と不思議に思っている一方、黙々と井戸を掘り続けている日本人は「どこまで深く掘れば、ヤツラに伝わるのだろうか」とため息をつきます。】
社会全体を考えた場合と、安泰寺のような「プチ社会」でもあるコミュニティの場合は違いますが、いくつかヒントは得られると思います。ある講演のあと、こう言われました。「日本は少子化に苦しみ、とくに地方では過疎化も進み空き家は増えている。そこにドンドン外国人を迎えて、一緒に仲良く暮らそうではないか」、と。「多文化共生」が提唱されるとき、多くな場合はこの「様々な文化、様々なアイデンティティの人が一緒に、仲良く暮らす」という発想が背景にあるのではないかと思います。ところが、そう簡単にはいかないと思います。「多文化共生」という時、まず考えなければならないのは、「多文化」の「多」に重点を置くか、「共生」の「共」に重点を置くかです。「共」ばかり強調してしまえば、文化の多様性は失われてしまうし、「多」ばかり重んじてしまえば、「公共性」の方で問題が生じてしまうからです。ハッキリ言えば、「多文化共生」の「多」と「共」は100%共生できないのです。
多文化がある程度、共生できるためには、まず必要とされるのが共通語です。問題は、言葉自体はすでにある文化圏に属しているので、皆が同じ言葉を学び、同じ言葉でコミュニケーションを取るということは、発言者全体にあるコミュニケーションスタイルを強制することでもあるのです。安泰寺の場合は、日本人が英語でのコミュニケーションを強いられるか、外国人に無理にでも日本語でコミュニケーションを取らせるかです。それは言葉の学習の強制ばかりではなく、人間とのかかわりあいのパターンを特定するだから、特定の人間関係の強制を意味します。私の希望として、日本の中に存在している安泰寺では、日本語でコミュニケーションを取って欲しいものです。しかし、安泰寺を訪れている人たちの6割は、日本語を全く理解していないため、それは現実的には無理です。かといって、「安泰寺の共通語は英語」を公言してしまうと、それは「安泰寺における人間関係も、西洋的・アメリカ的人間関係」とほぼ同意義です。それではまずいでしょう。
お互いに少しでも近づくために、私が師匠から学んだもっとも大事な教訓、「安泰寺をオマエが創る」と「オマエなんか、どうでもいい」を活用したいと思います。安泰寺というプチ社会には各々が責任を持って関わっていなければなりません。関わらなくてもよいと言う人はここに一人もいないというのが、「安泰寺をオマエが創る」という言葉の意味です。ところが、10人が10人でばらばらに、それぞれの個人的な安泰寺を作り上げてもらっても困ります。10人が10人で力を合わせて、一つの安泰寺を創るためには、各々が「自分を忘れる」ことも出来なければ、ダメです。そして、これは社会全体についてもいえることと思います。大人なら誰でも積極的に「社会造り」に関わっていなければなりません。なぜなら、「自分の社会」だからです。ところが、そのためには自己主張ばかりではダメで、むしろ自分を抜きにしてから関わらなければなりません。
多文化共生を考えて場合、共生すべきそれぞれの文化の社会人は、一つの社会を作り上げるために、それぞれの文化から得たものを活用しながら、それぞれ自分の文化を手放し、忘れることもできなければなりません。そこで生まれてくる新しい社会と文化は、願わくは、一つの「グレー色」の、グローバル一色のものではなく、それぞれの文化の色合いを残していながら、それをすべて抱擁できる、普遍的かつ寛容な母胎でなければなりません。
異質な者同士が同じ社会の中で生活する時、いくつかの「共生パターン」が考えられます。下の画像は「エックスクルージョン」「セパレーション」「インテグレーション」「インクルージョン」という四つのパターンに分けています。ドイツのウィキペディアの「Integration」の項目から拝借いたしました。
この画像を作った人は恐らく、「エックスクルージョン」よりは「セパレーション」、「セパレーション」よりは「インテグレーション」、「インテグレーション」よりは「インクルージョン」の方が進歩的で望ましい社会のあり方、と考えていたのではないかと、勝手に察しています。「エックスクルージョン」とはかつてのアメリカ人社会のような社会です。白人のみがその社会に参加できていたのです。いわゆる「有色人種」は完全に差別されていて、ちゃんとした社会人にはなり得ません。日本にあった部落差別も、「エックスクルージョン」の典型的な例といえるかもしれません。「セパレーション」はそれより一歩進んで、差別的な意識はないが、とにかく違う者は分けておいて、それぞれの社会をセパレートする、という形式です。奴隷制度をなくし、表面上にあらゆる人の平等を称えてきたアメリカでも、「エックスクルージョン」がだんだん「セパレーション」に変わりました。黒人も学校に行けるようになりましたが、それは黒人専用の学校。住む地域も別ですし、かつては公共のトイレまでは「white」と「colored」で別れていました。それも差別ですが、そのうらには「それぞれの人にはそれぞれのものを」という理屈があります。「セパレーション」の全く別な例ですが、日本の鎖国があります。その時の日本は世界には口出しもしない、関わりもしない、そのぶん口出しもされたくないというポリシーを取りました。そして中国とオランダ以外の国との外交は拒否したようです。オランダ人も自由に国内で行動が出来たのではなく、長崎の出島にオランダ人街があったのです。そこには恐らくオランダ人だけが住んで、オランダの風習があって、オランダ人の自治体のようなところではなかったでしょうか。今も、日本にある米軍の基地も、日本国の法律が適用されないという意味では、まったく「セパレート」です。
しかし、完全にセパレートというのは無理ですから、一つの社会の中で住む上、ある程度統一された学校教育と公共の環境が必要でしょう。そして、「共生」するためには、価値観・人間観・世界観もある共通の基盤の上で立っていなければ、成立しないはずです。肌の色々こそバラバラでいいでしょうが、休日の過ごし方もばらばら、恋愛観もばらばら、男女関係もばらばら、仕事に対する姿勢もばらばら、ということになると、どこかでギクシャクになります。上の画像では、「インテグレーション」の時点で、異質な者たちは「異質な者たち」として、多数派を占める「赤い人たちの社会」に組み入れられています。この時点で「赤い文化」の価値観・人間観・世界観を共有しているのでしょう。また、赤い文化にある程度、平等かつ自由に参加できているのでしょう。しかし、「異質」という認識が全く消えているのではなく、差別も皆無とはいえないでしょう。むしろ、異質な者がもっと大きな物に統合されてしまった、という形でしょう。そして「インクルージョン」の時点で、ようやく「統合する側」「統合される側」という違いもなくなり、それぞれの人は自分の持ち味(色・文化)を保有しながら、完全に平等かつ自由な社会人、同じ土俵で関わり合っている、同じ社会を形成しているのでしょう。これが理想です。
多くの理想がそうであるように、この理想にも多くの無理があります。私は、多文化共生には、下の画像で示している四つの可能性があると思います。
一番上の「エックスクルージョン」は先の差別社会と同じですが、私が考えている「セパレーション」「インテグレーション」「インクルージョン」 のあり方は先とちょっと違います。「セパレーション」から時代を経て段々「インクルージョン」に近づく、というのは私の考えている「多文化共生」ではありません。むしろ同じ社会の中に同時にセパレーション的な要素も、インテグレーション的な要素も、インクルージョン的な要素も必要ではないかと思います。そして、目指すところは完全な「インクルージョン」よりも、「セパレーション」と「インクルージョン」の間、両方を会わせた「インテグレーション」だと考えています。なぜかといえば、完全な「インクルージョン」という社会があれば、そこには多様性なんかありえないと思います。それはグレー色ばかりのグローバル人しか住めない社会になってしまいます。そういう社会は一見、一番寛容にも見えるのでしょうが、一番排他的でもあります。グレー色以外の人、グロバル化されていない人はそこに住めないからです。多様性を保つためには、セパレーションも必要だと思います。
具体的に言います。例えば、電車の禁煙車と喫煙車のように、煙草を吸う人と吸わない人がそれぞれ、気持ちよく同じ電車に乗ってもらうためには、「禁煙車」と「喫煙車」をハッキリと分けることが一番簡単です。
『そんな差別なんかしないで、皆で仲良く乗ろうじゃないか』
といっても、うまくいかないでしょう。
『吸いたい人は勝手に吸えばいいし、吸いたくない人は勝手に吸わなければいい』
というのであれば、それでは従来の喫煙車と同じです。
『それじゃ、禁煙者の迷惑を考えて、電車に乗っている間だけ煙草を遠慮してもらおう』
というのは、「全車禁煙」を意味します。
かといって、禁煙車と喫煙車を分けていても、公共で往き来できるレストラン、トイレ、電話など、そして駅のホームがあり、そこを喫煙してよい場所にするか、禁煙にするか、という問題が多々あります。昔はむしろ寛容で、皆が使うところでは吸っても吸わなくてもいい、最近はむしろ厳しく、公共の場は禁煙です。つまり、喫煙車の居場所はなくなりつつあります。
一番大事で一番難しいのは、多様性をセパレートによってある程度守っていながら、きちっとしたルールと寛容性の両方を持つ、インクルージブな社会を作ることです。先の例でいえば、喫煙車も禁煙車も共に乗車できる、気持ちよく乗れる電車です。しかし、私たちが住んでいる社会は電車と違い、終点に辿り着くまで同じ車両で過ごせるわけがなく、家庭で過ごす時間、学校で学ぶ時間、友達と遊ぶ時間、会社で働く時間、通勤している時間、買い物している時間、それぞれの時間と空間に創造される「プチ社会」がそれぞれ絡み合いながら存在し、完全にセパレートも出来なければインクルージョンも出来ません。
喫煙車のような文化圏もあれば、禁煙車のような文化圏もあります。ある意味では「喫煙車的」であり、別な意味では「禁煙車的」な文化がほとんどだと思います。例えば、男女の恋愛にも飲酒にも寛容だが、仕事の出来には厳しく、マリファナはもってのほか・・・という文化もあれば、男女関係には厳しく、マリファナならともかく、飲酒は許さないが「働け働け!」ともうるさくいわない文化もあります。そしてそのほかにも、たくさんの文化があります。一つ問題になるのは、禁煙車のように、一見弱い者に優しい文化が、逆に排他的にならざるを得ないポイントです。喫煙車のような、「どうぞご自由に」という文化がある意味「寛容」です。寛容といっても、もちろん禁煙者には全く配慮しないのです。そういう「寛容」な喫煙車の中にも、禁煙者がたくさん乗って来て、「俺たちにも少し配慮してくれ!」といった時に、どう対応するか、が問題です。今の安泰寺に生じてくる様々な現実問題の多くも、これに類しています。
三月から、色々な具体例から学び、考え、アイデアを出してみたいと思います。
(ネルケ無方)
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