流転海07

安泰寺文集・平成19年度


修 (広島県・四十九歳・タクシードライバー)


昨年の文集も百姓ネタでしたが、今年も百姓ネタです。
昨年は「種」だったので、順序から行くと今年は当然「土」となります。
今後、「水」とか「太陽」とか「風」とか、調子に乗って言い始めるかどうかは、保証できません。

しかし、今年は次男が病気になって思うように百姓はできませんでした。
時間がないので、耕さずに直接種籾を播いて稲を育てる、不耕起直播方式で陸稲を栽培したり、大豆、ニガウリ、山芋などの比較的手間のかからない作物を作ったり、ジャガイモなどは、春に沢山作付けて、半分だけ初夏に収穫し、残りの半分はそのまま放置して草むらにしておいて、九月上旬に草刈して、再び発芽してきた秋芽が今育っています。
これは私がよくやる手口で、今年よく育った山芋も昨年一作して成績が良くなかったのでそのまま放置して冬を越し、この春出てきた芽を育てたものです。
サトイモなどでは、この方法で植えっぱなしにしておき、食べる分だけとって食べれば何年も毎年毎年収穫できます。

日本の百姓は、いまだに封建社会の名残りで非常にまじめです。
こんな横着でいい加減な作り方をすると白い目で見られますが、農作物を商品ではなく食物として作る立場としてはこれは当然のことで、何もせずに毎年生えてきて腹を満たしてくれるタケノコ、ワラビ、タラの芽などは、もっとも重要で優良な作物?です。
うちの周りでは、これらの山菜類のみならず、冬にはその辺の沢の底を掘ると小さなハマグリほどのシジミが出てくるし、石の下にはサワガニが沢山います。
藪の中のキジやコジュケイは年々増えていますし、神社では年に二三度、山で取れたイノシシ肉の焼肉パーティーが催されます。
近所のジィバァはあぜ道でマムシを見つけると急いで火バサミと一升瓶を取りに帰ります。
美味しくないので最近は取らないけれど、昔はタヌキやフクロウも捕まえて食べたそうです。(*注:決して私がこれらの物を食べているわけではありません)

食物としては何もせずに手に入るものほど良いわけです。
できれば、稲も麦もみんなそういう状態に持ち込みたいとまで思っています。
東南アジアやインドのような暖かい地方では、昔からそういう半採取的農業が一般的だったのではないかと想像します。日本でも縄文時代の主食はドングリだったようで、今ではちょっと想像しにくいのですが、当時の原生林では直径一メートルを超える栗やドングリやトチの木はざらに有ったようですから、そこから採取される木の実の量は膨大なものだったでしょう。
もし、古代インドの農耕がそのような半採取活動だったとしたら、そうやって集められた食物を托鉢することで成り立つ修行者の生活も無理のないものだったのかもしれません。
人間は物の実質的な価値には関係なく、苦労して得たものはなかなか他人に渡しませんが、楽して得たものは喜んで分け与える傾向があります。
田舎の農村地帯では、黙っていても裏口に山ができるほど野菜をもらえますし、漁港に近いところでは、毎日タダで魚が自動的に台所に舞い込んで来る事も珍しくありません。

この大変好ましい状況が、中国、日本と北上するにつれて、そして時代が下るにつれて、厳しいものになってゆき、何の事情か知りませんが中国で禅が成立すると話は一八〇度ひっくり返って、自ら関与し苦労して作物を得る集約的農作業に変わってゆきます。
そしてついに日本に至って、マジメで勤勉な国民性と世界でも稀に見る超集約的農業の伝統との相乗効果で、禅寺も一般の百姓も手間をかけてキチンと作る、人為的管理栽培が当たり前のことになってしまったのだろうと想像します。

しかし、現代でもなお、私のような粗放放任栽培で一家六人のお腹を十分満たし、農薬も除草剤も化学肥料も使わずに(*注:環境のためではありません。お金のためです。)毎日の食膳に一般家庭より数倍豊かな食物が並んでいる事実があります。

昔から、熱帯地方のように、ほっといて出来るものなら、何も資本や労力をかけたりはしないでしょう。これには、いろいろなカラクリがあります。

江戸時代一八五〇年頃の日本の人口は三〇〇〇万人くらいだったようです。
一九一二(明治四十五)年に五〇〇〇万人を超え、一九三六(昭和十一)年に、六九二五万だそうです。一億人を超えたのは一九六七(昭和四十二)年です。

水田面積は一八〇〇年代前半には一五〇〜一六〇万fで現在は二七〇f(一九九七年)前後でしょう。
倍の面積で四倍近い人口を養っているわけです。

水稲の十e(三百坪)当たり収量は江戸時代には二百sくらいだったようです。昭和三十五年には三百七十一s、現在五百二十二sです。江戸時代の倍以上の米が取れています。
今年私がやった陸稲の不耕起直播放任栽培、つまり耕さず、田植えもせず、農薬もまかず、二,三回の施肥中耕除草だけのホッタラカシ栽培でも三百s/十eくらいは取れています。江戸時代の一.五倍です。

この収量が可能となるもっとも大きい要因は、品種改良でしょう。丈夫で多収の品種が米や麦でも野菜でも沢山開発され、昔の作物より容易に栽培できしかも沢山取れるようになっています。
化学肥料と農薬と農業機械で収穫量が増えたという人もいますが、それは営利経営の場合の話で、自給なら私のようにそれらの物を使わなくても、そこそこ取れます。

ほっといたら病気や害虫や雑草が蔓延して取れなくなるという人もいますが、私は「ほっとき方」の問題だと思います。雑草は発芽初期にタイミングよく防ぐとあまり増えません。病気や害虫が出るのは確かですが、薬品を使わないことでクモやカマキリ、カエルなどの捕食者も増えるので、虫害がまるまる〇から一〇〇に増えるわけではありません。
捕食者や有用菌が増えて病害虫を抑止するように仕向けることは比較的簡単です。
ただし、販売を考えるとほとんど貨幣価値のない作物になる場合がよく有ります。
それは、見た目や規格の問題で、自分で食べる分には問題ありません。

もうひとつの大きな要因は、温暖化ではないかと思います。稲はもともと熱帯植物なので気温や水温が高いほうが良く育ちます。
温暖化は稲だけでなく野山の草木の生育も促進しますし、落ち葉や枯れ草、枯れ木などの有機物の分解も進みやすくなり、山から出てきて田んぼに流れ込む水に肥料分が溶け込む量も増えてゆきます。つまり富栄養化すると言うわけです。
稲に与えた菜種油粕や米ぬかなどの有機肥料も分解が早くなり、効きが良くなります。

ここからが本題です。
それでは、山を切り開いた造成地に稲を播いたらどうなるでしょうか?
たぶん収量は半分程度までしかいかないでしょう。それ以前に水を貯める事ができません。
陸稲を作ったとしても、田畑で作るようには育たないのではないかと思います。
急傾斜地にへばりつくような棚田ではあっても、灌漑の水路と畦があることによって、稲や野菜の栽培に適した「耕地」となり、里道があるおかげで軽トラで資材や収穫物を運べます。
これらのインフラは昔、山の斜面を棚田に切り開いた時から営々と整備されてきたものです。
それどころか、この田んぼの底には赤土粘土の層があります。これも、もしかしたらこの田んぼを作ったときに山から赤土を運びこんで突き固めたのかもしれません。このため水が染み込みにくく、水持ちが良くなっています。
その赤土の上の田土は、肥え土と呼ばれ、以前、部落の古老に聞いた話では、向かい側の山の林床に堆積した腐植土を集め、もっこで担いで運んできたのだそうです。それは昭和の初め頃かもしれません。あるいは、場所によっては戦後の食糧難の頃かもしれません。
人一人が立てるくらいの面積と言っていましたから、多分タタミ半畳程度でしょうが、その面積分の肥え土を運んで田を作ると一日分の日当がかかったそうです。
私が不耕起直播放任栽培で稲やジャガイモが作れたりするのは、品種と温暖化だけではなく、この田畑という栽培設備があるからなのです。

よく、「土作り」という言葉を聞きます。作物を作るためには、まず、土作りをしなければならない。良い土ができていないと、作物は育たない。という話を聞きます。
私は土作りなど一度もしたことはありません。常日頃、できるだけ落ち葉や藁などの有機物を土に鋤き込むようにしているだけで、特別なことはしません。堆肥も作ったことはありません。それでも必要なだけの作物はできてきます。
それだけ、この田畑の土は強力なのです。十年以上何もしなくても、そうそう地力は落ちないのです。

丈夫で多収の品種、暖かく養分の多い環境、田、道、水路、土壌などのインフラ。 私はこれらの内、どれ一つとして自分では用意していません。
病虫害が出たり、農作業がしんどかったり、気候が悪かったりで、農業としては相当悪い成績を収めていますが、食べるだけは食べられていますし、スーパーの野菜などと比べて、鮮度が高く有機栽培なので、毎日うまいものを食べています。

仏教書などに、在家での信仰や修行について、いろいろ書いてあります。在家か出家か、と言う問題は古くから有るようです。在家で立派に修行なさっている方も居られるでしょうから、どちらがどうという議論はナンセンスでしょうし、私はそれを論ずる立場でもありません。

田畑で健全に育ってくれている作物を見ていると、お寺や道場の役割はそういうものなのではないかと想像します。
何事をするにしても、適した環境と不適切な環境が有るのは分かりきった事ですが、また、そこに個人差と言うものも有るでしょう。遠くの花は綺麗に見え、人の食っている餅は美味そうに見えます。
自宅で一人で坐禅していると、「どうも、これは・・・・・・・」と成りがちです。ましてや、仕事などが忙しくて坐禅をサボっていると、「在家では・・・・・・・」。

他に、比較しうる別のものが有ると思った時点で、すでに自己の坐るべき場所は見失われているのかもしれません。

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