イエス

キリスト教、仏教、そして私・その27

イエスという過激な人物

シア参上
イエスの生まれた年を西暦元年、あるいは○年、と思っている人もいるかもしれませんが、実は違います。
彼の生涯についての唯一の文献が聖書の「パート2」と言える新約聖書です。その中にある四つの福音書はイエスの活動について書かれていて、その中にはヘロデの幼児虐殺の命令も記されています。それが歴史的事実かどうかについては諸説があるようですが、ヘロデが在位した時にイエスが生まれたことに学者の異議はありません。ヘロデが死んだのは紀元前四年なので、イエスはそれ以前に誕生していることになっています。
彼の母はマリアという若いユダヤ人の女の子でした。彼女にはヨセフという婚約者がいましたが、まだ男女関係を持っていなかったそうです。聖書の中にはイエスの兄弟が登場しますが、それはマリアがイエスのあとに生んだ子供だという人も少なくありません。カトリック教会に考えではマリアは一生バージンだったため、それはありえません。イエスの兄弟はヨセフが連れてきた前妻との子供なのか、それとも従兄弟なのか、意見は一致していないようです。聖書の中ではヨセフと養父(イエスは神の子となっているので、血のつながりはない)の影は極めて薄い。
一二歳のイエスが迷子になって、エルサレムの神殿で見つかったというハプニングがありました。必死に探していたマリアはそのときこう言いました。
「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」
それに対して、イエスは「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」と答えました。
つまり、私の本当の父はヨセフではなく、神だというのです。それ以降、福音書にはヨセフの「ヨ」の字も出てきません。早く亡くなったのか、失踪したのか、それはわかりません。いっぽうのマリアはイエスが磔に付せられるまで、息子について行きます。しかしイエスの言動を見ると、母に対して邪悪な空気すら感じます。たとえば、ある結婚式に参加した時に、イエスはマリアに対してこう発言します。

「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ルカ2:4)

私が心配しても仕方がありませんが、どのような親子関係だったのかが気になります。イエスが使徒たちに説いた言葉がヒントになるかもしれません。

「よく聞いておくがよい。だれでもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、もしくは畑を捨てた者は、必ずその百倍を受ける」(マルコによる福音書10:29~30)

十戒の中には「あなたの父母を敬え」という親孝行の戒めがあります。程度の差こそあれ、東西古今を問わず親を大事にすること当たり前とされています、イエスはそれより大事なことがあると言っています。イエスにとっては家族より福音、つまり神の啓示が一番。それは親のためではなく、福音とために生きていたイエスの本音だったはずです。

今でこそ、彼は世界中の人々から愛されています。クリスチャンの割合が少ないと言われている日本でも、その名前を知らない人はいない。キリスト教を「イエスとその教えを信じる宗教」と考えている人も多いと思いますが、イエスがどのような人物で、本当は何を教えたかったのかが意外とはっきりしません。それもそのはず、新約聖書の情報は乏しく、矛盾も多い。結局、何を信じればよいかわからないことがよくあります。ただひとつ確かなことは、イエスはかなりラディカルな人だったようです。ユダヤ教において、神の言葉である律法は絶対的な権威です。その律法を自己流な仕方で解釈したのがイエスです

では、イエスは具体的にどういうふうにラディカルだったのか。
たとえば「モーセ五書」には、「目には目、歯には歯」という名セリフがあります。イエスの教えの真髄とも言える「山上の垂訓」の中で、彼は従来のユダヤ教の正義観をひっくり返すような発言をしています。

「『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」
この言葉こそ福音の精神をよく表していますが、イエスはさらに加えて言います。
「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイによる福音書5:38~39、43~44)

それまでのユダヤ教も隣人愛を説いていたのですが、敵を愛するというような発想は全くありませんでした。聖書の言葉をこんなふうに〝逆読み〟するに至るまで、イエスに何があったのでしょうか。その思考の展開はどこから? それについて新約聖書の中では何も書かれていません。
イエスの伝記には長いブランクがあります。一二歳から三〇歳前後まで、どこで何をしたかは不明です。そこで「イエスはインドを旅していた」という衝撃的な仮説を立てた人がいます。その人はニコラス・ノートヴィッチ。ロシアの戦争特派員で、その説を一八八七年に唱えています。彼はインド北部にあるチベット仏教のへミス修道院の図書館で『聖イッサ伝』なるテキストを発見。そのテキストを根拠に「イエス=仏教徒」を主張しました。その文献に出てくる「イッサ」とはイエスのことで、十三才から二十九歳までの一六年間をインドで修行をしてから、イスラエルに帰ったというのがノートヴィッチの説。この説は当然、反撥と疑問を呼びました。西洋の仏教学のパイオニアとも言えるマックス・ミューラーという宗教学者もその一人です。ミューラーは、ノートヴィッチが仏教僧たちに騙されたのではないかと考えていましたが、騙していたのはノートヴィッチ本人だということが明らかになりました。へミス修道院に問い合わせたところ、『聖イッサ伝』というテキストは図書館になく、そもそもノートヴィッチがこの修道院を訪れたことが一度もないことがわかったそうです。それにもかかわらず、最近の欧米のニューエイジ系作家の中には、頑なに「イエスはブッディスト」説をとなえている人がいます。「絶対にそうではない」と否定する証拠もありませんが、宗教学者がこれに与した例を知る限りなく、眉に唾をつけておいたほうがいいでしょう。

キストを比較する
肝心のテキストを比較してみても、仏教とイエスの言葉に共通する内容のものが見受けられるのは確かです。いくつか引用して比較してみましょう。
まずは、仏教の初期経典『ダンマパッダ』に伝えられている釈尊の法話の言葉です。

「五 まことに、怨みに怨みをもって報いるならば、この世においては、怨みのしず まることがない。しかし、怨まないことによって、怨みはしずまる。これは、いにしえより続く真理である。
二二三 不忿を以て忿に勝て、善を以て不善に勝て、施を以て慳に勝て、實語を以て妄語者に(勝て)」

この言葉は福音書より成立がはるかに早い。ユダヤ教に例のない「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という山上の垂訓の一節も、『ダンマパッダ』の残響に聞こえなくはありません。
山上の垂訓の中の次の言葉もまた有名なものです。

「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる」(マタイのよる福音書、6:25~26)

この言葉も、ダンマパッダの次の二句にそっくりではないでしょうか。

「九二 若し人蓄積する所なく、受用度あり、(心)空、無相、解脱に遊ぶときは、其人の行跡は尋ぬべきこと難し、猶ほ虚空に於ける鳥の跡の如し。
行跡尋ぬべきこと難し――已に變化的存在なる迷界を出で涅槃界に入れるを云ふ。
 九三 若し人心の穢を盡し、飮食を樂著せず、(心)空、無相、解脱に遊ぶときは、其人の行跡は尋ぬべきこと難し、猶ほ虚空に於ける鳥の(跡の)如し」

 
直接の影響があったかどうかは別として、福音と仏教に多々の類似点があるのは否定できないでしょう。イエスの多くの言葉の中には、それまでの旧約聖書よりも釈尊の精神に近いものすら感じます。しかしながら。彼を仏教徒と呼ぶにはいささか無理があります。イエスの教えはやはりユダヤ教を背景に理解しなければいけないと私は思います。火tにどう言われようが、イエス自身はユダヤ教徒の自覚が強かったはずだからです。
イエスの〝逆読み〟の特徴は、人間を律法の中心として捉えているポイントです。
たとえば安息日。ユダヤ教の考えでは、この日に神が人間に休むことを許したのではない。安息日で休むことは「許可されている」のではなく、あくまでも「義務付けられている」のです。イエスはその「律法中心主義」を否定します。

「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」(マルコによる福音書2:27)

イエスのそういう態度に腹を立てて、多くの律法学者は内心で「おまえはだれやねん」と思っていたはずです。

一の戒め
新約聖書の福音書の中で、イエスが律法学者にいくたびも挑発されます。たとえばマタイによる福音書に、こういう場面があります。「一番大事な戒めとは何か」を訊ねてきた一人の律法学者に、イエスは答える。

「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な第一の戒めである。第二もこれと同様である。『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これら二つの戒めに、律法全体と預言者とがかかっている」(マタイ22:37~40)

いっぽうルカによる福音書では、シチュエーションが微妙に違っています。「何をしたら永遠の生命が受けられようか」という律法学者に、イエスは逆に聞き返すのです。

「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」
「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」 
その答えをイエスは肯定するのです。
「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」(ルカ10:25~28)

ここで今一度、律法学者の質問の意味を考える必要があります。
「あなたの勝手な解釈は聞きたくない。神の絶対なる戒めをどう受け取っているのか」というのが、律法学者の言いたかったところではないでしょうか。その答え方しだい、イエスは自分の墓穴を掘ることにもなっていたかもしれません。マタイもルカも、イエスの答えの内容はほぼ同じように伝えています。
「神を愛し、隣人をすること」
マタイではそれが「一番の戒め」とされ、ルカの場合は「永遠の命」への鍵ともされます。ここで大事なのは、この言葉が決してイエスのオリジナルではなく、旧約聖書すなわちユダヤ教の聖典の言葉であるということです(『申命記』6:4~5と『レビ記』19:18)。ルカによる福音書の場合、イエスは「あなたはどう読むか」と投げかけて、答えを逆に相手から引き出しているのです。禅僧の私は、その妙応の仕方に唸ります。ここはさすが、イエスに一点取られました。
イエスは愛を第一と考えました。相手にも「愛が第一」と言わせています。問題は、その愛の内容とベクトルの向き方です。第4章ではイエスの愛の考察に戻りますが、その前にはまず私自身のしがない恋バナを披露したいと思います。
(2014年8月15日、ネルケ無方)