安泰寺

A N T A I J I

火中の連
2011年 3・4月号

起きる人、起きない人
サバイバル・レッスン (Part 2)


 「サバイバル・レッスン」の二弾目です。今年の一月に「サバイバル・レッスン(Part 1)」を書いていたときには、こんなに急に日本人のサバイバルが切実な問題になると、私も思っていませんでした。 しばらく前に、「30年後の日本から難民は出る」とテレビで発言し、スタジオをびっくり仰天させた占い師がいましたが、彼女も今回の天災・人災は予測できていなかったようです。難民はすでに日本から出ています。 今までの50年間、人生はともかくとして、日本の生活だけは豊かなものでした。これからは下手したら、生活も人生同様に貧しいものになるかもしれない、という危機感を改めて持った人も少なくないでしょう。 逆に、今回の天災・人災こそ日本をもう一度、ゼロにリセットし、生活よりも人生を豊かにし、人間のつながりを大切にし、お金で買えないものこそがあふれる国にしようではないか、という高い希望を持っている人もおられるでしょう。 私自身も実は、そう願っている一人です。

 安泰寺で生活している私たちを、変な趣味人としか思っていない人もいたでしょう。冬の間中、毎年3、4ヶ月間、郵便物が届かないところで穴倉で貯蔵しているサトイモと、雪の下で埋もれているにんじん・ごぼうと大根で食いつないでいながら自給自足する生活の狙いは何か? 21世紀に背いていて、何が楽しいのか、そう思っている人もいたのではないでしょうか。倒れた木で電線や電話線が切れて、外部との連絡が取れなくなったことはこの10年間、幾たびもありました。今年のお正月も、紅白合戦の途中から停電となり、ろうそくだけの元旦でした。 こういうときこそ、電気にもガスにも頼らない、薪のかまどとボイラーが決して趣味ではなく、時代の先端を行っていることがよく分かります。安泰寺のような生活のよさ、そのためのサバイバル・ノーハウは一部の趣味人ではなく、多くの日本人が再発見しなければならないかもしれません。

 昔の世の中には「奴隷制度」がありました。たくさんの人はつらい労働を強いられている一方、一握りの特権を持った人たちは権力を振っていました。また、高い文明・文化をも創造していました。しかし、その背景にはその高い文明・文化を共有できない人たちの苦労があったことを忘れてはいけません。 今の世の中は違うと確信している人は多いではないでしょうか。日本には格差があっても、奴隷はいない、と。たしかに、一部の外国人「研修生」を除けば、日本には奴隷がいません。しかし、目に見えないところには奴隷がたくさんいますし、彼らの搾取の上にしか今の日本の豊かな生活が成り立ちません。 その奴隷はいわゆる「発展途上国」です。発展途上国には、いくらがんばって働いても、生涯家や車を買うことどころか、子どもにまともな教育すら施せない人はいっぱいいます。私たちが100円ショップや業務用スーパーで買っている多くの品物は彼らが作っています。 つまり、日本や欧米に住んでいる「先進国」の私たちはある意味では奴隷所有者です。もちろん、その自覚はまったくないのです。「奴隷制度」ではなく、「自由貿易」という甲板を抱えているからです。しかし、中身はほぼ同じです。 日本は戦後、世界一意地悪ないじめっ子のアメリカとお仲良しになり、そのいじめっ子の顔色を伺いながら世界中の多くの国がいじめられるのを黙視し・黙認し、場合によって手伝いもしてきましたが、いずれ自分たちもいじめられる側に回されるのでは、 という恐怖心を脱ぎ捨てられていないのではないでしょうか。とくに問題視にされているのは、国民の多くがほとんど奴隷に近い生活をしてきた中国がこのたびアメリカより強くなって、新しい「世界のいじめっ子」になってしまえば、アメリカに見捨てられて、日本こそ今度はいじめられっこになってしまうのではないか、ということです。 そういう可能性は、確かにあると思います。そうならないためには、「先進国」と「発展途上国」の奴隷制度を廃止し、世界と共生しながら自立し、国際交流をしながら自給自足し、自分の頭で物事を考える能力も身につけておかなければなりません。

 「サバイバル・レッスン」というのは、そのためにどうすべきか、を学ぶことです。日本経済をかえるべきか?政治の改革か?教育の改善?家族のあり方、お年寄りと若者、男と女の役割、社会での縦と横のつながり、田舎と都会、地域の連帯感、個人と共同体、いろいろな課題はあると思います。 その中でももっとも基本的なものは今まであまり問題にされてこなかったではないかと思います。それは何かといいますと、日常生活の流れ、一日のリズムです。

 日本に来て強く感じたのは、「日本の朝は遅い」ことです。ドイツに比べれば、2時間くらい遅いと思います。

 留学生として京都に来ていた当初のことです。朝の七時頃、焼きたてのロールパンを買い求めるためにパン屋さんを捜し当てましたが、ようやく見つかったその店の開店時間はなんと朝の十時。そして閉店時間もなぜか夜の十時。

 ドイツでは考えられないことでした。何せ、ドイツ政府が飲食店以外の店の閉店時間を午後六時に決めていましたから、それ以降は何も買うことはできません。おまけに、土曜日の昼から月曜日の朝までは、どこの店もシャッターを下ろします。この法律の狙いは、店員を雇い主の搾取から守ることでした。その分、平日の開店時間も早くなっています。どんなに遅くても八時頃はたいがいの店は開いています。ましてや焼きたてのロールパンを、朝ご飯に間に合うように提供することが命だとされているパン屋さんは、日が昇る前の六時頃には開いているはずです。

 不思議に聞こえるかもしれませんが、ドイツの朝六時は日本の朝六時よりさらに早いのです。なぜかといえば、日本のお彼岸には、日は朝の六時に昇り夕方の六時に沈みますが、ドイツでは昇るのも沈むのも七時半ころです。ですからドイツの大人も子供も、日の長い六月や七月を除けば、日の出より早く出勤し登校します。そして暗くなる前には必ず家に帰ってきます。

 さて、ドイツと日本の学校の時間割です。

 一年の大半、ドイツの学校は日の出より早く、朝の七時過ぎから始まります(お彼岸の日の出の時刻は7時半)。昼までに六時間の授業が終わります。家に帰って昼食を食べ、午後は宿題をしてから友達とサッカーなどをします。学校は給食も提供しなければ、保健室もありません。ウサギ小屋もありませんし、部活にも日本ほど力を入れていません。したがって、子供の健康管理をするのも、命の大切さを教えるのも、親であると相場が決まっています。ドイツ人が理解している「親」の意味は単なる「保護者」ではなく、教育者です。それもあって、親はできるだけ早く家に帰り、家にいる時間を長く取るのです。

 一方、日本人は明るくなってから家を出て、暗くなってから帰宅するのが当たり前のようです。「早く家に帰らねば」という焦りは全く感じません。むしろ早く帰ると、「あなたは何でこんなに早く帰えってくるの?」と家人にガッカリされることもあるようです。欧米に「人は人のオオカミなり」という諺がありますが、日本ではむしろ「オカミサン」の存在が怖いのでしょう。帰宅時間が遅ければ遅いほど、「よくがんばったわね」と「オカミ」の機嫌も良く、晩酌のお許しも得やすい。「結果がすべて」の欧米と、「がんばるのが一番」の日本の差でもあります。

 情けないですが、ネルケ家もそうです。私は3時45分起床し、2時間の坐禅をします。そのとき、妻と子どもはもちろん、まだ寝ています。坐禅のあと、私は家族とではなく、寺の修行者たちと朝食をいただきます。6時40分、寺の修行者たちの朝食が終わり、応量器が片付けられると、掃除が始まります。このとき、家人はようやく布団から出ます。子どもたちがネルケ家定番の卵がけご飯を口に運んでいながら、妻から「遅いよ、スクールバスに間に合わないよ」と起こられてしまいます。「あなた、何か言ってよ!」と、私までが攻められています。 私が「夜はもっと早く寝て、朝はもう少し早く起きて、ゆとりを持って行動すれば?」というと、逆効果です。「早く起きたって、だらだらするだけだよ。私だって早く寝たいけど、あなたが汚れた作業着で床を汚すから、掃除も片づけも時間はかかるのよ、あなたのせいで!」。どうやら、おなじ屋根の下で生活をしていても、ドイツ人と日本人の時間の使い方・感覚は違うようです。また、私が寝たあとの夜の時間は、妻にとってほっとできる、唯一の時間帯のようですから、「早寝早起き」にはなれないでしょう。

 ネルケ家はそれで致し方ないにしても、修行寺はそうは行きません。安泰寺の住職になって変えたことは、寺の一日のスタートを75分早めたことです。それから、一日の作務が始まる前の「作務ミーティング」の導入です。以前は夕方の「ティ・ミーティング」兼「反省会」はありましたが、作務にかかる前の打ち合わせや段取りはされてきませんでした。皆が暗くなるまでアクセク働いて、破れかぶれになっても、その日の夜には「効率が悪すぎる、無駄な苦労だ」とごもっともな叱りをいただきながら、改善されることはなかったのです。そもそも何が目的で、その目的の達成のためにどうしたらよいか、分からなかったからです。ただがんばればよい、というふうに。 田んぼの草取りをとっても、とにかく草がまだ見えないうちに田車を押して、それを取り除くのがコツですが、ほかの事で忙しいと、どうしても「まだ草も出ていないから、田車はまだいいだろう」と高をくくってしまいます。そしていざ草が稲を間で伸び始めると「たいへんだ、稲が負けそうだ」といううことになって、皆が一生懸命、田車を押し始めます。ところが、素人の目に留まるまで草が伸びてしまうと、手遅れです。田車が草ばかりではなく、稲までいためてしまいます。しまいには、田車なんか押さずに、真夏の炎天下皆が手で草をとってしまう始末に・・・ようは、安泰寺でも作務の目的・段取りと効率を考えないと、後手後手になってしまいます。 さいごには、「皆よくがんばったから、しょうがない」ということで自分たちにエールまで送ってしまいます。問題は、がんばったかどうかではなく、出発点です。スタートで狂ってしまうと、あとはいくら「一生懸命だ」、「がんばろう」、「何とかせねば」といったところで、どうにもなりません。

 家庭や仕事場にもまして、国もそうです。戦争の「竹やりで戦車に向かう」作戦も、原発事故がおきても丸一日は「大丈夫かもしれない」とのんきに過ごしてから、天上が吹っ飛んで「やっぱりたいへんなことになってしまった、だれか命がけで水をまいてくれ」と、手遅れになってからはじめて本気になってしまいます。もちろん、だれも先頭に立って「竹やり式」で危険な作業をしようとしません。最後まで他力本願です。 この根性の元は、やはり子どものころから、早起きして、一日の流れの自分の努力の力で決める、という体験をしていないと関係している気がします。起きていたら、日はもう上っていた、朝ごはんを食べていあたら、もう学校の時間だった。学校が終わったら、日はもう沈んでいた。一日中、後手後手と、いつも時間に追われていた、管理されていた環境に身をおいていた。自主的に時間を使い、自分の時間を過ごした経験がない。「私の時間を、私が創造する。この一日は私のもの」という感覚も、「私の行動の責任は、私以外の誰にもない」というかんがえはまったく育ちません。ですから、いざ「有事」のとき、だれもリーダーシップは取れません。命をすてる「救世主」が表れているときには、 大体はもう遅いのです。悲しいことです。

(ネルケ無方)

<<< 前号 目次 次号 >>>


Switch to English Switch to Spanish Switch to French Switch to German Switch to Czech
Switch to Chinese Switch to Italian Switch to Polish Switch to Dutch Switch to Russian