火中の連
残す人。残される人。それを端から眺める人。 |
今回、日本を襲った悲劇的な大震災で、貴女がまだ日本に残していた物へも多少は影響があったのはないでしょうか。それより、なにより、かわいそうなアサさんは大切な友人や家族と連絡が取れたのでしょうか。今回の震災は、大きく大地を揺さぶり、人々をも動揺させました。それはもしかしたら、常日頃から私たち人類が自然へもたらしているおごりへの報復ではないでしょうか。
オーストリアの詩人リルケが グディ・ネルケという人に宛てた手紙の一節です。時は1923年、関東大震災の後でした。グディ・ネルケは写真中央の厳しい表情のおばさん。私の曾祖母です。その左に坐っているのがアサさん、日本のメイドさんです。一番左には若き祖父ライムンド、手前には祖父の兄ハンス、右には妹レナーテです。家族は20世紀のはじめに日本に移り住んでいました。第一次世界大戦の直前に帰省のつもりアサさんをつれていったん帰国しましたが、戦争勃発後はアルプスのちいさな山村に住み、曾祖父は1916年には病死してから日本に戻れない身となってしまいました。
日本を離れたとき、アサさんはフミちゃんというちいさな子供をご両親に預けました。「アサさんの大切な家族」とは、別れて十年目の、もうだいぶ大きくなった我が子とご両親のことです。数週間経ってから分かったことでしたが、アサさんの家族は無事でしたが、家が焼けて全壊でした。その後も、アサさんはずっとネルケ家の子供たちの世話を見続けます。
1960年代に入って、ようやくローマの日本大使館でパスポートを取得しましたが、1972年にやはり南アルプスのちいさな村でな亡くなるまで、一度も日本に帰ることがありませんでした。彼女のお墓は今も、Gratschというそのちいさな村にあります。もう百年近く前の当時の経済的・政治的そして社会的な事情こそあれ、アサさんを親や子供の待っている日本に返そうと思っていた人は、ネルケ家には一人もいなかったでしょうか。ああ、いう言葉もありません。
(ネルケ無方、2011年9月6日)
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