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キリスト教、仏教、そして私・その11

失楽園その1:エデンのりんご

教は自由の宗教とは言っても、自由の解釈は人それぞれで、一概「仏教」といってもさまざまな教えがあり、実践がるのは事実です。前章でキリスト教の中で何回も開かれた公会議の歴史を見てきました。この公会議のことを英語ではカウンシルと言いますが、仏教の歴史において大きな意味を持つ結集も英語では「ブディスト・カウンシル」といいます。よく知られているのは釈尊の滅後に行われた第一回目の結集と、それから約一〇〇年後に行われた第二回目の結集です。第一回目の結集の時には、記憶力の並外れていた釈尊の愛弟子アナダが五〇〇人の比丘を前に師匠の説法を全て暗唱し、一同で確認しあいました。同じように、戒律はウパーリという比丘によって暗唱され、編集されました。二回目の結集のきっかけとなったのは、叢林(サンガ)の一部で戒律の解釈がおおらかになっていたことです。托鉢のときに本来なら受け取ってはいけない金銭を受け取っている比丘が現れていたようです。そのほかに議論の対象となったのは、比丘がお布施として受け取った塩を翌朝まで取って置きしてよいかどう、といったトピックでした。

アショーカ王の時代に行われた第三回目の結集について、それぞれの部派の文献のなかで違ったことが書かれています。というのも、この結集のときに仏教の教団は最初の分裂を経験します。喧嘩の発端となったのはどうやら、解脱した後でも人が夢精をするかどうかといった微細なことでした。そんなものは解脱してみないと分からないはずですが、インド人もたまにはドグマのことで頭を真っ赤にしていたようです。そして大衆部(マーハーサンギカ)といわれている一部の比丘はこれをきっかけに、戒律を固定したものではなく、必要に応じて改善してよいものと主張し、教団から離れてしまいました。彼らは後の大乗仏教の先駆者でした。

第四回目結集については、さらに情報が分かれています。上座仏教とも言われているテーラワーダでは、紀元前一世紀スリランカで行われた結集を「第四回目」として数えます。それ以外の仏教ではそれより一〇〇年後インド北部のカシミールで説一切有部という別のグループを中心に行われた結集を「第四回目」とします。つまり、このときには仏教教団がすでにばらばらに分かれてしまい、戒律の解釈も違っていれば、それぞれの持論も主張し始められていました。

テーラワーダだけで、第五階目と第六回目の結集も行われていますが、それは十九世紀と二〇世紀においてです。最後の結集には二五〇〇人もの比丘が参加し、そのなかには初めて欧米人も含まれていました。

ここで仏教が歴史の中でどう発展し、教えにどういうバリエーションがあるのかを全て説明する知識も余裕もありませんが、キリスト教との比較の中でいくつかの仏教的なパラダイムを浮き彫りにしたいと思います。

仏教もキリスト教と同じく「宗教」と呼ばれていますが、その中身がだいぶ違うのは想像するに難しくありません。いっぽうは絶対神による、この世界の創造から出発します。その物語は聖書の創世記に描かれています。創世記はご存知のように、キリスト教の呼び方を使えば『旧約聖書』の一番最初に載っていますが、厳密にいえばキリスト教以前にユダヤ教の聖典です。

創世記では、創造主が一週間をかけてこの世界を作ったことになっています。その創造主とは、言うまでもなくユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通している唯一神のことです。

初日には神は天と地を創造し、「光あれ!」という命令によって明かりをともしました。明暗を分け、昼夜を創造したわけです。

二日目には天上と天下が分けられ、大地の上にはドーム状の天井(おおぞら)が設けられたそうです。

三日目には海と陸が分けられ、神の命令によって植物が地上に生えるようになりました。

四日目には天上にはたくさんの明かりがつけられたそうです。つまり太陽と月、そして星空が創造されたわけです。

五日目には創造のペースがやや落ちてしまっています。この日には鳥と魚のみが作られています。神がすでにお疲れをお感じになっていたのでしょうか。

そして六日目にはまず動物が作られ、最後には人類の元祖アダムとイブが創造されました。このとき、神がへとへとだったと私は想像します。

ですから七日目には神はゆっくりと休んだことから、ユダヤ教ではこの日を安息日(Shabbath)として大事にしてきました。神が休んだ日には、人間もせっせと働くわけにはいきません。その七日目は何曜日かといえば、土曜日なのです。スペイン語の“Sabado”というつづりからも、それが分かります。「一週間は月曜日から始まり、日曜日で終わるのでは?」という人もいるかもしれませんが、それは現代人の感覚です。そうです、ローマ帝国の曜日の順番は「日月火水木金土」です。キリスト教とでも当初はミサを週の一日目の日曜日で行いましたが、安息日として変わらず七日目の土曜日を守っていたようです。しかし、四世紀あたりからではほとんどのキリスト教とは日曜日を休日すなわち安息日と見なすようになりました。その理由については諸説がありますが、従来のユダヤ教との差別化の狙いもあったのではないかと私は思います。

今は、まじめなクリスチャンなら日曜日で必ず休みを取って、教会に行くことにしています。いつの間にか日曜日が「七日目」になったわけです。しかし中には「セブンス・デー・アドベンチスト教会」のように、未だに土曜日を安息日として大事にしている教会もあります。私が小学生の頃には、クラスには一人だけアドベンチストの子がいましたが、信仰を理由に土曜日で学校を休むことが出来ていました。月のうちに二回ほど土曜日にも授業がありましたが、その日にみんなより一日長い週末を楽しめる友達がうらやましかったのです。彼の胸の中に、どういう思いであったかは知るすべもありませんでした。何しろ、その日には熱心なアドベンチストである親に無理やりに教会に連れられていくわけですから、むしろ普通に学校に行きたかったかもしれません。

話を創世記に戻しましょう。ご周知のとおり、人類の誕生の現場は「エデン」という楽園でした。人間一号のアダムは直接に土から創造され(「アダム」という言葉には「人」のほかには、「土」という意味もあるらしい)、命の息を吹き込まれました。それから、女性のイブは男のあばら骨から創造されました。フェミニストたちが「キリスト教は男中心」と怒っているのも無理がありません。父なる神も男、イエスも男、人そのものは男……。英語でも、manといえば「人」でもあり「男」でもあります。どうして女性がwomanなのか、まるで付属物のようではないか?

しかし、それで喧嘩になるのも現代だからこそです。人類の最初のカップルはそんなことも考えずに、ただひねもす楽園の中で楽しく遊んでいたではないでしょうか。アダムとイブが悩み苦しみの類を経験していたという話はどこにも書いていません。裸で遊んでいた二人は衣服のことを考えることもなく、晩御飯の心配をする必要もなかったようです。なにしろ、楽園はおいしい実のなる気木もたくさん生えていたので、腹が減っていれば、好きな木からその実を食べればよかったわけです。ただ楽園の中央にある智恵の木だけは、その実を食べてはいけないと禁じられていました。厳密に言えば、その木の名称は「善悪を知る知恵の樹」でした。それはつまり、分別心のことだと私は思います。

欧米の社会は「契約社会」ともいわれていますが、その背景にはキリスト教があります。聖書が「旧約」と「新約」に分けられているのも、それぞれ違う約束事を含んでいるからです。旧約聖書では、神の掟を守れば、神がユダヤ民族を敵を守るという約束が中心です。約束を守るか守らないかで、最後の日では人間が裁かれます。

新約聖書では、その約束がガラッと変わっています。それまでの人類の罪を、イエスは十字架によって贖ったとされています。これからの問題は、掟を守るかどうかではなく、イエスを救世主として信じるかどうかです。信じる者は救われわけです。信じない者は、たとえ正しく生活したとしても救われないというのが頑固なクリスチャンのいう信仰です。

先を急がず、エデンの楽園に戻りましょう。そこには、罪のにおいも十字架の血なまぐささも、まだどこにもありません。「この木の実だけは食べてはいけない」という約束以外には、人間はやりたい放題だったのです。しかしアダムとイブは、その約束を破ってしまいました。厳密にいえば、イブはあるヘビに進められて智恵の木の実を食べてしまい、アダムにもそれを食べさせました。そこで二人ははじめて自分たちの裸の姿が気になっていたようで、アソコをイチジクの葉っぱで隠すことにしました。それがわざわいして、神が様子の変化に気づいたのです。

「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。

地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。

あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」(創世記3:17~19)

それ以降の人類も、バベルの塔が破壊されたり、大洪水でノアの箱舟以外すべて流されたり、散々な目にあっています。ユダヤ民族がエジプトで奴隷になった時期もありました。ユダヤ民族の運命が一転したのは、モーセに率いられてエジプトからの脱出に成功したときです。神のたすけがあったことは言うまでもありません。特に海が分かれたエピソードは有名です。その後、モーセは一人でシナイ山に上り、神から十戒を授かれます。今でも若きクリスチャンが堅信の授業が暗記させられる、十の項目です。その中には「殺してはならない」「姦淫してはならない」「盗んではならない」といった、そのままで仏教にも通ずる戒もありますが、最初の三つは一神教としての性質を強く浮き彫りにしています。

「わたしのほかに神があってはならない」
「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」
「主の日を心にとどめ、これを聖とせよ」

三つ目でいわれている「神の日」とは安息日のことなので、このときから週に一回、休むことが神から許されたというより、義務付けられたわけです。しかし、これはカトリック・ルーテル両教会の言い方です。東方正教会やルーテル以外のプロテスタント教会の場合は、「安息日を守ること」が四番目の項目、二つ目として偶像崇拝の禁止の戒が入ります。

それにしても、一神教の神はどうしてそれほど嫉妬深いなのか、私にはよく分かりません。世の中に神がたくさん存在していれば、「わたしのほかには神があってはならない」というのが分かりますが、そもそも神は唯一となれば、そんな戒はナンセンスな気がします。世の中に女性が一人しかいなければ、その彼女にいちいち「あなた、まさか浮気はしないでしょうね」「私のルックスについて、いちゃもんをつけないでね」「他の女の画像もみてはいけない」といわれないはずです。そんなことは、敵を意識してこそいうセルフです。

(ネルケ無方、2013年5月24日)