火中の連
足の組み方(5) |
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一年前から「足の組み方」について、蘊蓄をたらしています。当初は二つの問題点から出発しました。 その一つ目は 沢木老師のいう「足を深くのせる」という場合の「指先が腿の外側に達せしめると云ふ氣持」の「氣持」の意味でした。「実際に足指は太腿の間中あたりにのっており、外側に達していないが、一応深くのせているつもりで坐ってみろ」という意味で取るべきなのか、それとも「実際に足指は(最初は無理かもしれないが)太腿の外側に達するように、工夫せよ」といいたいのか、という問題です。 そして私の答えは、実際に足指は太腿の外側に達するように、工夫した方がいい、というものでした。右と左の沢木老師と内山老師が書かれたと思われるイラストもその通り足の組み方を示しています。そうすることによって、両膝と尾てい骨が正三角形の形になり、非常に安定した姿勢で坐ることができます。足指の位置にこだわることなく、両かかとを胴体にピッタリつけますと、だいたい同じ形になるはずです。 誰にでもすぐ組める姿勢ではありませんが、去年の9月号で紹介致しました色々なストレッチング体操で足を柔らかくし、段々組めるようになるのではないかと思います。 |
驚いたことに、本やインターネットで見るほとんどの坐禅の説明は足の正しい組み方重点を置いておらず、とくに足指やかかとの位置に言及しておりません。坐禅の見本として紹介されている写真やイラストの場合ですら、理に適っていない、いい加減な足の組み方がよく見受けられます。仏像も、決していい見本とは言えませんでした。細かい問題に見えるかもしれませんが、安泰寺のように年間1800時間を「あるいは結跏趺坐、あるいは半跏趺坐」という姿勢で過ごしますが、決して一笑に付すような問題ではないような気がいたします。妻にお願いして、下の二枚の写真を撮ってもらいました。
自分ではかなり頑張っていたつもりでしたが、これらの写真で見える姿勢も決して完璧なものではなく、特に形と頭が横に歪まれており、鼻の先はピッタリ親指の上には来ていません。言い訳がましいかもしれませんが、じつはあの時ふざけて遊んでいる子供たちに邪魔されていたのです。
坐禅の姿勢そのものは決してバカにしない方がいいと思いますが、坐禅を組んでいる自分自身がバカにならなければならない時もあります。あまり人のことが言える立場ではありませんが、下のビデオで坐禅の仕方を紹介してくれている3人の外人達のバカ加減もなかなかのものです。 |
左のビデオの4分15秒の時点での手の置き方をお見逃しなく。間中のビデオでは6分10秒の時点から本格的な坐り方の説明に入ります。この3人はひょっとして、同じ人物ではないでしょうか。
去年定義したもう一つの問題は、次のようでした。「どうしても原則的な組み方が出来ない人は逆の組み方でもよい」という沢木老師の注意書きが「正しい坐禅の仕方」の中にありましたが、「原則的な組み方」とそうでない組み方の違いです。道元禅師は「結跏趺坐=左の腿に右の足をのせ、右の腿に左の足をのせる。半跏趺坐=右の腿の上に左の足をのせる。」、つまりどちらにしても「左が上」という「原則的な組み方」にしか言及しておられません。たまたまその逆の組み方に言及していないだけなのか、それともハッキリした理由があってそうしているのか、ということが考えられます。理由はないはずがないと私は思いますが、その理由は単に歴史的・文化的背景なのか、それとも人間の身体の構造、坐禅の仕組みに由来するのかが問題です。その理由の如何によって、ここで道元禅師の「坐禅儀」を簡単にひっくり返してよいものかどうかが問われます。また、足は逆の組み方でもよいとありますが、はて、手の組み方は・・・、という問題もあります。
足指の置き方の場合は、私は出来る限り道元禅師の勧められている足の組み方に近づけた方がいいと答えましたが、左足と右足の場合は、こだわる必要はないと思います。むしろ、いつも左足を上にするというよりも、交合に左を上にしたり右を上にしたりにした方がいいのでは、と思います。
坐禅を始めていた当初、私は結跏趺坐を全く組めませんでした。半跏趺坐の場合も、右の足を左の太腿の上にのせることは無理でした。つまり、道元禅師が勧めている通り、左足を右の腿の上にしかのせられませんでした。それも最初は15分くらいが限界でしたが。足は少しずつなれてきましたが、やはり右の足を上げるよりも左の足を上げる方が楽でした。例えば接心の場合でも、14回左足を上にした後、1回だけ右足を上にするよりも、15回目もやはり左足を上にした方が楽な位でした。そもそも道元禅師は「左が上」といいますから、それでいいはずですが、身体のバランスを考え、私はなるべく右足も上にのせられるように工夫し、今では左足と右足を交合にのせることにしています。結跏趺坐も以前より組めるようになりましたが、やはり道元禅師の勧められる「まず右足を上げ、その上に左足をのせる」という順番で組んだ方は、私が楽です。右が上に来ると、どうも足がピッタリ合わないような気が致します。足や骨盤のどこかが左右対称になっていないでしょう。しかし、ずっと同じ組み方をしますと、余計身体が歪んでき、ますます左右のバランスが狂ってしまうはずですから、道元禅師はそう勧めていなくても、得意ではない「右が上」という組み方もなるべく、二回のうち一回やります。
では、もし左も右も、どちらも上になって構わないというのであれば、あるいはむしろ交合にのせた方がいいというのであれば、どうして道元禅師は「左が上」という組み方にしか言及しないのでしょうか。右と左の違いに何らかの意味があるのでしょうか。これらの問題をまた次回の「大人の修行」で考えたいと思います。
(ネルケ無方)
最近の安泰寺と領主気分の俺2 前回書いたとうり天狗状態、領主様状態の俺。 しかし、その鼻っ柱が折られた事件があった。 11月中旬、ある試験を受けるため帰省していた自分は用事をすませ再び 安泰寺に戻ってきた。 まず、真っ先に自分がやったことは台所のチェックでした。 そして、安泰寺特製の手作り食器用洗剤が残り少ないことに気づいた。 その洗剤は廃油から作られる。 早速、洗剤作りにとりかかろうとして廃油入れのイットウ缶を見てみると、なんと廃油が無いではないか。 たしか先月は半分ぐらい入ってたはずだ。 なんでだろう、何故無いんだ? 自分はその日の茶行で、帰省報告も忘れて廃油はどこにやったのかを皆に問いただした。 結局、廃油の所在は解らずあきらめた・・・・・・・ 数日後、思わぬところで犯人が判明した。 安泰寺に戻る一ヶ月前・・・・・・・ 自宅への帰省前日の夜、下山するドイツ人のお別れ会がありました。 もともとあまり酒好きじゃない自分だが、中のいいドイツ人と話が盛り上がりついついその日は、ベロンベロンになるまで飲んでしまった。 安泰寺ではキャンプファイヤーを見ながら酒を嗜むのが恒例で、その日も燃やしていました。 しかし、その前日雨天だったため材木は濡れなかなか火を大きくすることができませんでした。 それを眺めていた、すでにベロンベロン状態の自分は 「てめーら、生っちょろいことやってんじゃねぇ!!火のつけ方はこうやんだよ〜〜〜」みたいなこと言って、台所から廃油を持ち出し豪快に撒き出したらしいのです。 そうです犯人は自分自身でした。 自分はすっかり忘れていました、それを聞いた時は顔から火を噴きそうなぐらい恥ずかしくなりました。 しかも、堂頭さんに問いただされていた時は記憶にないと言い張ってしまいました。 自分で切り出しといて犯人は本人ですなんて馬鹿みたいな話ですから、根性が捻くれていた自分が素直にそのことを認めれなかったのです。 素直に謝罪する勇気がなかったのです。 ホントに情けないことでした。 それから一時は他の雲水に何も注意することができなくなりました。 その事件からは毎日、自分が何故他人に注意したり、教えなければいけないんだ?もう下山しようかなぁなんて考えていました。 そんなある日、ある雲水が自分がもっとも嫌う行動をしてしまいました。 (つづく・前田哲一) |
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