Monthly Archives: January 2014

ユンボで雪掻き、2014年1月31日

自受用三昧の電池切れ、2014年1月29日

学道用心集につづいて、昨日から弁道話の輪講を行っています。
今日は愚聖さんの番でした。「自受用三昧」について、一生懸命に説明しようとしていますが、答えが出る前にカメラの電池が切れてしまいました。ああ、残念・・・。

原文:

諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿耨菩提を証するに、最上無為の妙術あり。これただ、ほとけ仏にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。

この三昧に遊化するに、端坐参禅を正門とせり。この法は、人々の分上にゆたかにそなわれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし。

はなてばてにみてり、一多のきはならんや、かたればくちにみつ、縦横きはまありなし。
諸仏のつねにこのなかに住持たる、各々の方面に知覚をのこさず、群生のとこしなへにこのなかに使用する、各々の知覚に方面あらはれず。
いまおしふる工夫弁道は、証上に万法あらしめ、出路に一如を行ずるなり。その超関脱落のとき、この節目にかかはらんや。

予、発心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらひき。ちなみに建仁の全公をみる。あひしたがふ霜華すみやかに九廻をへたり。いささか臨済の家風をきく。全公は祖師西和尚の上足としてひとり無上の仏法を正伝せり。あへて余輩のならふべきにあらず。予かさねて大宋国におもむき、知識を両浙にとぶらひ家風を五門にきく。つひに太白峰の浄禅師に参じて一生の参学の大事ここにをはりぬ。それよりのち大宋紹定のはじめ本郷にかへりしすなはち弘法救生をおもひとせり。なほ重担をかたにおけるがごとし。

しかあるに弘通のこころを放下せむ激揚のときをまつゆゑに、しばらく雲遊萍寄してまさに先哲の風をきこえむとす。ただしをのづから名利にかかはらず道念をさきとせん真実の参学あらむか、いたづらに邪師にまどはされて、みだりに正解をおほひむなしく自狂にゑうてひさしく迷郷にしづまん。なにによりてか般若の正種を長じ得道の時を得ん。貧道はいま雲遊萍寄をこととすればいづれの山川をとぶらはむ。これをあはれむゆゑに、まのあたり大宋国にして禅林の風規を見聞し、知識の玄旨を稟持せしを、しるしあつめて参学閑道の人にのこして仏家の正法をしらしめんとす。これ真訣ならむかも。

いはく大師釈尊霊山会上にして法を迦葉につけ祖祖正伝して菩提達磨尊者にいたる。尊者みづから神丹国におもむき法を慧可大師につけき。これ東地の仏法伝来のはじめなり。かくのごとく単伝しておのづから六祖大鑑禅師にいたる。このとき真実の仏法まさに東漢に流演して節目にかかはらぬむねあらはれき。
ときに六祖に二位の神足ありき。南嶽の懐譲と青原の行思となり。ともに仏印を伝持しておなじく人天の導師なり。その二派の流通するによく五門ひらけたり。いはゆる法眼宗、潙仰宗、曹洞宗、雲門宗、臨済宗なり。見在大宋には臨済宗のみ天下にあまねし。五家ことなれどもただ一仏心印なり。大宋国も後漢よりこのかた教籍あとをたれて一天にしかりといへどもいまださだめざりき。祖師西来ののち直に葛藤の根源をきり純一の仏法ひろまれり。わがくににもまたしかあらんことをこひねがふべし。

いはく仏法を住持せし諸祖ならびに諸仏ともに自受用三昧に端坐依行するをその開悟のまさしきみちとせり。西天東地さとりをえし人その風にしたがえり。これ師資ひそかに妙術を正伝し真訣を稟持せしによりてなり。

ゆうだいくんの輪講:学道用心集 第八「禅僧(ぜんそう)の行履(あんり)の事 」、2014年1月24日

今日はゆうだいくんの当番でした。まずは原文を読み上げました:

 右、仏祖(ぶっそ)より以来(このかた)、直指(じきし)単傳(たんでん)、西乾(さいけ
ん)四七、東地(とうち)六世(ろくせ)、絲毫(しごう)を添(そ)えず、一塵(じん)を破(やぶ)
ること莫(な)し。衣(え)は曹渓(そうけい)に及び、法は沙界(しゃかい)に周(あま)ねし。時に如来の正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)、巨唐(きよとう)に盛んなり。其の法の體(てい)為(た)らくは、摸索(もさく)するも得ず、求覓(ぐみゃく)するも得ず。見處(けんじょ)に知(ち)を忘(ぼう)じ、得時(とくじ)に心を超(こ)ゆ。
 面目(めんもく)を黄梅(おうばい)に失(しつ)し、臂腕(ひわん)を少室(しょうしつ)に断(だん)ず。髄(ずい)を得、心(しん)を飜(ひるが)えして風流(ふうりゅう)を買ひ、拜(はい)を設(もう)け、歩(ほ)を退(しりぞ)いて便宜(べんぎ)に墮(お)つ。然(しか)れども、心に於ても身に於ても、住(じゅう)するなく著(じゃく)する無(な)し。留(とどま)らず滞(とどこお)らず。

 趙州(じょうしゅう)に僧問(と)う、狗子(くす)に還(かえ)つて仏性(ぶっしょう)ありや無なしやと。
 州云く、無(む)と。
 無字の上に於いて、擬量(ぎりょう)し得てんや、擁滞(ようたい)し得てんや。全く巴鼻(はび)なし。請(こ)う試みに手を撒(さっ)せよ。且(しば)らく手を撒して看(み)よ。
 身心は如何、行李(あんり)は如何ん、生死(しょうじ)は如何ん、仏法は如何ん、世法は如何ん、山河(さんが)大地、人畜(にんちく)家屋(かおく)、畢竟(ひっきょう)如何ん。
 看来り(みきた)り看(み)去って、自然(じねん)に動静(どうじょう)の二相(にそう)了然(りょうねん)として生ぜず。此の不生(ふしょう)の時、是れ頑然(がんねん)にあらず、人之れを證する無く、之れに迷うもの惟(こ)れ多し。
 参禅の人、且(しば)らく半途(はんと)にして始めて得たり、全途(ぜんと)にして辞(じ)すること莫れ。祈祷(きとう)、祈祷(きとう)。

Next the English translation from “Heart of Zen”:

英文を読んだ後、ゆうだいくんは安泰寺の修行生活を題材にしながら、参禅者の振る舞いについてお話しました。カンジキでの歩き方、皿の洗い方など、いろいろな面白い例を取り上げて、輪講を盛り上げました。

最後には質疑応答。恵光さんからの質問です。

“Buppou ha nan desu ka?” 2014年1月23日

今日は通完さんの輪講の番でした。
まず学道用心集の第七、「佛法を修行し出離を欣求する人は須らく参禅すべき事 」の原文を日本語で読み上げています:

 右、仏法は諸道(しょどう)に勝(すぐ)れたり。所以(ゆえ)に人之(こ)れを求む。
 如来(にょらい)の在世(ざいせ)には、全く二教(にきょう)なく、全く二師(にし)なし。大師釈尊、唯だ無上(むじょう)菩提(ぼだい)を以つて、衆生(しゅじょう)を誘引(ゆういん)するのみ。
 迦葉(かしょう)、正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)を傳へてより以来(このかた)、西天(さいてん)二十八代、東土(とうど)六代、乃至五家(ごけ)の諸祖(しょそ)、嫡々(てきてき)相承(そうじょう)して、更に断絶(だんぜつ)なし。
 然れば則ち梁(りょう)の普通(ふつう)中以後(いご)、始め僧徒(そうと)より、及び王臣
に至るまで、抜群(ばつぐん)の者は、帰(き)せずといふこと無し。
 誠に夫(そ)れ、勝(しょう)を愛すべき所以(ゆえん)は、勝(しょう)を愛すべきなればなり。葉公(しょうこう)の龍を愛するが如くなるべからざるか。
 神丹(しんだん)以東(いとう)の諸国、文字の教網(きょうもう)、海(うみ)に布(し)き山に遍(あま)ねし。山に遍(あま)ねしと雖も雲心(うんしん)なく、海に布(し)くと雖も波心(はしん)を枯(から)す。
 愚者(ぐしゃ)は之を嗜(たしな)む。譬(たと)えば魚目(ぎょもく)を撮(とっ)て以て珠(たま)と執(しゅう)するが如し。迷者(めいしゃ)は之を翫(もてあそ)ぶ。譬(たと)えば燕石(えんせき)を蔵(ぞう)して玉と崇(あが)むるが如し。
 多くは魔坑(まきょう)に堕(だ)して、屡(しばし)ば自身を損(そん)す。哀(かなし)む可(べ)し、辺鄙(へんぴ)の境(きょう)は邪風(じゃふう)扇(あお)ぎ易(やす)く、正法は通じ難し。
 然りと雖も、神丹の一国は、已(すで)に仏の正法に帰す。我が朝(ちょう)、高麗(こうらい)等は、仏の正法未だ弘通(ぐづう)せず。何(なに)が為ぞ、何(なに)が為ぞ。
 高麗国は猶(な)お正法の名を聞くも、我が朝(ちょう)は未だ嘗(かつ)て聞くことを得ず。前来入唐((にゅつとう)の諸師、皆な教網(きょうもう)に滞(とどこ)るが故なり。仏書を傳うと雖も、仏法を忘るるが如し。其の益(えき)是れ何ぞ。其の功(こう)終に空し。是れ乃ち学道の故実(こじつ)を知(し)らざる所以なり。哀(あわ)れむ可し、徒(いたず)らに労(ろう)して一生の人身(にんしん)を過すことを。

 夫れ仏道を学ぶに、初め門に入る時、知識の教(おし)えを聞き、教えの如く修行す。此の時知る可き事あり。所謂(いわゆる)法(ほう)我(われ)を転(てん)じ、我(われ)法を転(てん)ずるなり。
 我(われ)能く法を転(てん)ずるの時は、我は強く法は弱きなり。
 法還(かえ)って我(われ)を転(てん)ずるの時は、法は強く我は弱きなり。
 仏法従来(じゅうらい)此の両節(りょうせつ)あり、正嫡(しょうてき)に非ずんば、未だ嘗(かつ)て之を知らず。衲僧(のうそう)に非ずんば、名(な)すら尚お聞くこと罕(まれ)なり。
 若し此の故実(こじつ)を知(しら)ずんば、学道未だ辨(べん)ぜず、正邪奚為(なんすれ)ぞ分別(ふんべつ)せん。今、参禅学道の人、自(おのず)から此の故実を傳授(でんじゅ)す。所以(ゆえ)に誤(あやま)らざるなり。餘門(よもん)には無し。
 仏道を欣求(ごんぐ)するの人、参禅に非ずんば眞道(しんどう)を了知(りょうち)すべからず。

次は英語(奥村正博訳):

通完さんのバイリンガル・トークの最初の数分。「仏法は何ですか?」という問いかけからはじまっています:

書評「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」「イケテない日本」「ゆかいな仏教」「日本再仏教化宣言」、2014年1月21日

自分が住んでいる国がいやならば、いざ違う国に移住をすればよいと思います。
しかし、せっかく遠い外国に移住したとしても、そこでもいやなところが目に付く・・・。それは人間の性で仕方ありません。
自分から変えなければいけないのに、「いや、環境が悪い!」という。
今回、書評する「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」と「イケテない日本」もそうです。住んでみた、とはいっても、川口マーンという日本人がドイツに30年も住み、ノイマンというドイツ人も日本にすでに20年も滞在いている。それぞれ、いかに異邦での生活が不便でむかつくのか書き連ねています。
「イケテない日本」は日本では全く売れませんでしたが、ドイツでは大ヒットし「なぜ日本人はむかつくか」「なぜ日本人は狂っているか」といった続編まで産みました。そんなにむかつくなら、自分の国に帰ればいいじゃないか、だれしも思うでしょう。そんなに無駄な骨折りをしなくても?
自虐的になる必要は何もないが、相手の国を貶めてまで自分の地位を高めるのもどうか、と思います。このお二人は本当のところ、互いに日本とドイツという異邦でこれからも住み続け、バカならない印税で快適な生活をしているのではないでしょうか。




ぶらっと歩く雪の安泰寺、2014年1月19日

学道用心集の輪講が終わったあと、カメラは安泰寺を回ってみました。本堂をぐるっと、そして典座前の新雪の中を歩きました。不思議な音が聞こえたので、第二倉庫へ向かっていたら…。意外な発見がありました。

寒中お見舞い申し上げます、2014年1月16日

ご無沙汰をしています。安泰寺は今、静寂の世界の只中にあります。
去年の12月16日には、雲水と参禅者御一行が安泰寺を下山し、各方面で托鉢をしたり、帰省したりしていました。
ネルケ家はしばらく安泰寺に残りました。二学期の最後の登校日となるはずだった21日の朝には「暴風雪」と「波浪」の警報が出たため、学校は既に休みに入りました。雪が積もる中であたふたをしながら、妻と私が最後の荷物を車に載せて、浜坂の駅前の空家に引越しました。子供は三学期だけは浜坂の北小学校へ転校し、春から東小学校に戻る予定です。
私は東京・名古屋・大阪へ出向いて、2013年の最後の講演ツアーしまし南青山のヨガスタジオでの坐禅ワークショップの様子は、こちらでご覧になれます:
http://maeyoga.com/archives/5077

昨日の朝は安居者が浜坂に集まり、「池ケ平口」までバスで向かいました。

そこから重い荷物を背負って、かんじきで4キロの道のりを登らなければなりません。「重い荷物」のほとんどは、頂いた餅です。春までの食料です。9時に出発をし、お寺に着いたのは13時過ぎでした。荷物が重いだけではなく、日本海側の湿った雪も重く、かんじきが外れることもしばしばありました。歩いて一時間の時です:

昼頃、Sカーブを登って:

今日から三月の末までが雪籠りの時期です。毎朝、坐禅をしたあとに経典の勉強会を開いています。今年の輪講のテーマは「学道用心集」と「弁道話」です。薪ストーブを囲んで、滞在者は交代ごうたいにテキストを解釈し、自らの見解を述べてから、時には和を重んじながら、時には自己を主張しながらディスカッションをします。私も三月までの静かな時間で多く参究をし、新たな著書も書いてみたいと思います。

2月8日発売予定:
日本人に“宗教”は要らない

春になれば、世界中から新顔の参禅者も見えてくるはずです。彼らとともに、これからの世界に向けてどのような修行ができるのでしょうか。この問こそ、安泰寺の私たちが今取り組まなければならない最大の課題です。

来月の14日には先住、宮浦信雄老師が除雪の作業中に不良の事故に遭ってからすでに12年です。ですので、今年はの安泰寺八世の13回忌、それから3月18日には六世、内山興正老師の17回忌、そして12月21日には五世、沢木興道老師の50回忌があります。2月も3月も、そして12月も、いずれも安泰寺が雪に覆われている時期です。秋の10月8日に三人の先達を偲ぶために法要を計画しています。