キリスト教、仏教、そして私・その3

よーい、どん!

週の火曜日(3月12日)に、いよいよコンクラーヴェ(ローマ法王の選挙)が開始されます。法王が選出されるまで、参加者の枢機卿【すうききょう】は携帯やパソコンが使えないばかりではなく、新聞も読めませんし、テレビやラジオの使用も禁止です。まさに、禅で言う接心のようです。足は組まなくていいはずですが・・・。
選挙権を持つのが八〇歳未満の、一一七人の枢機卿ですが、インドネシアの人は健康状態が優れないため、スコットランドの人はセックススキャンダルのために参加できません。新しい法王は、残りの一一五人の三分の二の票、つまり七七票を集めなければなりません。現時点では、フロントランナーはいません。
先週まで、アメリカ合衆国の代表者たちは毎日記者会見を行い、マス・メディアに大人気でしたが、バチカンの中央から口を慎むようにと注意されたようで、今はもはや情報は流れていません。
新しい法王として、どんな人がふさわしいでしょうか。ローマではローマ人のする通りにせよ、ということわざがありますから、とうぜん「バチカンのトップは、イタリア人でなきゃ」という声もあります。「いや、新しい時代には新しい風を。史上初のアメリカン・ポープを、イエス・ウィー・キャン!」という人もいれば、「どうせなら、黒人パワーで行こう。発展途上国のバイタリティーを取り入れて、アフリカ出身の法王はいかが」
イタリア人勢力は二八人で、全体の四分の一ですが、それ以外のヨーロッパ人をあわせても、半数をちょっと上回っているだけですから、新しい法王決めるには、どうしてもおヨーロッパ以外の票が決め手となります。

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国籍以前に、新しい法王から要求される能力は議論されています。セックス・スキャンダル、ダーティー・マネーと児童虐待をはじめとした問題を解決すべく、大きな改革を成し遂げそうな人でなければなりません。大企業のCEOのような、やり手の経営者タイプがいいと人も少なくありません。何しろ、カトリック教会は十二億人もの「カスタマー」を誇る、グローバル・エンタープライズです。失われた信頼感を取り戻し、イメージアップを図るのが一番という声は、特にアメリカでは強いようです。
一方、ヨーロッパ文明と切り離すことのできない、二〇〇〇年もの伝統を守ることがまず一番重要だという人も少なくありません。なにしろ、いま選挙権を持っている枢機卿はベネディクトか、その前のイオハネ・パウロ法王に任命された人ばかりですから、保守派一色です。特に一番メンバーの多いイタリア人の派閥には、改革を叫ぶ声は皆無に等しいです。
それから、古いものの温存よりも、新しい時代に向けて福音を今一度、本当に喜びもメッセージとして発信できる、それこそ「ホーリー・ファーザー」と呼ぶのにふさわしい法王がほしい、という声ももちろんあります。むしろ、こちらはみなの本音でしょうが、はたしてそんな人はどこにいるのでしょうか。
私が今回の法王の選挙に注目している理由の一つも、ここにあります。低迷しているのは、何もキリスト教世界ではありません。仏教会はむしろ、さらにひどいかもしれません。釈尊の教えを振り返ることもなければ、未来に向かうビジョンもありません。リーダーシップもないし、教団としての主義主張もない。それは逆に自由で言いという考えもできますが、はたしてそうでしょうか。これからの日本仏教を、「葬式は必要かどうか」という浅い問題意識だけでは語れないでしょう。

十五日までは無理としても、次々回の二十日まで、新法王は選出されているかもしれません。選挙は一日四回までも行われています。三十四回目以降は、候補者は二人に絞られます。二人になった時点でも、やはり一人は聖霊の働きでも何でも、七七票を勝ち取らなければなりません。過去から選挙違反の話もあります。そのため、賄賂を渡したなど、違反した人には破門という厳しい罰則も用意されています。しかし、そんな手を使わなくても、一日でも早くフェースブックに戻りたい枢機卿は、長時間コンクラーヴェ(鍵がかかった)状態には、どうせ耐えられないと皮肉っているメディアもあります。
ちなみに、前法王のベネディクトはコンクラーヴェには参加しません。そもそも、コンクラーヴェが法王の亡くなった二週間あとに行われるのは、今までの常識でした。今まで、法王が自発的に対したのは、ひょっとして一度もなかったという意見もあります。つまり、前法王が健在なのに、コンクラーヴェをするのは極めて異例のことです。また、新しい法王が選出された後に、前法王との関係が危惧されています。中世の日本の院政ではありませんが、同じバチカンに「ホーリー・ファーザー」が二人もいるとなると、厄介な問題も起らないとは限りません。

cbi03_Nuremberg_Chronicles_f_235v_2_(Gregorius_XII)英字の新聞では、よく「六〇〇年ぶりの退位」と出ていますが、六〇〇年前に退位したグレゴリウス十二世は自発的に退位したわけではありません。実は、一三七八年からグレゴリウスが退位した一四一七年まで、イタリとフランスでは常に二人(一時期は三人も)法王が並立していました。イエスきりすとの代理人が二人いても話にならないので、その「教会大分裂」と言われている時代を終わらせるために、グレゴリウスもフランスのらいなるたちも、やめざるを得なかったのです。

キリスト教会の歴史の中には、分裂はたびたび起こっています。三世紀にはすでに、ポンティアヌスという法王と、ヒッポリュトスという「対立法王」が並立しました。その当時の「法王」は今日のように、まだ教会のトップではなかったのです。他にもいくつかいる、有力な司教の一人に過ぎないローマ司教のことです。それはともかく、もめていた二人はともに二三五年に、ローマの皇帝マクシミヌス・トラクスによって追放され、サルデーニャの鉱山で強制労働させられました。結果的に二人とも「法王」を退くことになり、教会分裂は終結しました。法王の退位として、これは最初のケースですが、決して自発的ではありませんでした。どれだけサルデーニャに流されていたのかはわからないが、一説によると強制労働中の虐待によって衰弱死したとされています。
似たような運命にあった法王は六世紀にもいます。シルウェリウスという法王は一年も経たないうちに、コンスタンティノープルの司教を支持していた東ローマ帝国の皇帝と対立する形になり、やはり法王を辞めさせられ、島流しにされてしまいました。十一世紀のはじめにも、ヨハネス十八世は退位したことになっていますが、この法王もやはり時勢の権力者の操り人形に過ぎなかったため、それ以前の「法王の退位」と同様、退位したと見なしていない人も多いようです。

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ドイツ語系の新聞では、今回の法王退位は歴史上二回目、八〇〇年ぶりを放送されていました。つまり、ポンティアヌスもシルウェリウスも、そしてヨハネスもグレゴリウスも、計算に入れられていません。唯一の前例として認められているのは、一二九四年にたかが半年間で法王を退位したケレスティヌス五世だとされています。 ケレスティヌスが法王に選出されたいきさつはなかなか面白い。彼はもともと仙人のような、隠遁生活を営んでいた人です。やがてその名が知られるようになって、彼の周りに修道士たちが集まるようになりました。そうして誕生したのが、ケレスティヌス会でした。一二九四年には、彼は八五歳でした。前の法王が一二九二年に他界していましたが、疫病やその他の理由で、新しい法王は二年間も選出されませんでした。「その他」という理由は実は、メーンの理由でした。以前、コンクラーヴェはローマの二つの有力貴族コロナ家とオルシーニ家に操られていました。どちらの家族から枢機卿になった者も多く、自分の都合のいい法王を決めたかったのですが、このときは決着がつかなかったようです。
「二年もかかっているのに、どうしてまだ法王が決まらないのだ」という一般庶民の怒りを代弁して、年老いた修道院長に過ぎなかったケレスティヌスはローマに手紙を宛てたようです。その手紙がきっかけで「じゃ、お前がやれば?」ということになったらしいです。今でもそうですが、法王の被選挙権は男性のカトリック教徒なら、誰にでもあるのです。最初は反対したもの、結局ケレスティヌスは責任を取らざるを得ませんでした。伝説では、驢馬の背中に乗って、ラクイラという町に入って、そこで即位したそうです。俗生活を嫌っていた彼は、ローマにいちどの行ったことがなかったようです。

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また、それまでの法王たちの贅沢三昧とは対象的に、木製の簡単な小屋で仙人のように暮らしていたとか。しかし、それでも法王ですから、教会のしがらみ、権力者の争いごとなど巻き込まれないわけにはいけなかったようです。そして、半年後にはタオルを投げたそうです。法王の衣を返し、名前も本命の「ピエトロ」に戻しました。そして船でギリシャまで逃走しようとしましたが、次の法王ボニファティウス八世に逮捕され、間もなくなくなってしまいました。それだけでも十分ひどい話なのに、 有名なダンテの『神曲』では、ケレスティヌスは「逃げた負け犬」として地獄の落とされています。
ベネディクトには、そんな運命が訪れそうにはありません。肩書きは「ホーリーネス」、名前も「ベネディクト」のまま、衣も、今までの白い衣のまま。靴だけは、かわいげな赤いくつから、大人げなブラウンに代わったとか。

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(ネルケ無方、2013年03月10日)