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本堂回り&学道用心集&人生の意味&よみがえる雪舟&関西でも「何でもない禅」、2017年12月20日

2018年1月2日(火)より、ポレポレ東中野にてお正月公開される映画『Zen for Nothing~何でもない禅』は、ついに大阪上映も決定されました。2/10(土)~3/2(金)、第七藝術劇場でご覧になれます。

資料:
(六)参禅に知る可(べ)き事
右、参禅学道は一生の大事なり、忽(ゆるが)せにす可(べ)からず。豈(あ)に卒爾(そつじ)ならんや。
古人、臂(ひじ)を断ち指を斬(き)る、神丹(しんだん)の勝躅(しょうちょく)なり。昔、仏(ほとけ)家を捨て国を捨(す)つ、行道の遺蹤(ゆいしょう)なり。今人(こんじん)云く、行じ易(やす)きの行を行ずべしと。此(こ)の言(ごん)尤(もっと)も非なり、太(はなは)だ仏道に合(かな)わず。若し事(こと)を専(もっぱ)らにして以つて行に擬(ぎ)せば、偃臥(えんが)も猶(な)お懶(ものう)し。一事に懶(ものう)ければ万事に懶し。易(やすき)を好むの人は、自(おの)ずから道器に非(あら)ざることを知る。
況や今世(こんぜ)流布(るふ)の法は、此れ乃ち釋迦大師、無量劫来(こうらい)、難行苦行して、然して後乃ち此の法を得たり。本源既に爾(しか)り。流派(りゅうは)豈に易(やす)かる可けんや。道を好むの士は易行(いぎょう)に志すこと莫(なか)れ。
若し易行を求むれば、定(さだ)んで実地(じっち)に達せず、必ず宝所(ほうじょ)に到らざる者か。古人、大力量(だいりきりょう)を具(ぐ)するすら、尚おし言わく、行じ難しと。識(し)るべし仏道の深大(じんだい)なることを。若し仏道本より行じ易き者ならば、古来大力量の士、難行難解(なんげ)と言う可からず。
今人を以つて古人に比するに、九牛(きゅうぎゅう)の一毛(もう)にも及ばず。而るに此の少根薄識(はくしき)を以つて、縦ひ力を励まして、難行能行に擬するも、猶お古人の易行易解(いげ)にも及ぶ可からず。
今人の好む所の易解易行の法とは、其れ是れ何ぞや。已(すで)に世法に非ず、又仏法に非ず、未だ天魔波旬(はじゅん)の行(ぎょう)にも及ばず、未だ外道二乗の行にも及ばず、凡夫迷妄(めいもう)の甚だしきと云う可きか。縦ひ出離に擬すと雖も、還って是れ無窮(むきゅう)の輪廻なり。
其(そ)の骨を折り髄を砕(くだ)くを観るに、亦た難からずや、心操を調ふの事尤も難し。長斎梵行も、亦た難からずや、身行を調うるの事尤も難し。若し粉骨(ふんこつ)貴ぶべくんば、之を忍ぶ者昔より多しと雖も、得法の者惟(こ)れ少なし。斎行の者貴ぶ可くんば、古より多しと雖も、悟道の者惟(こ)れ少なし。是れ乃ち心を調うること甚だ難(かた)きが故なり。聡明(そうめい)を先と為(せ)ず、学解(がくげ)を先と為ず、心意識を先と為ず、念想観を先と為ず、向来都(すべ)て之を用いずして、身心を調へて以つて仏道に入るなり。
釋迦老師の云わく、観音流(ながれ)を入(かえ)して所知(しょち)を亡ずと、即(すなわ)ちこの意なり。
動静の二相、了然(りょうねん)として生ぜず、即(すなわ)ちこの調(ちょう)なり。若し聡明(そうめい)博解(はくげ)を以つて、仏道に入る可くんば、神秀上座其の人なり。若し庸体(ようたい)卑賤(ひせん)を以つて、仏道を嫌うべくんば、曹渓の高祖豈に敢(あ)えてせんや。仏道を伝へ得(う)るの法は、聡明博解の外(ほか)に在ること、是(ここ)に於いて明かなり。探(さぐ)って尋(たず)ぬ可く、顧(かえり)みて参ず可し。又年老耄及(ねんろうぼうきゅう)を嫌わず。又た幼稚壮齢(そうれい)を嫌わず。趙州は六旬余にして始めて参ず、然りと雖も祖席の英雄たり。鄭娘(ていじょう)は十二歳にして久学す、能く又た叢林の抜萃(ばっすい)なり。
仏法の威(い)は、加(か)と不加(ふか)とに見(あら)はれ、参と不参とに分かる。或いは教家(きょうけ)の久習(くじゅう)、或いは世典(せてん)の旧才(くさい)も、皆な禅門を訪(と)うべし。其の例是れ多し。南岳の慧思は多才の人なり、尚お達磨に参ず、永嘉の玄覚は秀逸(しゅういつ)の士なり、已(すで)に大鑑に参ず。
法を明らめ、道を得ること、参師の力(ちから)為(た)る可し。但だ宗師に参問するの時、師の説を聞いて、己見(こけん)に同(どう)ずること勿(な)かれ。若し己見に同ずれば、師の法を得ざるなり。
参師問法の時、身心を浄(きよ)らかにし、眼耳(げんに)を静かにして、唯だ師の法を聴受(ちょうじゅ)し、更に余念(よねん)を交(まじ)えざれ。身心一如にして、水を器に瀉(そそ)ぐが如し。若し能く是の如くならば、方(まさ)に師の法を得るなり。
今、愚魯(ぐろ)の輩(やから)、或いは文籍(もんじゃく)を記(き)し、或いは先聞(せんもん)を蘊(つつ)み、以つて師の説に同ず。此の時唯だ己見古語のみありて、師の言(げん)未だ契(かな)わず。或いは一類あり、己見を先と為して、経卷を披(ひら)き、一両語を記持して、以つて仏法と為す。後に明師宗匠に参じて、法を聞くの時、若し己見に同ぜば是と為し、若し旧意に合(かな)はずんば非と為す。邪を捨(すつ)る方(ほう)を知らず、豈に正に帰するの道に登(のぼ)らんや。縦え塵沙劫(じんじゃごう)も尚お迷者(めいじゃ)たらん、尤も哀(あわれ)むべし、之れを悲しまざらんや。
参学識(し)るべし、仏道は、思量、分別、卜度(ぼくたく)、観想、知覚、慧解(えげ)の外に在ることを。
若し此れ等の際に在らば、生来常に此れ等の中に在りて、常に此れ等を翫(もてあ)そぶ、何が故ぞ今に仏道を覚せざるや。
学道は、思量分別等の事を用いる可からず。常に思量等を帯(お)ぶる、吾が身を以つて検点(けんてん)せば、是(ここ)に於いて明鑑(めいかん)なる者なり。其の所入(しょにゅう)の門は、得法の宗匠(しゅうしょう)のみありて之を悉(つまび)らかにす。文字(もんじ)法師(ほっし)の及ぶ所に非ざるのみ。
天福甲午清明(てんぷくこうごせいめい)の日書す。

ラジオ出演「人生の意味とは」& 臘八接心中の雪、2017年12月8日

12月3日にNHKのラジオ第二で放送された「人生の意味とは」は、日曜日の午後6:30~午後7:00に再放送されます:
www2.nhk.or.jp/hensei/program
聞き逃した方は、こちらでもダウンロードできます:
http://blog.goo.ne.jp/ippouji/e/a558241dc95bdf5ef338f1f7b98cfdde

さて、12月8日は真珠湾攻撃の日でもあり、ジョン・レノンの命日でもありますが、仏弟子にとってはまず何より「成道会」つまり釈尊が菩提樹下で悟られた日なのです。また、一年で最も長く最も寒い臘八接心もこの日の未明まで続きます。この臘八接心中に雪が積もりう始めることも多く、今年も12月8日に最後に車で参道が通れました。来年の3月26日まではカンジキでの上・下山になります。