キリスト教、仏教、そして私・その1

法王が疲れた

変ご無沙汰をしております。去年の7月以来の「火中の蓮」の更新です。思えば、11年前にこの寺の住職になったときには、毎月「帰命」というニュースレターを出していました。ネット時代以前から、浜坂の駅や駅前の喫茶店など、張り出していました。それがいつの間にか、ネットだけの記事になってしまいました。 最初はがんばって、お寺の山門の前の掲示板によく見かけるような、ありがたい話を書こうとしていましたが、自分には無理だとすぐ分かりました。ここは檀家寺ではなく、修行寺です。そこで、修行のありかたをめぐって、「大人の修行」シリーズを書き始めました。今から10年前です。しばらくは火がついたように、誰が読んでいる分からないにもかかわらず、 毎月かならず更新をしていました。自分じしんの経験を交えながら、修行の意味、大人の意味、迷いの意味などなどについて、かなりの量の文書を、へたくそな日本語で書き続けいました。そのフォーカスは途中からもっぱら「正しい坐り方」にシフトし、坐禅論みたいな話も加わりました。

それがきっかけで、2008年の秋に新潮新書の金寿煥さんから「一冊、新書を書いてみないか」という声がかかりました。その結果として仕上がったのが、2011年に出た「迷える者の禅修行」です。私の半生の伝記のようなものでもありますが、それまで書いていた「大人の修行」を自分なりにまとめたのがこのデビュー作でした。 それから一年して、2012年の春にはサンガ出版から「裸の坊様」が出て、夏にはそれまでの「正しい坐り方」を大幅に修正し・加筆された原稿が「ただ坐る」というタイトルで光文社新書から出て、秋には毎月朝日新聞のネットサイト「どらく」に載せていたエッセーのような短文所が「生きるヒント33」として出版されました。そして、その後、私はしばらく何も書く気にはなりませんでした。

ところが、今年の冬から、またいくつかの原稿に手を掛けてみました。いつ、どういう順番で世に出されるかはまだ確定していませんが、今年も何冊かの本が出版される予定です。テーマはいろいろです。正法眼蔵の話もあり、「自分とは?」というのもあり、対談本もあります。よかったら、読んでいただき、そして批判していただければ幸いです。

さて、今日、ローマ法王が退位します。イタリアの時間では夜の八時ですから、厳密にいえば日本時間の3月1日の早朝に、法王は法王ではなくなる予定です。現在の法王は、ドイツ出身のベネディクト16世です。2005年の春に、78歳で法王に選ばれました。法王として、異例にご高齢でした。そのご高齢にもかかわらず、よくも8年間の間、12億人の信者を誇る宗教団体のトップを勤めていたと思います。 ただ、その退位報道に驚かされた人も少なくないでしょう。ほかでもなく、私じしんは最初は冗談だと思いました。二月といえば、カトリックの世界ではカーニバル(謝肉祭)の時期です。ブラジルではなくても、例えばカトリック信者の多いケルンなどのライン地方ではこの時期になると、毎日のようにドンちゃん騒ぎをし、酔っ払い、躍ります。ドイツでは仮装して祝う習慣があります。この時に限って、ふだん「くそまじめ」と いわれているドイツ人も羽目を外すのです。ブラック・ジョークの一つや二つも、とうぜん飛ばされるでしょう。ところが、この情報はドイツのサイトだけではなく、アメリカでも日本でもトップ・ニュースとしてグーグルに載っていました。どうやら、法王の退位はガセではなく、本当らしい。

その日まで、ローマ法王がそもそもリタイアできるということを、私はまったく知りませんでした。この世の神の代弁者、イエスの代行人だから、とうぜんながら死ぬまで法王であり続けるとてっきり思っていました。私だけではないらしい。教会の中からも、「十字架から降りるやつがおるか!」という罵倒があったらしいです。 逆に、「この8年の間、法王がやったことで、退位が一番革命的だったし、それが教会のためになっただろう」という、やや皮肉った意見もありました。 前の法王、ヨハネ・パウロ2世ほど、ベネディクトはポピュラーではなかったようです。法王を弁解する声としてよく聞かれるのは「皆が心配していたほど、ひどい法王ではなかったよ」というような話です。ようするに、ベネディクトは内向的な学者タイプ、融通の利かない保守派、人間よりも本は好きだ、リーダーシップはゼロだという評判は以前からあったのです。 生意気もいいところですが、同じドイツ人で、異邦で宗教家として活動としている身として、そういわれる法王にむしろ親密感を覚えます。

法王ご自身の公的な理由は単純でした。身体と精神の疲れでした。それもそのはず、弟子が10人もいない安泰寺の住職をしている私でも、正直言って疲れています。やめられるなら、やめたいものです。しかも、法王が取り組んでいなければならなかった諸問題のスケールは、一個の山寺とは違っています。 たとえば、そこにウィキリークスにちなんで名づけられていたバチリークスのスキャンダルがありました。その時は、バチカンから膨大な量の秘密の書類が盗まれ、メディアに公開されてしまいました。 後ほどバチカンの警察から逮捕された犯人は、なんと法王の執事でした。しかし、書類を流した罪よりも、その書類に書かれている内容に世間の目は奪われていました。その書類から、バチカンの黒い裏が垣間見えていたからです。権力、金と性愛にまつわる争いごとばかり。

以前から、カトリック教会の神父がおこす児童の性的虐待事件が相次いで発見され報告されました。 とくにアメリカとヨーロッパには、教会の権力がまだ強かったときには「それも仕方ない、神父も人間だもの」とうやむやにされていましたが、とくにこの10年の間は、そういった事件は決して珍しいケースではなく、むしろ日常茶飯のように起っていたということが判明されました。ところが、法王の対応は遅く、しかも中途半端なものでした。 いまやカトリック教会の内部でも「神父の独身制度を廃止せよ」「女性もプリースト(聖職のこと、女性の場合は神母?)に!」などといった声はありましたが、それに一向に耳を課さなかったのも今の法王です。 神父の6割もゲーであるという報告もある一方で、教会は公式立場として、同性愛がキリスト教に反しているとしています。今の教会の諸問題の根源が「性の問題」であるといっても、過言ではないでしょう。

長い間、ホームページで何も発表してきませんでしたが、今日からは5日ペースを目指して、キリスト教の問題、仏教の問題、私自身の問題、性と宗教、宗教の社会的な必要の有無、などなどについて、しばらく文章を書いてみようと思います。付き合っていただければ、光栄です。次回は、3月5日の予定です。

(ネルケ無方、2013年02月28日)