キリスト教、仏教、そして私・その17

「あなたの夢は何ですか」

リスト教の国に生まれ、幼い頃に洗礼を受けました。その時に授けてもらった「クリスティアン(Christian)」というミドル・ネームは今も、 私のパスポートに載っています。日本で使っている実印は「無方」です。そのどちらが本当の私といわれれば、どちらも本当の私です。自分の意思で日本に渡っ て、自分の意思で仏教で出家得度を受けました、依然と自分の中にキリスト教の影響が強く残っているのも、事実だと思います。

安泰寺という檀家のない、自給自足の禅寺の住職になってから、幾たびかメディアの取材を受けたことがあります。「山奥のドイツ人住 職」というラベルを貼られ、ものめずらしい動物のような扱いをされることがほとんどです。それなのに、日本人が面している現実問題を解決すべき、私から何 らかのヒントが導き出そうとする記者もいるようです。そういう記者が決まって知りたがるのは、私の「夢」です。正直言って、困った質問です。何しろ、仏教 は人々に夢を提供する宗教ではなかったはずです。夢から目覚めることが仏教の眼目ですから。

有名な「いろは歌」も

浅(あさ)き夢(ゆめ)見(み)じ 酔(ゑ)ひもせず

という一節で終わりますが、夢を酔いとして否定的にとらえているところはいかにも仏教的です。

そもそも、「夢に向かって生きよう」という発想はどこから来たかといえば、近代の進歩主義ではないかと思います。西洋の科学文明もこ の「夢の発想」をなくしては語れないと思います。そしてその背景にキリスト教の物語があるのは、いうまでもありません。夢の実現に向かっての努力は人類に 物理的な豊かさを与えましたが、人類を含むこの惑星という生命体の存在そのものを危うくもしています。近代の「夢」は欲の膨張にすぎないということに、若 い人々は気づきつつあるのではないでしょうか。このごろ、「宇宙飛行士になりたい」という子供が少なくなったといわれていますが、それは子供に夢が足りな いからではなく、大人の提唱する「夢」の胡散臭さを見破いているからだと思います。

私もこれまで

「夢ごとき、とっくにない」

とつっぱってきました。しいて言えば、一人でもいいからしっかりした仏弟子を育てて、安泰寺の跡を継がせたいというのが夢のようなも のですが、ダメならダメで、自分の代で安泰寺を滅ぼそうというあきらめに近い気持ちもどこかにあります。一ヶ寺を守るために、私は日本に渡ってきたわけで はないし、安泰寺がつぶれたからといって、仏の教えが消えるわけではないので、お寺を死守しよういう気にはとうていなれません。それでも寺のために、仏教 のために私にできることは全部するつもりですが、それを「夢」という言葉で表現することには違和感を感じています。現代っぽく言えば「夢なんて、うざい」 です。

「夢」の人気が落ちていますから、マーケットが今度は「忘れかけたものを取りもどす」方向に動き始めているようです。近年の「仏教 ブーム」もそれとは無関連ではないはずです。これからは「夢」よりも、「本当の生き方」なのでしょうか。私自身は最近よく「日本人より日本人らしい」「昔 の日本のこころをこよなく愛している」「少欲知足を実践している外国人」などと紹介されることがありますが、これはその辺の政治家の表現を使うなら「きわ めて遺憾」です。

安泰寺では今も薪割をして、カマドの火の上で自分たちで使った里芋や大根を料理をしています。まるで明治時代の初期のような暮らしで すが、私は何も「古き良き日本に帰りたい」と思っていません。近代の浅き夢を追うつもりはないのですが、逆に古臭い文化財のような「仏教」にも興味があり ません。

最近では、むしろ自分のルーツにあるキリスト教に再び感心がわきました。そこには、「神の国を自分の手で作ろう」という夢を感じてい るからです。かといって、子どものころから感じていたキリスト教への違和感も依然としてあります。ですから、今はむしろ「仏教的な夢」の可能性について検 討するようになりました。安泰寺に来ていた当初はまだ、そんなものを考えもしませんでした。多くの参禅者がそうであるように、山に上っていた私は自分のこ とで精一杯でした。世界のことなんて、どうでもよかったのです。最近になってから、仏教が世界からの脱出ではないことにようやく気づきました。仏教と世界 が無関係ではないばかりではなく、これからの人類が自然と共生し、あらゆる文化圏の人々が協和するために、仏教こそヒントを与えてくれるのではないかと、 思うようになったのも最近のことです。そして、その時に安泰寺の修行生活が単なる浮世離れした「仙人ごっこ」ではなく、共生のモデルとなることが今の私の 夢です。

ブラウンシュワイグという地方都市にある、この教会の後にある牧師の家で私は幼稚時代を送りました。

ブラウンシュワイグという地方都市にある、この教会の後にある牧師の家で私は幼稚時代を送りました。

私はドイツに生まれて、子どもの時にはキリスト教の教会の裏の、牧師の家の中で育ちました。それは母方の祖父がルター派の牧師だったからです。今は禅寺の住職していますが、赤ちゃんの頃にはクリスチャンの洗礼も受けています。

仏教には洗礼という習慣はありませんが、どうしてキリスト教圏で赤ちゃんが洗礼を受けるのでしょうか。それは一見何の罪もない、無垢 そのものに見える赤ちゃんでも「原罪」を持っているからです。人間としてこの世に生を受けた以上、誰しも「罪人」なのだ、というのがキリスト教の主張で す。その罪をいっぺんキレイに洗い流すというのが洗礼の一つの意味です。ですから、早ければ早いほうがいいというのは多くのクリスチャンの親の考えです。

教会の中

教会の中

その背景に失楽園の物語があります。詳しくは後述しますが、聖書の『創世記』によれば、神がアダムとイブという最初の人間カップルを 創造しました。彼らにのみ理性を与え、他の被創造物の統治を任せたのです。その時の条件として、「智恵の木」と「生命の木」という二本の木の実だけを「絶 対食べっちゃいけない」という条件がありました。しかし、「やっちゃいけない」と言われればやりたくなるのが人間です。やがて食べてはいけない木の実を食 べてしまいました。神に問いただされたアダムは

「あなたが作ってくれた、あの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」

と言い訳をし、イブもまた

「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」

と責任転嫁しようをしましたが(『創世記』3:12・13)、神には聞き入れてもらえず、エデンの楽園から追放されてしまいました。 この有名なエピソードは罪の原点なのです。罪を受け継いでいるのはアダムとイブの二人だけではなく、その子孫すべてですから、人類のなんぴとも生まれなが ら「原罪」を持っているとされています。

赤ちゃんといえども、洗礼を受けずに死んでしまえば地獄に落ちてしまうというのがキリスト教の教えの厳しいところです。赤ちゃんにな るべく早い時点で洗礼を受けさせるのもそうですが、多くのクリスチャンが人口中絶に反対であるというのも、それと関係しているかもしれません。神様が授け た命を殺すばかりではなく、洗礼も受けさせないでその命を地獄に落とすことになってしまうからです。

洗礼を受けるということはイエス・キリストとの縁を結ぶことでもあり、キリスト教徒になることを意味しています。イエスは十字架に磔 になって、人間のあらゆる罪を贖ったとキリスト教徒は信じていますから、洗礼を受けてはじめて「原罪」が滅罪します。洗礼を受けるためには、牧師や神父が つかさどる教会の儀式があるのですが、緊急のときは(例えば、死がいつ訪れるかわからない臨床の場合、生まれたばかりの赤ちゃんの命が危ない場合など)だ れでも牧師や神父に代わって洗礼を授けることができるのです。死産や流産の場合ですら、「緊急洗礼(Emergency baptism)」の言葉があるのです。「あなたが生きている人間なら・・・」と断ってから、「父と子と聖霊の名において」看護師なども洗礼を授けるがで きるのです。

赤ちゃんの頃、ここで洗礼を受けました

赤ちゃんの頃、ここで洗礼を受けました

アメリカのバプティスト派のように、大人になってからでなければ洗礼はナンセンスだと主張する派もありますが、ドイツのほとんどのク リスチャンは物心がつく前に洗礼を受けています。しかし、受洗している本人が意思表明もできない状態ですから、「イエス・キリストを信じることによって、 罪が贖われる」というのはあまり説得力がありません。教会もそれを意識してか、洗礼の後には「堅信」という儀式を設けています。これもまた仏教国には見ら れない、キリスト教圏特有の通過儀礼です。

堅信の儀式を受ける年齢は国やキリスト教の派によって分かれていますが、若ければ七歳、遅くても十八歳のときです。つまり、理性が目 覚めて、ある程度において自分で価値判断ができてからです。ドイツでは十四歳のときの堅信が一般的で、私もこのときで儀式を受けています。なぜ十四歳かと 言えば、昔のドイツでは義務教育は十四歳で終わり、そのあと職業に就いた人が多かったことが理由として挙げられています。日本でも十四歳前後で元服して、 「大人」としてみなされていた時代がありましたが、ドイツでは今日でも十四歳になった子どもが自分で自分の宗教を選ぶ権利が法律で定められています。例え 親が反対しても、です。また、ドイツの学校には「宗教教育」の時間がありますが、十四歳になれば宗教教育の受けなくてもよいことになっています。それまで は宗教教育を受ける義務があるのですが、十四歳以降は本人の意思があれば、「宗教」のかわりに、道徳・倫理・哲学などを中心とした宗興味のない別の授業を 受けることもできます。

赤ちゃんが受ける洗礼を「キリスト教徒の仮免教」というなら、堅信は「本免許」です。それはどういうことかと言いますと、キリスト教 徒は生まれながら自動的になるものではなく、努力しなければなれないものです。価値判断ができる年齢になってから教義を理解し、自主的に意思表明してから でないと、一人前のクリスチャンとはみなされないのです。

大事なところなので、ここでもう少し具体的に堅信についてご説明をしましょう。

「堅信」という言葉はドイツ語でKonfirmationといい、英語のコンファーム(確認)と同じ語源です。洗礼によってキリスト 教徒になるわけですが、堅信によって「キリスト教徒でよかった」と決意を固めて、自主的に意思表明をするわけです。そのためにはまず、キリスト教とはどう いう教えなのかを学ぶ必要があります。キリスト教の教義を理解していなければ、「キリスト教を信じます」とは言えないわけです。ですから、堅信の前にまず キリスト教を本格的に勉強しなければなりません。ドイツでは学校でも宗教の授業がありますが、それとは並行して、教会でも堅信の一年あるいは二年前から、 放課後に週に一回くらい「堅信授業」があります。その時には聖書を読んだり、「主祷文」という祈りやモーゼの十戒を暗記したり、基本的な教義を学びます。

ベルリンにあるマルティン・ルター教会における堅信授業の風景。

ベルリンにあるマルティン・ルター教会における堅信授業の風景。

週末は泊りがけで受業生が一緒に旅行に出かけたり、キャンプファイヤーを囲んで人間の生と死について語り合ったりもします。若い男女 が異性を強く意識し始めるときでもあるのです。車座になって、夜遅くまで歌を歌いながら星空を見上げるときに、心を満たすものはイエス様だけではありませ ん。この時にはじめて恋愛に落ちる人も少なくないと思います。実は、私もその一人です(片思いで終わってしまいましたが)。

自分で自分の宗教を選び取る時期は、偶然にも思春期と重なっているのです。この事実を教会がたくみに利用し、若い人々の恋愛観をキリスト教的に形付ける(歪める?)ことを狙っているのでしょうか。

それはともかく、堅信をしようとする若者から、毎週礼拝に参加することが期待されています。中にはサボる人もいますが、厳しい神父や 牧師なら、出欠席を取っています。何回も欠席したり、お祈りを覚えていなかったり、積極的にこの準備教育に参加しない者は、他の人と一緒に堅信の儀式に参 加できず、「留年」を食らうこともあります。堅信の前に教義の試験をする教会もあれば、若者たちが自ら礼拝をオーガナイズし、牧師と並んで礼拝の主役を務 めるところもあります。何らかの形で、キリスト教徒としての信念を証明することが期待されているのが「堅信」なのです。

堅信のときから、若者は始めて礼拝の聖餐(せいさん)に参与できる資格を得ます。キリスト教徒以外の人には、またキリスト教徒であっ ても堅信前の子どもの場合、聖餐への参与は許されていません。つまり、キリスト教徒として一人前とみなされている人のみが、聖餐に参与できるのです。

最後の晩餐

最後の晩餐

聖餐というのは、イエスの肉を食べ、イエスの血を飲むと言う、カニバリズム(人肉嗜食)にも聞こえる儀式です。それは最後の晩餐のときに、イエスはパンを分けて、

「取れ、これはわたしのからだである」

と弟子たちに勧めて、次は一杯のワインを回して

「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である」(マルコによる福音書、14:22・24)

と言ったことに由来します。

 聖書と直接には、関係ありません。

やくざの世界ではともかく、親分と子分がこうして杯を交わし、その中身が親分の「血」だとされていることに、多くの日本人は違和感を 感じているのではないでしょうか。日本文化を欧米に紹介して、コロンビア大学で長年の間、客員教授をつもめたことのある鈴木大拙でさえ、自らが英語で書い た「Zen and Japanese Culture(禅と日本文化)」という本の中で、仏教とキリスト教を「お茶」と「ワイン」に比較しながら、やや皮肉って書いています。

「茶は心神を爽快にさせるが、陶酔はさせない。…【中略】…茶が広く仏教寺院に用ゐられやうになつたことも、是が日本に初めての紹介 が禅僧に依つてといふことも、極めて当り前のことである。茶が仏教を象徴するならば、葡萄酒は基督教を代表する、と云へぬだらうか。葡萄酒は広く基督教に 用ゐられる。教会では、基督の血を象徴するものとして、摂るが、その血なるものは基督教学者に従へば、罪業深き人類のために救世主によりて流されたもので ある。かういふ理由から、中世の修道院では酒窖を持つてゐた。樽を囲み酒盃を把る彼等は、陽気に楽しげである。葡萄酒は初めはその飲手を浮々させ、やがて は彼を酩酊させる。多くの点で、茶といい対照【コントラスト】をなすが、このコントラストはやがて又仏教と基督教との間のそれでもある。」(鈴木大拙全 集・第十一巻・九九ページ【旧字改めた】)

厳密にいうと、聖餐のときに交わされるワインの杯をイエスの血のシンボル(象徴)として解釈しているのがプロテスタント教です。カト リック教徒ならば、そうはみなされないようです。カトリック教会の聖餐でいただくパンとワインはたんなるシンボルではなく、イエスの肉と血そのものとして 捉えています。ミサの際に神父は聖書の言葉を発しパンとワインを「聖別」します。そのとき「聖変化」が起るそうです。聖変化というのは、普通のパンとワイ ンの形をしたものに、本物のイエスが宿ることを意味します。イエスが宿ったパンとワインは「聖体」と見なされています。呪術といわれれば、それまでです が……。

ですから、聖餐をいただくということはイエスと一心同体になることです。秘蹟を共有する信者同士もコムニオン(連帯)をするのです。 そのため、カトリック教会では聖餐が単なる儀式ではなく、サクラメント(神の働きの具現)の一つとして捉えられています。日本語にはそれが「秘蹟」とも訳 されますが、聖餐のパンとワインに触れる者は、神自体に振れていることになっています。そのため、部外者にはとうてい参与できないのです。

私自身も、十四歳のときにはじめてこの聖餐に参与しました。礼拝に集まっている大人たちはみな、牧師の前で並び聖体をいただくわけで す。小さな一切れのパン(というより、せんべいのようなもの)を口に入れてから、大きな一つの杯からそれぞれ一口を飲みました。たとえ一口といえども、初 めてワインを飲む十四歳にとって、大人への大きな第一歩でした。その時、私の中で別の意味での聖変化が起りました。

「世の中にこんなおいしい飲み物があったなんて」

イエスには申し訳ないですが、それが正直な感想でした。

子どもがおおやけにワインを飲むということは日本ではちょっと考えにくいことですが、ドイツでは法的に酒で飲めるようになる年齢が、 実はちょうど十四歳になってからです。親が傍にいれば、十四歳の子どもは家でも飲み屋でもビールやワインを飲むことが許されています。ですから、十四歳で 聖なる「イエスの血」を飲むことには法的にもなんら支障がありません。ちなみに、親の了解がなくても、ドイツの若者が十六歳になれば、自分でビールやワイ ンを購入し消費することが許されます。ウィスキーやウォッカのような度数の高い酒だけは、十八歳になってからです。また、パスポートが発行されるのも十六 歳からで、この年齢になれば一人でも海外旅行など楽しめます。私もこのとき初めて一人でイギリス海峡を渡り、自転車でスコットランドまで旅をしました。欧 米の若者たちに比べれば、日本人の旅立ちの時期がかなり遅い気がします。

とにかく、ドイツ人が十四歳になって堅信するということは、大人へのイニシエーションでもあるのです。堅信でワインが飲めるようにな るだけではなく、たとえば教会のメンバーで構成されている「小教区の議会」(日本で言えば、お寺の檀家総代のような集まり)を選ぶ権利ももらえます。普通 の選挙には参加できない十四歳の子どもも、その時は一票を投じられます(ただし、被選挙権があるのは、十八歳になってから)。また、入学式や卒業式の存在 しないドイツでは、若者が社会人になるまでスーツを着てネックタイをしめるのは、堅信のときが最初で最後というのが多いではないでしょうか。ちなみに、 ファッションに無頓着な私は、式のためにわざわざスーツとネックタイを買うのはばかばかしいと思いました。ですから、黒いものなら何でもいいといって友達 から借りていた皮のジャケットと黒いジーンズで式に参与しました。まさかそのために借りていたと夢にも思っていなかったらしい友達は目をまん丸にし、

konfirmation2010

全員、赤の他人です。

「マジかよ、ここはヘルズ・エンジェルスの集会じゃあるまいし」

と言っていましたが、私は特にはがれているという自覚すらありませんでした。そして、最終的にまともな社会人として人生を歩みだすことなく仏門に入ったので、今日までネックタイを一度しめたことがないのも私です。いや、しめ方すらわかりません。

それはともかく、めでたく堅信した人は親戚から多くのお金をプレゼントされることも珍しくありません。私も二十万円ほどもらっていた と思います。そのためだけに教義を勉強し、毎週の礼拝に参加して、この儀式に参列する若者もいます。また、「友達もみなやっているから、自分もする」とい う人ももちろんいます。酒が飲める、金がもらえる、彼女ができる(かもしれない)…若者は(少なくとも私ですが)キリスト教の教義よりも、この三点によっ て酔わせれてしまっています。

しかし、建前としてはあくまでも本人の意志に基づいて、キリスト教の教義を学び、自らの宗教として選んでいるわけです。

私のキリスト教への入信の動機はこうしていたって不真面目なものでしたが、友達や同級生も似たようなものではなかったでしょうか。宗教心からではなく、社会人への第一歩として、周りに認めてもらいたいというのが堅信に参加して若者の本音だと思います。

(ネルケ無方、2013年6月22日)