キリスト教、仏教、そして私・その19

躍る「のっぽ」

は前後しますが、私が初めて日本に来たのは高校を卒業した直後の、一九八七年の夏のホームステイでした。私の目的はもちろん、日本の仏教を知 ることでした。私の中では仏教といえば禅、禅といえば日本という方程式になっていたので、日本以外の仏教国は眼中にもなかったのです。ところが、前著「迷 える者の禅修行」にも書いたとおり、日本での受け入れ先はクリスチャン・ホームでした。尺八の音楽が聴きたいといったら、

「若者よ、これこそ本当の音楽だ」

と、ベートーベンのレコードをかけられてしまいました。

この行き違いは単なる偶然ではなく、わけがあったのです。実は、ドイツの高校の紹介で、宇都宮のYMCAで手伝いをすることになってい ました。ホームステイもYMCA関係の方だったので、とうぜんクリスチャンでした。とはいっても、ドイツの多くの家のように、壁に十字架がかかっているわ けでも、食事前にイエスを見上げながらの祈りもありません。日曜日の日には一度だけ礼拝に連れてもらったことはありましたが、皆が仲良く歌を歌っている サークルのような雰囲気でした。西洋の教会のような、暗くて重苦しい空気はそこに全くなく、私にいわせれば、キリスト教のスリム・バージョンのようなもの でした。協会には十字架こそ掛けられていましたが、それもヨーロッパべ見るような血なまぐさいイエスの姿ではありませんでした。聖餐も行われていました が、それも私がドイツで経験したような、皆が同じ盃を交わすとい儀式ではありませんでした。それぞれ小さなプラスチック製のコップが人数分だけ用意されて いて、それをばらばらに飲むのでした。はっきり覚えてはいませんが、ひょっとしてワインではなく、ぶどうのジュースではなかったでしょうか。考えてみれ ば、別々のコップのほうは衛生的といわれれば極めて衛生的ですが、コムニオンの本来の意味とはほぼ遠いですね。

zevenホームステイをさせてもらう代わりに、私はYMCAの幼稚園やサマーキャンプのスタッフとして働いていたのです。多くの子どもは外国人 を見るのが初めてだと言い、私は彼らの人気者になりました。特に「アブラハムの子」という歌に合わせて、音痴で運動神経もない「のっぽ」の私がちびっ子た ちに囲まれながら長い手足を無造作に動かしたとき、皆がかならず爆笑しました。後述しますが、私はこの歌を以前、どこかで聞いた覚えがありました。それは 幼稚園やサマーキャンプとは無縁の場所でした。

皆さんはこの歌の由来をご存知でしょうか。アメリカの「Father Abraham」という曲が原曲という説もあるようですが、この曲の歌詞には「のっぽ」も「ちび」もでてきません。アメリカで一番知られているバージョンの歌詞の日本語訳は

ファーザー・アブラハムは、息子がたくさん
たくさんの息子の、ファーザー・ブラハム
僕はその一人、もその一人、
さあ主を讃えよう

この歌に登場している「ファーザー・アブラハム」はもちろん、十六代目の大統領エイブラハム・リンカーンのことではなく、ユダヤ教、キ リスト教、イスラム教のいずれの聖典にも登場する「民の始祖」とも言われているアブラハムのことですが、欧米ではこの歌は日本ほど広く知られていません。 恥ずかしい話ですが、私は日本でこの歌に出会うまで「アブラハムの子」のパロディ・バージョンしか知らなかったので、「ファーザー・アブラハム」の正体を 勘違いしていたのです。

そのパロディ・バージョンをピエール・カートナーというオランダ人歌手が一九六〇年代に作詞しましたが、いくら探してもそれを歌う歌 手が見つからなかったそうです。しまいには「ファーザー・アブラハムと七人の息子」というバンドを自ら結成し、祭りなどで同じタイトルの歌を披露しまし た。本人の芸名は「ファーザー・アブラハム」、「七人の息子」とは彼以外のバンドメンバーのことです(そのうちの二人は男装していた女性でした が・・・)。ピエール・カートナーことファーザー・アブラハムは後には「スマーフィーの歌」で大ブレークしましたが、ヨーロッパで今だに「ファーザー・ア ブラハム」の歌を歌っているのは、ビヤガーデンの酔っ払いのおっちゃんだけです。ちなみに次はカートナーの歌詞ですが、YMCAが広まったそれとはだいぶ 違います。

ファーザー・アブラハムには、息子が七人
七人の息子の、ファーザーアブラハム
彼等は歌い 彼等は飲み
大いに楽しんでいる
長男だけは目が青く、母ちゃんをがっかりさせることはしない
次男の大きな足は、いつも飲み屋に向かっている
三男は独身を通すと言い、毎日が祭りなのさ
四男が加わると、もうだれもコントロールできない
六番目と七番目まで、しっかりした生活態度さ
いつもつるんでいて
片手にはビールのジャッキを
しっかりと握っているのさ

原曲すら知らなかった私がまさか、この歌を日本という地で子どもと一緒に歌うことになるとは夢にも思っていませんでした。この歌の中に登場する「七人の子」について、また後述しましょう。

それはネルケ君の勘違い!

夜になると、子どもが寝てからキャンプの若い指導員たちが車座になって遅くまで話し合ったりしました。まだバッブルがはじける前の昭和晩年だったので、彼らは私によく聞いてきました。

「どうだ、日本は?すごいだろう。新幹線は早いし、コンビニは二四時間営業しているし、日本の未来はキラキラ。今は世界のナンバー・ツーだけど、もうすぐナンバー・ワンさ」

しかし、私は期待されたように相槌できませんでした。

「ぼくは実は、仏教が知りたくて日本に来たのだ」

というと、驚いている様子でした。

「え、古臭い!君はクリスチャンではなかったっけ。何でそんなに後ろ向きなの?」

しかしさらに驚いたのは、この私でした。彼らに逆に訪ねたからです。

「では、YMCAのキャンプに参加している君たちこそ、キリスト教に興味があってここに来たはず。どうして仏教ではなく、キリスト教を選んだなの?」

「いや、ぼくは無宗教だよ」

そういう答えが返ってきました。

「でも、YMCAの『C』はクリスチャンという意味だよ?」

「だから、別にキリスト教の神様を否定しているではないよ。そもそも、ぼくの家は仏教だし、仏をも神様をも大事にしている。第一、YMCAの夏のバイトは楽しいし、友だちがたくさんできる。それだけさ」

「それだったらYMCAじゃなくても、お寺のサマー・キャンプとかに参加すればいいじゃないか」

「寺のキャンプ?そんなもの、あるわけない」

「どうしてないの?」

「だって、仏教って暗いだろう。墓場でキモだめしなら分かるけど、まさか般若心経にあわせてギターを弾いて躍るわけにもいかないよ」

「・・・」

さっぱり分からない私に、隣に坐っていた女子大学生が説明してくれました。

「日本のお寺って、ネルケ君が考えているところとはちょっと違う。お墓参りするところなの。だから、日本人は仏教徒であっても、結婚式だけはチャペルなの」

「仏前結婚式はしないの」

「しない、しない。わたしだって、ウェッディング・ドレスが着たいもの」

日本人の意外な宗教観

私はそこで堅信の授業を受けているときに、教会の牧師から聞いた話を思い出しました。

「この間はね、日本人留学生のカップルがぼくのところに来て、教会で結婚したいといっていたよ。それで、『いくらくらいかかります か』と聞いてきた。もちろん、ただと教えてやった。商売じゃないんだから。しかしそれよりも何より、君たちはクリスチャンなの? とぼくが言ったら、なん と答えたと思うか。『いや、別にそこまでは……』だって、ぎゃっはっは!」

そのカップルが結局、ドイツの教会で結婚できなかったらしいです。教会での結婚は新婦の間の約束でもなく、また家族同士の契約でもあ りません。ほかでもなく神への約束ですから、そもそもキリスト教の唯一の神を信じない者にはそんな約束をする資格がないのが本場のキリスト教の考えです。

しかし、日本人の宗教観はもっと柔軟のようです。宗教を上手にTPOで使い分けているようです。その場に応じて、仏教徒になったり神 徒になったり、時にはクリスチャンのまねをしてみたりもします。日本のように、仏教も、神道も、そしてキリスト教も仲良く強制している国は世界にも珍しい ではないでしょうか。この宗教的な寛容性を単なるいい加減と見なすことも、もちろんできますが……。

YMCAの若者たちと話しているうちに、次第に日本人の宗教観とドイツ人の私の宗教観の違いに気づきました。まず、ドイツ人には、そ の各々の個人の宗教があり、それをある年齢に達してから自分で選ばなければなりません。もちろん、どの宗教に対しても否定的な人もいます。そういう人は自 分のことを「無宗教」だといっています。それは宗教にとくに関心がないというより、「宗教なんてうそだ!」といった主義主張に近いです。ところが、日本で はそうではないらしい。自分の宗教を自分で選ぶという概念がまずないようです。そのため日本人の宗教は「個人の宗教」ではなく、「家の宗教」として捉えて いるではないでしょうか。自分の生まれた家を選ぶわけにはいきませんから、ドイツのように、自分の宗教を自分で選ぶことが大人への第一歩という思いも、も ちろんないわけです。そもそも宗教を選ばないので、宗教を自分の意思で捨てるということもありません。日本人が「無宗教」と自称して場合、「本家は仏教だ けど、とくにこだわらない」「お寺にもおまいりはするよ。でも菩提寺が何宗だったか、忘れてしまったよ」という意味合いでいうこともあるでしょう。ですか ら、YMCAのキャンプに参加しながら、「仏教徒だ」「無宗教だ」と自称することには、彼ら自身がなんら矛盾を感じていなかったらしいです。そのおおらか さに、私は感心するばかりでした。

(ネルケ無方、2013年7月5日)