流転海07

安泰寺文集・平成19年度


泰倫 (山梨県・六十五年式・逆輸入僧)


師匠譲りの無愛想で小僧の時から損ばかりしている。僧堂にいる時分態度が気に入らないと目を付けられ特にいじめられたことがある。なぜもう少し上手く立ち回れなかったかと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。その前の年まで海外にいて好き放題にやっていたものだから自然態度が生意気に見えたものらしい。古参の一人が「とにかくお前の目が気に入らない」などというものだから、生来の負けん気が頭をもたげただけのことである。また別の古参が「君のような生活態度ではこの先とんでもないことになるぞ」などといって脅すものだから、「私はずっとこうでしたからこの先もずっとこのままだと思います」と答えた。

 そんな私が初めてポーランドをおとずれアウシュヴィッツをたずねた。そこがどのような場所であったかは言を待たぬ。膨大な量の遺品の山がそこでかつて行われたことの意味を無言のうちに示す。胸の悪くなるような呪われた土地だ。かつて中国大陸や朝鮮半島で日本が行ったことを知らぬでもない。だがそれはこれほど組織的ではなくまたある意味論理的でもない。ある種の情動に基づくもっと衝動的なものだ。その論理性が持つ底の知れぬ薄気味悪さにようやく自分がかつて受けた屈辱を許せるような気がしてきた。比べることの不謹慎さは別としても。

 初めておとずれたポーランドで、命がけともいえる真剣さで座禅に取り組む人たちの姿に触れ深い感銘を覚えた。何故?何のために?その答えは私にはついに分からなかった。だが遠い異国にあってもそこだけが何か特別な場所のように思えた。たとえそれが迷鳥であったとしても、はるばると日本までやって来たコウノトリたちが持ち帰った禅文化の種が、やがてかの地で大輪の花を咲かせることを私は信じてやまない。

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