キリスト教、仏教、そして私・その18

脱教会宣言

ロテスタントの教会で堅信の儀式に参列してから二年後、十六歳のときに初めて高校の坐禅サークルに参加したときには、まさかいずれ仏教徒になるとは思ってもいませんでした。正直言って、その時は「一度、坐ってみないか」という先生の誘いを断りきれず、一回でやめるつもりで参加していたにすぎません。ところが、一回では済まなかったのです。

坐禅のどこに魅せられたかといわれれば、まず「からだの発見」が挙げられます。キリスト教では人の理性を大事にし、意思も大事にし、もちろん魂も大事だと考えます。ところが、からだはどちらかといえば、あまり大事にされていない気がします。というか、むしろ「悪の根源」とみなされているのはからだです。私自身も、実際に坐禅をするまで、決して自分のからだを大事だとは思っていませんでした。「脳」というからだの一部だけあれば充分だと思っていたくらいです。坐禅して初めて、からだの姿勢が変われば、自分も変わると気づいたのです。そして自分が変わると、回りの世界まで変わって見えるという体験もしました。

「人生の意味とは?」

若いときから、頭の中でそう考えていました。父親や学校の先生、そして教会の牧師にも問い詰めて、かなり困らせていました。だれも答えられないのに、正直に「答えられない」とは言わないのです。

キリスト教も「自分と同じくらい、人を大事にせよ」という隣人愛を説きますが、そもそも自分の命さえ大事と思えなかった私にとって、それは答えにならなかったのです。

「あなたの命は、神様が授かってくださった命だから、計り知れないくらい尊いのだ」

牧師にそういわれても、私は「その神様なんてどこにいるの」と聞き返すばかりでした。子どものころから生意気だったので、神様もサンタさんもあまりにも見え透いた嘘としか思えませんでした。

仏教の一つのいいところは、神もサンタもいないことです。いるのは仏ですが、その仏は信じたり拝んだりする対象ではなく、自分がなる狙いとしてあるのです。キリスト教徒が逆立ちしてでも、イエスにも神にもなれないのですが、仏教の「坐禅をすれば、だれでも仏になれる」という教えに、私はうなずきました。

それからむさぼるように仏教書を読み始めました。特に感銘を受けたのは、若きゴータマ・シッダッタこと釈迦の求道の話でした。生・老・病・死という苦の現実を直視、いかに生きるべきかと真剣に追及していた釈迦の姿に、私は七歳で母親をなくした自分を重ねていたのです。「何のために生きなければならないのか」と悩んでいた高校生の自分と、釈迦は同じ問題意識を持っていたのかもしれない、と不謹慎にも思っていました。

仏教に魅了されてからも、私はあわてて「俺はこれから仏教徒なのだ」と宣言する必要を感じませんでした。イエス・キリストをいきなりゴータマ・シッダッタに置き換え、「アベ・サンタ・マリア」の代わりに「南無観世音菩薩」をとなえても仕方ありません。私が求めていたものは、新しい宗教ではなく、自分自身の生き方でしたから。また現に、キリスト教とでありながら坐禅に励む人も、ドイツでは珍しくありません。ドイツ生まれのカトリック宣教師のフーゴ・ラッサール(後に日本に帰化して、「愛宮真備」に改名)が「キリスト教的禅」を提唱し始めたのは一九六〇年台からです。神父でありながら、禅道場をいくつも開いて、日本を始め世界中で活躍しましたが、特にドイツで弟子が多かったようです。今も彼の影響でドイツの神父や修道士が坐禅に取り組んでいます。バチカンからは冷たい目線を浴びているようですが、彼らはともかく坐禅を通して「神との合一」を目指しているようです。私が初めて坐禅を体験した学校も、実はクリスチャン・スクールだったので、特に「坐禅は仏教であり、キリスト教とは根本的に違う」という意識がありませんでした。

それでも、十九歳の時に私は正式にキリスト教会を脱会しました。

その理由は、またもや「お金」でした。ベルリン自由大学に入学していた当初、私は郵便局で早朝の手紙振り分け作業のバイトをしていました。バイトといっても、夜明け前という時間帯だったので、時給はけっこう良かったように記憶しています。ところが、月末に振り込まれてきた給料から、「教会税」なるものは引かれているのではありませんか。

昔から教会には「十分の一税」という言葉があります。それは聖書の次の言葉に由来しているようです。

「土地から取れる収穫量の十分の一は、穀物であれ、果実であれ、主のものである。それは聖なるもので主に属す」(『レビ記 』27:30)

収穫の十分の一が神の物だということですが、それを教会が神に変わって請求しているわけです。それぞれのキリスト教国では制度が違いますが、現在のドイツでは「収入の十分の一」ではなく、それよりもはるかに少ない「所得税の八%」です。高所得の場合、かかる所得税は五〇%までなので、教会税を一番多く払っている人でも年収の四%です。そしてそれを徴収するのは、なんと教会ではなく、役所の税務課です。教会はそれぞれの信者の所得を把握している税務課に教会税の徴収を委託しているのです。税務課は教会税から手数料だけを引いて、教会に振り込んでいるわけです。

この制度は、厳格な政教分離の布かれている日本ではとても考えられないものですが、ドイツのほかにもオーストリア、スイス、イタリアやノルウェーを除くスカンディナビア諸国で用いられているようです。ドイツ以外の国でもその額が「十分の一」より安く、平均1~2%だそうです。政府が直接に国教会を運営しているノルウェーやイギリスには「教会税」という名目がありません。国教会では牧師がすなわち国家公民ですから、普通の税関で教会を賄っているようです。イギリスやノルウェーのように国教が決められている国でも、広い意味での政教分離原則が護られていることが多いです。それは政教の「融合型」と言う、政府が国教以外の宗教に対しても寛容であり、信教の自由が保障されている制度です。

教会税が徴収され、公立の学校でも宗教授業のあるドイツでも、一応政教はおおむね分離されています。ドイツの場合はコンコルダート(政教協約)型 という制度を用います。これは国家が教会の立場を認めるかわりに教会を国家の制限の下に置こうとするものです。国家と教会はおのおのその固有の領域において独立していることになってはいるもの、教会が国家を承認し、その法の下に従うことと引き換えに、国家が教会の権利の保障を約束するのです。

それでも、信教の自由があるのですから、ドイツ人であってもキリスト教とでなければならないという法律はもちろんありません。「ドイツキリスト教民主同盟(CDU)」という有力な政党がありますが(現在のメルケル首相もこの党に属しています、CDUが政権をとったから、キリスト教徒でなければ国家公務員になれないとか、そういうこともありません。また、学校には宗教授業があるもの、前述したように、十四歳を超えれば拒否する権利を持つようになります。

ですから、教会税も、決して政府が決めて徴収しているのではなく、あくまでも教会が税務課に委託しているにすぎません。教会から脱会すれば、税務課も教会税を徴収しなくなります。

入信をするのに、洗礼を受けて、さらに教義を学び堅信をしなければならないのですから、教会をやめるのもさぞ大変なことではないかと思う人もいるかもしれません。

「教会をやめるのに、どうしたらよいか」

実は、それが分からないという理由だけで、いつまでも教会税を払い続けているドイツ人もいるのです。牧師や神父によって、「辞めたいですが…」といえば、「それはできない。いったんイエスと血の盃を交わした者は…」と脅す者もいるわけですし、教会側ではキリスト教徒になることは可能でも、やめることは不可能だとする教義もあるようです。

ところが、教会から脱会するためには、教会と連絡を取る必要はないのです。そのために必要な「脱教会手続き」は、実は市役所でするのです。手数料は市のよってまちまちで、高いところでは六〇ユーロも取られますが、月々の教会税を考えれば安いものです。ちなみに、リベラルな大都会のベルリンでは、脱教会はただでできました。いったん教会をやめれば、次の月から教会税は徴収されなくなります。その時はもちろん、税務課から教会へも連絡が行きます。おそらく私のように、最初の収入袋を手にすると共に辞める人は少なくないでしょう。

脱教会手続きをしてからしばらくして、当時学生四人で共同生活していた、西ベルリンのメーンストリートともいえるクアフュルステンダム通りの近くのアパートに私宛に教会から手紙が届きました。「一度、お宅を訪問したい」とのことでした。これにはビックとしました。なにしろ堅信いらい、礼拝にもあまり顔を出していませんし、向こうからも何の連絡もありませんでした。

「罰があたるぞ」

そういわれるのではないかと思いましたが、約束の日にはアパートで待ち構えていました。訪れてきたのは、サンタさんのコスチュームが良く似合いそうな、ひげのははえていたおじさんでした。お茶をも何もすすめる前に、私はおどおどと尋ねました。

「今日は脱教会のことで来られたのですか」

今度、向こうはびっくりした顔になりました。

「いや、それは失礼しました。最近この教会に引っ越してきたと聞いていたので、挨拶にと思って…」

なんだ、ただの挨拶だったのか。三〇分くらいその牧師とお茶を飲みながら哲学の話をし、穏やかに分かれていきました。

実は、税務課からの脱教会の知らせのほかにも、役所の住民課からも、住所の変動があった場合には連絡が行きます。役所ですから、どちらの連絡にも時間がかかり、私の場合は脱教会の手続きをした後に、「ネルケという人が今度、あなた方の教会の近くに引っ越してきた」という連絡が入ってきたようです。日本なら、徳川時代からずっと同じ菩提寺の檀家であり続けている家は少なくないですが、ドイツの場合は所属するのは「家」ではなく「個人」ですから、引っ越せば所属の教会が自動的に変わるのです。ルター派はルター派のままですが、ベルリンからハンブルグに引っ越せば、ハンブルグの教会の信者になり、教会税もハンブルグの教会に納めることになります。

日本と大きな違いは、ドイツでは「クリスチャン・ホーム」に生まれても、自動的にキリスト教徒とみなされないことがまず挙げられます。「家」でなく、「個人」で入信しなければならないので、まず赤ちゃんに洗礼を受けさせますが、価値判断ができる年齢になってから、堅信という段階で自分でイエスかノーかで、自分一人で自分の宗教を選ばなければなりません。そしてキリスト教をやめる時も、公式に、自分で意思表明してでなければ、やめたことにはならないのです。私の場合は、こうして十九歳の時にキリスト教をやめてしまいました。その時点で正式に仏門に入っていたわけではありませんが、少なくともこころの中では、仏教徒のつもりでいました。それを意識させてくれたのは、なんとエホバ証人の勧誘のおばさんでした。

ある日、ベルリンのアパートのチャイムを鳴らしていたそのおばさんに聞かれました。

「あなたは聖書に書いてあることを信じています」

「いいえ、とくに」

「でも、神様は信じているのでしょう?」

「いや、それもちょっと…」

「それでは、あなたは何ですか」

「私は禅仏教徒です。自分で目を覚まして、人生を生きていこうとしています」

そうして、知らないおばさんに向かって私は生まれて初めて、「仏教徒宣言」をしたのです。

(ネルケ無方、2013年6月27日)