Monthly Archives: October 2019

接心前の坐禅指導&本堂回り、2019年10月31日

安泰寺の「禅ガーデン」& 「禅キッチン」、ネルケ無方の話、2019年10月9日~26日

「12月17日開催サンガくらぶ『スリランカとドイツから見た日本仏教の現在』のプレイベントです。
①(ネルケ):youtu.be/4qAdMZzdREE
②(スマ長):youtu.be/1AKWTg1vXFo
講演会のお申し込みはコチラ:http://bit.ly/355KUQf

奥村正博老師について。
三心禅コミュニティ:amy.hi-ho.ne.jp/ryutaro-suzuki/
正博さんと私の最初の出会い、園部での修行体験について:muhone.hatenablog.com
SIT Short Documentary Film: youtu.be/b0CB_Gu2n9o
Zazen is Good for Nothing: youtu.be/8T-Z1WoFXkk

原文(現代語訳付き):dogen-shobogenzo.com/bendowa18.html
原文(現代語訳なし):shomonji.or.jp/soroku/genzou.htm

安泰寺の「禅ガーデン」& 田んぼ、ネルケ無方の講演、2019年9月22日~30日

Ⓠ⑪ とうていはく、「この坐禅をもはらせん人、かならず戒律を厳浄(ごんじょう)すべしや。」
Ⓐ⑪ しめしていはく、「持戒梵行は、すなはち禅門の規矩(きく)なり、仏祖の家風なり。いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その分なきにあらず。」

正法眼蔵随聞記一-二
亦云く、戒行持齋を守護すべければとて、強て宗として是を修行に立て、是によりて得道すべしと思ふも、亦これ非なり。只だ是れ衲僧の行履、佛子の家風なれば、隨ひ行ふなり。是れを能事(よきこと)と云へばとて、必ずしも宗とする事なかれ。然あればとて破戒放逸なれと云(いう)には非ず。若し亦かの如く執せば邪見なり、外道なり。只だ佛家の儀式、叢林の家風なれば隨順しゆくなり。是を宗とする事、宋土の寺院に寓(ぐう)せし時に、衆僧にも見へ來らず。實(まこと)の得道にためには唯だ坐禪工夫、佛祖の相傳なり。是によりて一門の同學五眼房(ごげんぼう)故葉上(ようじょう)僧正の弟子が、唐土の禪院にて持齋をかたく守りて戒經を終日誦せしをば、敎て捨てしめたりしなり。
懷奘問て云く、叢林學道の儀式は百丈の淸規を守るべきか。然あれば、彼れはじめに受戒護戒を以て先とすと見へたり。亦今の傳來相承は根本戒をさづくとみへたり。當家の口訣(くけつ)、面授にも、西來相傳の戒を學人にさづく。是れ便ち、今の菩薩戒なり。然あるに今の戒經に、日夜に是を誦せよと云へり。何ぞ是を誦するを捨てしむるや。
師云く、しかなり。學人最とも百丈の規繩(きじょう)を守るべし。然あるに其の儀式は受戒護戒坐禪等なり。晝夜に戒經を誦し專ら戒を護持すと云は、古人の行履に隨て祇管打坐すべきなり。坐禪の時何れの戒か持たざる。何れの功德か來らざる。古人行じおける處の行履、皆深き心なり。私しの意樂(いぎょう)を存ぜずして、衆に隨ひ古人の行履に任せて行じゆくべきなり。

正法眼蔵随聞記一‐十六
問て云く、破戒にして虚く人天の供養を受け、無道心にして、徒に如來の福分を費やさんより、在家人に隨ふて在家の事をなして、命ながらへて能く修道せんこと如何ん。
答て云く、誰か云ひし破戒無道心なれと。只強て道心を發し佛法を行ずべきなり。いかに況や持戒破戒を論ぜず、初心後心を分かたず、齊しく如來の福分を與ふとは見へたれども、破戒ならば還俗すべし、無道心ならば修行せざれとは見へず。誰人か初めより道心ある。只かくの如く發し難きを發し、行じがたきを行ずれば、自然に增進するなり。人々皆な佛性あり。徒づらに卑下すること莫れ。

正法眼蔵随聞記一-六
或時、奘問て云く、如何是不昧因果底道理(如なるか是れ不昧因果底の道理)。
師云く、不動因果なり。
云く、なんとしてか脱落せん。
師云く、因果歴然なり。
云く、かくの如くならば因、果を引起すや、果、因を引起すや。
師云く、總てかくの如くならば、かの南泉の猫兒(みょうじ)を斬るがごとき、大衆既に道ひ得ず、便ち猫兒を斬却(ざんきゃく)しおはりぬ。後に趙州、頭(こうべ)に草鞋(そうあい)を戴(いただ)きて出(いで)たりし、亦一段の儀式なり。
亦云く、我れ若し南泉なりせば、即ち云べし、道ひ得たりとも便ち斬却せん、道ひ得ずとも便ち斬却せん、何人か猫兒をあらそふ、何人か猫兒を救ふと。大衆に代て云ん、既に道ひ得ず、和尚猫兒を斬却せよと。亦大衆に代て云ん、和尚只一刀兩段を知て一刀一段を知らずと。
奘云く、如何是一刀一段。
師云く、猫兒(みょうじ)是(これなり)。
亦云く、大衆不對の時、我れ南泉ならば、大衆既に道不得と、云て便ち猫兒を放下してまじ。古人の云く、大用現前して軌則を存ぜずと。
亦云く、今の斬猫は是便ち佛法の大用現前なり、或は一轉語なり。若し一轉語にあらずば山河大地妙淨明心と云べからず。亦即心是佛とも云べからず。便ち此一轉語の言下(ごんか)にて猫兒即佛身と見よ。亦此(この)詞(ことば)を聽て學人も頓に悟入すべし。
亦云く、此(この)斬猫兒(ざんみょうじ)即是佛行なり。喚(よん)で何とか云べき。
云く、喚で斬猫と云べし。
奘云く、是れ罪相なりや否や。
云く、罪相なり。
奘云く、なにとしてか脱落せん。
云く、別別無見なり。
云く、別解脱戒とはかくの如を云か。
云く、然り。
亦云く、たヾしかくの如きの料簡(りょうけん)、たとひ好事なるとも無らんにはしかじ。
奘問て云く、犯戒の語(ご)は受戒已後(じゅかいいご)の所犯を云(いう)か、唯亦(ただまた)未受己前の罪相をも犯戒と云べきか。如何ん。
師答て云く、犯戒の名は受後の所犯を云べし。未受己前所作の罪相をば只罪相罪業と云て犯戒と云べからず。
問て云く、四十八輕戒の中に未受戒の所犯を犯と名くと見ゆ。如何ん。
答て云く、然らず。彼は未受戒の者、今ま受戒せんとする時、所造のつみを懺悔するに、今の戒にのぞめて、前に十戒等を授かりて犯し、後ち亦輕戒を犯ずるをも犯戒と云なり。以前所造の罪を犯戒と云にはあらず。
問て云く、今受戒せんとする時、まへに造りし所の罪を懺悔せんが爲に、未受戒の者に十重四十八輕戒を敎へて讀誦せしむべしと見へたり。亦下の文に、未受戒の前にして説戒すべからずと。此の二處の相違如何。
答て云く、受戒と誦戒とは別なり、懺悔のために戒經を誦するは猶是念經(ねんきん)なり。故に末受の者、戒經を誦せんとす。彼が爲に經を説かんこと咎あるべからず。下の文に、利養の爲のゆゑに未受戒の前にして是を説ことを制するなり。今受戒の者に懺悔せしめん爲には最も是を敎ゆべし。
問て云く、受戒の時は七逆の受戒を許さず。先の戒の中には逆罪も懺悔すべしと見ゆ。如何ん。
答て云く、實に懺悔すべし。受戒の時、許さヾることは、且く抑(よく)止門とて抑ゆる義なり。亦上の文は、破戒なりとも還(かえって)得受せば淸淨なるべし。懺悔すれば淸淨なり。未受に同からず。
問て云く、七逆すでに懺悔を許さば、亦受戒すべきか。如何ん。
答て云く、然あり。故僧正自ら所立(しょりゅう)の義なり。既に懺悔を許す、亦是受戒すべし。逆罪なりとも、くひて受戒せば授くべし。況や菩薩はたとひ自身は破戒の罪を受とも、他の爲には受戒せしむべきなり。

生死の中に仏あれば、生死なし。
またいはく、生死の中に仏なければ、生死にまどはず。
こころは夾山・定山といはれし、ふたりの禅師のことばなり。得道の人のことばなれば、さだめてむなしくもうけじ。

生死をはなれんとおもはむ人、まさにこの旨をあきらむべし。もし人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひ、おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。
いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱のみちをうしなヘり。ただ生死すなわち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし このときはじめて、生死をはなるる分あり。

生より死にうつるとこころうるは、これあやまりなり。生はひとときのくらいにて、すでにさきありのちあり。かるがゆゑに、仏法のなかには、生すなはち不生といふ。滅もひとときのくらゐにて、またさきありのちあり、これによりて滅すなはち不滅といふ。
生というときには、生よりほかにものなく滅というときは、滅のほかにものなし。かるがゆゑに、生きたらば、ただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。いとうことなかれ、ねがふことなかれ。

この生死は、すなはち仏の御いのちなり。
これをいとひすてんとすれば、すなはち仏の御いのちをうしなはんとするなり。これにとどまりて、生死に著すれば、これも仏のいのちをうしなうなり。仏のありさまをとどむるなり。
いとうことなく、したうことなき、このときはじめて、仏のこころにいる。ただし心をもてはかることなかれ、ことばをもていうことなかれ。

ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがひもてゆくときちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ仏となる。たれの人か、こころにとどこほるべき。

仏となるにいとやすきみちあり。
もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のためにあはれみふかくして、かみをうやまひ、しもをあはれみ、よろづをいとうこころなく、ねがふこころなくて、心におもうことなく、うれうることなき、これを仏となづく。またほかにたづぬることなかれ。

芙蓉山(フヨウザン)の楷祖(カイソ)、もはら行持見成(ギョウジ ゲンジョウ)の本源なり。国主より定照禅師号(ジョウショウ ゼンジゴウ)ならびに紫袍(シホウ)をたまふに、祖うけず、修表具辞(シュヒョウ グジ)す。国主とがめあれども、師つゐに不受なり。
米湯(ベイトウ)の法味(ホウミ)つたはれり、芙蓉山に庵(アン)せしに、道俗の川湊(センソウ)するもの、僅(オオヨソ)数百人なり。日食(ニチジキ)粥一杯なるゆゑに、おほく引去(インコ)す。師ちかふて赴斉(フサイ)せず。
あるとき、衆(シュ)にしめすにいわく、
「夫(ソ)れ出家は、塵労(ジンロウ)を厭(イト)ひ生死(ショウジ)を脱せんことを求めんが為なり。心を休め念を息(ヤ)めて攀縁(ハンエン)を断絶す、故に出家と名づく。豈(アニ)等閑(ナオザリ)の利養を以て、平生(ヘイゼイ)を埋没すべけんや。
直(ジキ)に須(スベカ)らく両頭撒開(リョウトウ サッカイ)し、中間放下(チュウゲン ホウゲ)して、声に遇(ア)い色に遇うも、石上(セキジョウ)に華(ハナ)を栽(ウユ)るが如く、利を見、名を見るも、眼中に屑(セツ)を著(ツク)るに似(ニ)たるべし。
況(イワ)んや無始(ムシ)従り以来、是れ曾(カツ)て経歴(ケイレキ)せざるにあらず、又是れ次第を知らざるにあらず、頭(コウベ)を飜(ホン)じて尾と作(ナ)すに過(スギ)ず。
止(タダ)此(カク)の如くなるに於て、何ぞ須(モチイ)ん苦苦(クク)として貪恋することを、如今(イマ)歇(ヤメ)ずんば、更に何(イズ)れの時をか待たん。
所以(ユエ)に先聖(センショウ)、人をして只(タダ)今時(コンジ)を尽却(ジンキャク)せんことを要せしむ。能く今時を尽さば、更に何事か有らん。
若し心中無事なることを得ば、仏祖猶ほ是れ冤家(オンケ)の如し。一切の世事、自然(ジネン)に冷淡にして、方(マサ)に始めて那辺(ナヘン)と相応(ソウオウ)せん。
你(ナンジ)見ずや、隠山(インザン)死に至るまで、肯(アエ)て人を見ず。趙州(ジョウシュウ)死に至るまで、肯て人に告げず。
匾担(ヘンタン)は橡栗(ショウリツ)を拾うて食(ジキ)とし、大梅(ダイバイ)は荷葉(カヨウ)を以て衣とす。紙衣道者(シエ ドウジャ)は只(タダ)紙を披(キ)、玄太上座(ゲンタイ ジョウザ)は只 布を著(ツ)く。
石霜(セキソウ)は枯木堂(コボクドウ)を置(タ)てて衆(シュ)と与(トモ)に坐臥(ザガ)す、只 你が心を死了(シリョウ)せんことを要(ヨウ)す。
投子(トウス)は人をして米(ベイ)を辨(ベン)じ、同じく煮て共に餐(サン)せしむ、你が事を省取(セイシュ)することを得んと要す。
且(シバラ)く従上(ジュウジョウ)の諸聖(ショショウ)、此(カク)の如くの榜様(ボウヨウ)あり、若(モ)し長処(チョウショ)無くんば、如何(イカン)が甘(アマナ)い得ん。
諸仁者(ショニンジャ)、若し也(マ)た斯(ココ)に於いて体究(タイキュウ)せば、的(マサ)に不虧(フキ)の人也。若し也た肯(アエ)て承当(ジョウトウ)せずんば、向後(コウゴ)深く恐らくは力を費やさん。
山僧(サンゾウ)行業(ギョウゴウ)取ること無うして、忝(カタジケナ)く山門に主たり、豈(アニ)坐(イナガ)ら常住(ジョウジュウ)を費やして、頓(トン)に先聖(センショウ)の附嘱(フショク)を忘る可けんや。
今 輙(スナワ)ち略(ホボ)古人の住持(ジュウジ)たる体例(タイレイ)に学(ナラ)わんと欲す。諸人と議定(ギジョウ)して更に山を下らず、斉(サイ)に赴かず。
化主(ケシュ)を発せず、唯 本院の荘課(ソウカ)一歳の所得をもて、均(ヒト)しく三百六十分と作(ナ)して、日に一分を取って之(コレ)を用い、更に人に随って添減(テンゲン)せず。
以て飯に備(ソナウ)べくんば、則(スナワチ)飯と作し、飯と作して足らずんば、則 粥と作し、粥と作して足らずんば、則 米湯(ベイトウ)と作さん。
新到相見(シントウ ショウケン)も茶湯のみ、更に煎点(センテン)せず。唯 一茶堂を置いて、自ら去って取り用ゆ。務めて縁を省て、専一に辨道(ベンドウ)せんことを要す。
又 況(イワンヤ)や活計 具足(グソク)し、風景 疎ならず、華 笑(エ)むことを解(ゲ)し、鳥 啼くことを解す、木馬 長(トコシナ)えに鳴(イナナ)き、石牛(セキギュウ)善く走(ワシ)る。
天外(テンガイ)の青山 色 寡(スクナ)く、耳畔(ニハン)の鳴泉 声無し。
嶺上 猿啼いて、露 中霄(チュウショウ)の月を湿(ウルオ)し、林間 鶴 唳(ナ)いて、風 清暁(セイギョウ)の松を回(メグ)る。
春風 起る時、枯木 龍吟(リュウギン)し、秋葉 凋(シボ)みて、寒林 花散ず。
玉階苔蘚(ギョクカイ タイセン)の紋(モン)を鋪(シ)き、人面煙霞(ニンメン エンカ)の色を帯(オ)ぶ。
音塵寂爾(オンジン ジャクニ)として、消息宛然(ショウソク エンネン)たり。一味蕭条(イチミ ショウジョウ)として、趣向(シュコウ)すべき無し。
山僧(サンゾウ)今日、諸人の面前(メンゼン)に向かって家門を説く、已(スデ)に是れ便りを著(ツ)けず。
豈(アニ)更に去って陞堂入室(シンドウ ニッシツ)し、拈槌竪払(ネンツイ ジュホツ)し、東喝西棒(トウカツ セイボウ)して、眉を張り目を怒らし、癇病(カンビョウ)の発するが如くに相(アイ)似たるべけんや。
唯(タダ)上座(ジョウザ)を屈沈(クッチン)するのみにあらず、況(イワン)や亦(マ)た先聖(センショウ)に辜負(コフ)せんをや。
你(ナンジ)見ずや、達磨西来(ダルマ セイライ)して、少室山(ショウシツザン)の下に到り、面壁九年(メンペキ クネン)す。
二祖、雪に立ち臂(ヒジ)を断つに至って、謂(イイ)つ可し、艱辛(カンシン)を受くと。
然れども達磨 曾(カツ)て一詞(イッシ)を措了(ソリョウ)せず、二祖 曾て一句を問著(モンジャク)せず。
還って達磨を喚んで、不為人(フイニン)と作(ナ)し得てんや、二祖を喚んで、不求師(フグシ)と做(ナ)し得てんや。
山僧、古聖(コショウ)の做処(サショ)を説著(セツジャク)するに至るごとに、便ち覚(オボ)ふ、身を容るるに地無きことを、懺愧(ザンキ)す、後人(コウジン)の軟弱なることを。
又 況(イワ)んや百味の珍羞(チンシュウ)、逓(タガイ)に相(アイ)供養し、道(イ)ふ、我は四事具足(シジ グソク)して、方(マサ)に発心(ホッシン)す可しと。
只 恐らくは做手脚(サシュキャク)迄(イタ)らずして、便ち是れ生(ショウ)を隔て世を隔て去らん。時光 箭(ヤ)に似たり、深く為に惜しむ可し。
然も是(カク)の如くなりと雖も、更に他人の長に従って相(アイ)度(ワタ)るに在(ア)り。山僧(サンゾウ)也(マ)た強(シイ)て你(ナンジ)を教ふることを得ず。

諸仁者(ショニンジャ)、還(カエ)って古人の偈(ゲ)を見るや、
『山田脱粟(サンデン ダツゾク)の飯、野菜淡黄(ヤサイ タンオウ)の韲(サイ)、喫せば則(スナワ)ち君が喫するに従(マカ)す、喫せざれば東西するに任(マカ)す。』
伏して惟(オモン)みれば同道(ドウドウ)、各自に努力せよ。珍重(チンチョウ)。」

これすなはち祖宗単伝の骨髄なり。高祖の行持おほしといへども、しばらくこの一枚を挙(コ)するなり。
いまわれらが晩学なる、芙蓉(フヨウ)高祖の芙蓉山に修練(シュレン)せし行持、したひ参学すべし。それすなはち祇薗(ギオン)の正儀(ショウギ)なり。

別バージョン:

芙蓉山の楷祖、もはら行持見成の本源なり。國主より定照禪師號ならびに紫袍をたまふに、祖うけず、修表具辭す。國主とがめあれども、師、つひに不受なり。米湯の法味つたはれり。芙蓉山に庵せしに、道俗の川湊するもの、僅數百人なり。日食粥一杯なるゆゑに、おほく引去す。師、ちかふて赴齋せず。あるとき衆にしめすにいはく、
夫れ出家は、塵勞を厭はん爲なり。脱生死求め、休心息念し攀縁を斷絶す。故に出家と名づく。豈に等閑の利養を以て、平生を埋沒す可けんや。直に須らく兩頭撒開し、中間放下すべし。聲に遇ひ色に遇ふも、石上華を栽うるが如し。利を見名を見るも、眼中に著屑に似たるべし。況んや無始より以來、是れ曾て經歴せざるにあらず、又是れ次第を知らざるにあらず、翻頭作尾に過ぎず。止此の如くなるに於て、何ぞ須らく苦苦に貪戀せん。如今歇めずは、更に何れの時をか待たん。所以に先聖、人をして只要ず盡却せしむ。今時能く今時を盡さば、更に何事か有らん。若し心中の無事を得れば、佛祖も猶是れ冤家なるがごとし。一切世事、自然冷淡なり、方に始めて那邊相應す。
儞見ずや、隱山死に至るまで人に見えんことを肯せず。趙州は死に至るまで人に告げんことを肯せず。擔は橡栗を拾つて食とし、大梅は荷葉を以て衣とし、紙衣道者は只だ紙を披る、玄太上座は只だ布を著る。石霜は枯木堂を置きて衆と與に坐臥す。只儞が心を死了せんことを要す。投子は人をして米を辨じ、同煮共餐せしむ、儞が事を省取することを要得す。且く從上の諸聖、此の如くの榜樣有り。若し長處無くんば、如何甘得せん。諸仁者、若也斯に於て體究すれば、的不虧人なり。若也承當を肯せずは、向後深く恐らくは費力せん。
山祖行業取無くして、忝く山門を主す。豈に坐ら常住を費やし、頓に先聖の附屬を忘る可けんや。今は輙ち古人の住持たる體例に略學せんとす。諸人と議定して更に山を下らず、齋に赴かず、化主を發せず。唯、本院の莊課一歳の所得を將て、均しく三百六十分に作して、日に一分を取つて之を用ゐる、更に人に隨つて添減せず。以て飯に備すべきには則ち作す、作飯不足なれば則ち作粥す。作粥不足なれば、則ち米湯に作る。新到の相見は、茶湯のみなり、更に煎點せず。唯一の茶堂を置いて、自去取用す。務要省縁し、專一に辨道す。
又況んや活計具足し、風景疎ならず。華は笑くことを解し、鳥啼くことを解す。木馬長く鳴き、石牛善く走る。天外の青山色寡く、耳畔の鳴泉聲無し。嶺上猿啼んで露中霄の月を濕らす。林底鶴唳いて風清曉の松を囘る。春風起こる時枯木龍吟す、秋葉凋みおちて寒林花を散ず。玉階苔蘚の紋を鋪き、人面煙霞の色を帶す。音塵寂爾にして、消息宛然なり。一味蕭條として、趣向すべき無し。
山祖今日、諸人の面前に向つて家門を説く。已に是れ不著便なり、豈に更に去いて陞堂し入室し、拈槌豎拂し、東喝西棒し、張眉怒目して、癇病發相似の如くなるべけんや。唯上座を屈沈するのみにあらず、況に亦先聖を辜負せん。
儞見ずや、達磨西來して、少室山の下に到つて、面壁九年す。二祖立雪斷臂するに至るまで、謂つべし、艱辛を受くと。然れども達磨曾て措了せず、二祖曾て一句を問著せず。還つて達磨を喚んで不爲人と作んや、二祖を喚んで不求師と做んや。山祖古聖の做處を説著するに至る毎に、便ち地の容身すべき無きを覺ゆ。慚愧づらくは後人軟弱なること。又況に百味珍羞、逓に相供養し、道ふ、我れは四事具足して、方に發心すべしと。只恐らくは做手脚不迭にして、便ち是れ隔生隔世せん。時光箭に似たり、深く可惜たり。然も是の如くなりと雖も、更に他人の從長して相度する在らん。山祖也強ひて儞に教ふること不得なり。
諸人者、還古人の偈を見るや。
山田脱粟の飯、野菜淡黄の齏、喫することは則ち君の喫するに從す、喫せざれば東西に任す。伏して惟んみれば同道、各自努力よや。珍重。
これすなはち宗單傳の骨髓なり。
高の行持おほしといへども、しばらくこの一枚を擧するなり。いまわれらが晩學なる、芙蓉高の芙蓉山に修練せし行持、したひ參學すべし。それすなはち祇園の正儀なり。