知事清規の輪講(一回目・道宣の当番)、2017年1月29日
まずは岩波文庫版の「知事清規矩」の原文を読み上げます:
続いて、英訳です:
ここから、道宣の説明が始まります:
まずは岩波文庫版の「知事清規矩」の原文を読み上げます:
続いて、英訳です:
ここから、道宣の説明が始まります:
ムリロの英語の輪講の前に、神田が原文を読み上げました:
典座教訓の全文はこちら:
https://antaiji.org/archives/jap/ten.shtml
山僧歸國より以降(このかた)錫を建仁に駐(とど)むること一兩三年。
彼寺(矛+攵+心)(おろ)かに此の職を置けども。唯だ名字のみ有て、全く入の實無し。
未だ是れ佛事なることを識らず、豈に敢て道を弁(冖+月)せんや。
眞に其の人に遇はず、虚く光陰を度り、浪(みだり)道業を破ることを憐憫すべし。
會(かつ)て彼の寺を看るに此の職の僧、二時の齋粥、都(すべ)て事を管せず。一りの無頭腦、無人情の奴子(ぬす)を帯して、一切大小の事、總に佗に説向す。正を作得すも、不正を作得すも、未だ會て去(ゆ)いて看せず。
鄰家に婦女有るが如くに相ひ似たり。若し去(ゆ)いて得佗を見れば、及ち恥とし及ち瑕(きず)とす。
一局を結構して、或は偃臥し、或は談笑し、或は看經(かんきん)し、或は念誦して、日久しく月深けれども、鍋邊(かへん)に到らず。
況(いわん)や什物を買索(ばいさく)し、味數を諦觀するは、豈に其の事を存せんや。
何(いか)に況や兩節の九拜未だ夢にだも見ざること在り。
時至れども童行(ずんなん)に教ることも也(ま)た未だ會て知らず。
憐むべく悲むべし。無道心の人。未だ會て有道徳に遇見せざるの輩(ともがら)、寶山に入ると雖も、空手にして歸り、寶海に到ると雖も、空身にして還ること。
應に知るべし佗未だ會て發心せずと雖も、若も一本分人に見(まみ)へば、則ち其の道を行得せん。
未だ本分人に見へずと雖も、若し是れ深く發心せば、則ち其の道を行膺せん。
既に以(すで)に兩つながら闕(か)かば、何を以てか一の益あらん。
大宋國の諸山、諸寺、知事頭首の職に居るの族(やから)を見るが如きんば、一年の精勤爲りと雖も、各三般(さんぱん)の住持を存し、時と與(とも)に之を營み、縁を競ふて之を勵む。
已に他を利するが如く兼て自利を豐にす。叢席を一興し高格を一新す。肩を齋(ひとし)うし頭を竸ひ踵を繼ぎ蹤を重んず。
是に於て應に詳(つまびらか)にずべし。自を見ること佗の如くなるの癡人(ちにん)有り。佗を顧ること自の如くなるの君子有りことを。
古人云く、「三分の光陰二早く過ぐ、靈臺一點も揩磨(かいま)せず。生を貧り日を遂ふて區區(くく)として去る。喚(よ)べども頭を囘らさず爭奈何(いかん)せん」と。
須(すべから)く知るべし未だ知識に見(まみ)えんざれば、人情に奪は被(る)ることを。
憐むべし愚子長者所傳の家財を運出(うんすい)して、徒(いたづら)に佗人面前の塵糞と作すことを。
今は乃ち然かあるべからざるか。
嘗(かつ)て當職を觀るに前來の有道、其の掌其の徳自から符す。
大イの悟道も、典座の時なり。洞山の麻三斤も、亦た典座の時なり。
若し事を貴ぶべき者ならば、悟道の事を貴ぶべし。若し時を貴ぶべき者ならば、悟道の時を貴ぶべき者か。
事を慕ひ道を耽(たのし)むの跡、砂(いさこ)を握て寶と爲する、猶ほ其の驗(しる)し有り。形を模して禮(らい)を作す。屡(しばし)ば其の感を見る。
何(いか)に況(いわん)や其の職是れ同じく、其の稱(しょう)是れ一なるをや。
其の情其の業、若し傳ふべき者ならば、其の美其の道、豈に來らざらんや。
続いて、ムリロが奥村正博老師の英語訳を読み上げます:
ネットでも、典座教訓の英訳がご覧になれます。奥村正博老師とは別バージョンです:
Instructions for the Cook (Stanford translation)
INSTRUCTIONS FOR THE TENZO (translated by Anzan Hoshin & Yasuda Joshu)
以下はスタンフォード大学のバージョンです:
After I returned to Japan I took up residence in Kennin Monastery for several years. That monstery established the position of cook, but it was in name only; there was no one at all who actually carried it out. As yet unaware that this is the work of the Buddha, how pathetic was their pursuit and practice of the way! Truly it is pitiable that they, without meeting such a person, vainly passed their days and recklessly destroyed the way of practice. Once I observed that the monk who held the position of cook at that monastery did nothing at all to manage the two daily meals. He entrusted all matters large and small to a servant without a brain or human feelings, giving him only general instructions. He never ever went to see whether the work was done properly or not. He acted as if he was the wife of a neighboring house: if he went and saw the other, it would be an embarrassment or an injury. He ensconced himself in his office, sometimes reclining, sometimes chatting and laughing, sometimes reading sûtras, and sometimes reciting prayers. For days on end and many months he did not approach the vicinity of the pots. How much less did he take stock of the utensils or pay attention to the flavors and numbers [of side dishes]. How could […]
典座教訓の全文はこちら: antaiji.org/archives/jap/ten.shtml
今日のテキストの原文は:
又嘉定(かてい)十六年、癸未(きび)、五月中。慶元の舶裏(はくり)に在りて、倭使頭説話(せつた)次、一老僧有り來。年六十許歳(ばかり)。一直に便ち舶裏に到り、和客に問ふて倭椹(わじん)を討(たず)ね買う。
山僧他を請(しょう)して茶を喫せしむ。佗の所在を問へば、便ち是れ阿育王山の典座なり。
佗云く、「吾は是れ西蜀の人なり。郷を離るること四十年を得たり。今年是れ六十一歳。向來粗ぼ諸方の叢林を歴(へ)たり。先年權(か)りに孤雲裏に住し、育王を討ね得て掛搭(かた)し、胡亂に過ぐ。
然あるに去年解夏(かいげ)了(りょう)。本寺の典座に充てらる。明日五日なれども、一供(く)渾(すべ)て好喫無し。麺汁を做(つく)らんと要するに、未だ椹(じん)の在らざる有り。仍(よっ)て特特として來る。椹を討ね買いて、十方の雲衲に供養せんとす」と。
山僧佗に問ふ、「幾ばく時か彼(かしこ)を離れし」。座云く、「齋了(さいりょう)」。
山僧云く、「育王這裏を去ること多少の路か有る」。座云く、「三十四五里」。山僧云く、「幾ばく時か寺裏に廻り去るや」。座云く、如今(いま)椹を買ひ了らば便ち行(さら)ん」。
山僧云く、「今日期せずして相ひ會し、且つ舶裏に在て説話(せった)す。豈に好結縁(こうけつえん)に非ざらんや。道元典座禪師を供養せん」。
座云く、「不可なり。明日の供養、吾れ若し管せずんば、便ち不是(ふぜ)にし了(おわ)らん」。
山僧云く、「寺裏何ぞ同事の者齋粥を理會する無からんや。典座一位、不在なりとも、什麼(なん)の欠闕(かんけつ)か有らん」。
座云く、「吾れ老年に此の職を掌(つかさど)る。及ち耄及(ぼうぎゅう)の辨道なり。何を以て佗に讓る可けんや。又た來る時未だ一夜宿の暇を請はず」。
山僧又典座に問ふ、「座尊年、何ぞ坐禪辨道し、古人の話頭を看せざる。煩く典座に充て、只管に作務す、甚(なん)の好事か有る」と。
座大笑して云く、「外国の好人、未だ辨道を了得せず。未だ文字を知得せざること在り」と。
山僧佗の恁地(かくのごとき)の話を聞き、忽然として發慚驚心(ほつざんきょうしん)して、便ち佗に問ふ、「如何にあらんか是れ文字。如何にあらんか是れ辨道」と。
座云く、「若も問處を蹉過せずんば、豈に其の人に非ざらんや」と。
山僧當時(そのかみ)不會(ふえ)。
座云く、若し未だ了得せずんば、佗時(たじ)後日、育王山に到れ。一番文字の道理を商量し去ること在らん」と。
恁地(かくのごとく)話(かた)り了って、便ち座を起って云く、「日晏(く)れ了(な)ん忙(いそ)ぎ去(いな)ん」と。便ち歸り去れり。
越智につづいて、フェルナンダが奥村正博老師の英語訳を読み上げます:
ネットでも、典座教訓の英訳がご覧になれます。奥村正博老師とは別バージョンです:
Instructions for the Cook (Stanford translation)
INSTRUCTIONS FOR THE TENZO (translated by Anzan Hoshin & Yasuda Joshu)
有名な「シイタケ典座」のエピソードです。
ここより、越智の説明:
後半の原文です:
同年七月、山僧天童に掛錫(かしゃく)す。時に彼の典座來りて得相見して云く、「解夏了(かいげりょう)に典座を退き、郷に歸り去らんとす。適(たまた)ま兄弟(ひんでい)の老子が在りと説くを箇裏に聞く。如何ぞ來りて相見せざらんや」と。山僧喜踊(きゆう)感激して、佗を接して説話(せった)するの次で前日舶裏に在りし文字辨道の因縁を説き出す。
典座云く、「文字を學ぶ者は、文字の故を知らんことを爲(ほっ)す。辨道を務る者は、辨道の故を(冖+月)(うけが)わんことを要す」と。
山僧佗に問う、「如何にあらんか是れ文字」。座云く、「一二三四五」。
又問う、「如何にあらんか是れ辨道」。座云く、「(彳+扁)界會て藏さず」と。
其の餘の説話(せった)、多般(たはん)有りと雖も、今緑せざる所なり。
山僧聊(いささ)か文字を知り、辨道を了するは、及ち彼の典座の大恩なり。
向來一段の事、先師全公に説似す。公甚だ隨喜するのみ。
山僧後に雪竇の頌有り僧に示して「一字七字三五字。萬像窮め來るに據(よ)りどころ爲(あら)ず。夜深(ふ)け月白うして滄溟に下り、驪珠(りじゅ)を捜り得るは多許(そこばく)か有る」と云を看る。
前年彼の典座の云ふ所と、今日雪竇の示す所と、自ら相ひ符合す。彌(いよいよ)知る彼の典座は是れ眞の道人なることを。
然あれば則ち從來看る所の文字は、是れ一二三四五なり。今日看る所の文字も、亦た六七八九十なり。
後來の兄弟(ひんでい)、這頭從り那頭を看了し、那頭從り這頭を看了す。恁(かくのごとき)功夫を作さば、便ち文字上の一味禪を了得し去らん。
若し是の如くならずんば、諸方の五味禪の毒を被りて、僧食を排辨するに、未だ好手たることを得(う)べからざらん。
誠に夫れ當職は先聞現證(せんもんげんしょう)。眼に在り耳に在り。文字有り道理有り。正的(しょうてき)と謂つべきか。
縱(すで)に粥飯頭の名を忝(かたじけの)うせば、心術も亦た之に同ずべきなり。
ここより、再びフェルナンダが奥村正博老師の英語訳を読み上げます:
最後に、「四弘誓願」を称えます:
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど) – 「生きとし生ける者をすべて救おう」という誓願
煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん) – 「煩悩は尽きることがないが、すべて断とう」という誓願
法門無量誓願智(ほうもんむりょうせいがんち) – 「法門は計り知れないが、すべて知ろう」という誓願
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう) – 「仏道に終わりがないが、かならず成仏しよう」という誓願
典座教訓の全文はこちら:
antaiji.org/archives/jap/ten.shtml
今日のテキストの原文は:
粥時の菜を調ふる次に、今日齋時に飯羮等に用うる所の盤桶(ばんつう)並に什物調度(じゅうもつちょうど)を打併(たびゃう)して、精誠浄潔(せいせいじょうけつ)に洗灌(せんかん)し、彼此(ひし)高處(こうじょ)に安ずべきは高處に安じ、低處に安ずべきは低處に安ぜよ。高處は高平に、低處は低平。
キョウ(木+夾)杓(きょうしゃく)等の類、一切の物色(もつしき)、一等に打併して、眞心(しんしん)に物を鑑(かん)し、輕手(けいしゅ)に取放(しゅほう)す。
然して後に明日の齋料(さいりょう)を理會(りえ)せよ。先ず米裏に蟲有らんを擇べ。緑豆(りょくず)・糠塵(こうじん)・砂石等、精誠に擇べ。
米を擇び菜を擇ぶ等の時、行者(あんじゃ)諷經(ぶぎん)して竈公(そうこう)に囘向(えこう)す。
次に菜羮(さいこう)を擇び物料(もつりょう)を調辨(ちょうべん)す。
庫司に隨いて打得(たとく)する所の物料は、多少を論ぜず、麁(鹿+鹿+鹿)細(そさい)を管せず、唯だ是れ精誠に辨備するのみ。切に忌(い)む。色を作して口に料物の多少を説くことを。
竟日(ひねもす)通夜(よもすがら)、物來りて心(むね)に在り、心(むね)歸して物に在り。一等に佗の與(ため)に精勤辨道す。
三更(さんこう)以前は、明曉(みょうきょう)の事を管し、三更以來は、做粥(さしゅく)の事を管す。
當日の粥了(おわ)らば、鍋(か)を洗い飯を蒸し羮(こう)を調う。
齋米(さいべい)を浸(ひた)すが如きは、典座水架(すいか)の邊を離るること莫(な)れ。明眼(めいげん)に親しく見て、一粒(りゅう)を費さず。如法に淘汰せよ。
鍋に納れて火を燒き飯を蒸す。
古に云く、「飯を蒸す。鍋頭を自頭と爲し、米を淘る。水は是れ身命なりと知れ」と。
飯を蒸し了らば、便(すなわ)ち飯ラ(竹+羅)裏(はんらり)に收め、及ち飯桶(はんつう)に收めて、擡槃(ばんだい)の上に安ぜよ。
菜羮(さいこう)等を調辨(ちょうべん)すること、應に飯を蒸すの時節に當るべし。
典座親く飯羮(はんこう)調辨の處在を見、或は行者を使い、或は奴子(ぬす)を使い、或は火客(こか)を使い、什物(じゅうもつ)を調えしめよ。
近來は大寺院に、飯頭(はんじゅう)・羮頭(こうじゅう)有り。然れども是れ典座の使う所なり。
古時は飯頭羮頭等無く、典座一管(いっかん)す。
凡(およ)そ物色(もつしき)を調辨するに、凡眼(ぼんがん)を以て觀ること莫れ。凡情を以て念(おも)うこと莫れ。
一莖艸(いっきょうそう)を拈(ねん)じて、寶王刹(ほうおうせつ)を建て、一微塵(いちみじん)に入いて、大法輪を轉ぜよ。
所謂(いわゆる)、縱(たと)えフ(艸+甫)菜羮(ふさいこう)を作るの時も、嫌厭輕忽(けんえんきょうこつ)の心を生ずべからず。縱え頭乳羮(ずにゅうこう)を作るの時も、喜躍歓悦(きやくかんえつ)の心を生ずべからず。既に耽著(たんじゃく)無し、何(なん)ぞ惡意(おい)有らん。然らば則ち麁に向うと雖も全く怠慢無く、細(さい)に逢(あ)うと雖も彌(いよいよ)精進有るべし。
切に物を遂うて心を變ずること莫れ。人に順(したが)いて詞(ことば)を改むるは、是れ道人に非ざるなり。
勵志至心(しいしん)に、浄潔(じょうけつ)なること古人に勝(まさ)れ、審細(しんさい)なること先老に超えんことを庶幾(こいねがふ)べし。
其の運心(うんしん)道用(どうゆう)の體(てい)たらくは、古先(こせん)は縱(たと)ひ三錢を得るときは、而(すなわ)ち(艸+甫)菜羮を作るも、今ま吾(わ)れ同く三錢を得るときは、而(すなわ)ち頭乳羮を作らんと。
此の事難(なん)爲(に)なり。所以(ゆえ)は何(いか)ん。今古殊異(しゅい)にして、天地懸隔(けんかく)なり。豈(あ)に肩を齋(ひと)しくすることを得る者ならんや。
然れども審細(しんさい)に辨肯(冖+月)するの時は、古人を下視(あし)するの理、定(さだ)んで之れ有り。
此の理、必然なるすらを、猶(な)お未だ明了ならざるは、思議(しぎ)紛飛(ふんぴ)して、其の野馬(やば)の如く、情念奔馳(ほんち)して、林猿(りんえん)に同じきを卒由(もつて)なり。
若(も)し彼の猿馬(えんば)をして、一旦(たん)退歩返照(たいほへんしょう)せしめば、自然(じねん)に打成一片(だじょういっぺん)ならん。是れ及(すなわ)ち物の所轉(しょてん)を被(こうむ)るとも、能(よ)く其の物を轉ずるの手段なり。
此の如く調和浄潔にして、一眼兩眼を失すること勿(なか)れ。
一莖菜を拈じて丈六の金身と作し。丈六の金身を請して一莖菜を作す。
神通及び變化、佛事及び利生する者なり。
已に調ひ調へ了て已に辨じ、辨じ得て那邊(なへん)を看し這邊(しゃへん)に安(お)け。