Monthly Archives: July 2019

弁道話講義⑯本堂回り、2019年7月29&30日

とうていはく、「あるがいはく、生死(ショウジ)をなげくことなかれ、生死を出離するにいとすみやかなるみちあり。いはゆる、心性(シンショウ)の常住(ジョウジュウ)なることわりをしるなり。
そのむねたらく、この身体は、すでに生(ショウ)あればかならず滅(メツ)にうつされゆくことありとも、この心性はあへて滅することなし。
よく生滅にうつされぬ心性わが身にあることをしりぬれば、これを本来の性とするがゆゑに、身はこれかりのすがたなり、死此生彼(シシショウヒ)さだまりなし。心はこれ常住なり、去来現在(コライ ゲンザイ)かはるべからず。かくのごとくしるを、生死をはなれたりとはいふなり。
このむねをしるものは、従来の生死ながくたえて、この身をはるとき性海(ショウカイ)にいる。性海に朝宗(チョウソウ)するとき、諸仏如来のごとく、妙徳まさにそなはる。
いまはたとひしるといへども、前世の妄業(モウゴウ)になされたる身体なるがゆゑに、諸聖(ショショウ)とひとしからず。いまだこのむねをしらざるものは、ひさしく生死にめぐるべし。
しかあればすなはち、ただいそぎて心性の常住なるむねを了知(リョウチ)すべし。いたづらに閑坐(カンザ)して一生をすぐさん、なにのまつところかあらん。かくのごとくいふむね、これはまことに諸仏諸祖の道にかなへりや、いかん。」

しめしていはく、「いまいふところの見(ケン)、またく仏法にあらず、先尼外道(センニ ゲドウ)が見なり。いはく、かの外道(ゲドウ)の見(ケン)は、わが身うちにひとつの霊知あり、かの知、すなはち縁にあふところに、よく好悪(コウオ)をわきまへ、是非をわきまふ。痛痒(ツウヨウ)をしり、苦楽をしる、みなかの霊知のちからなり。
しかあるに、かの霊性(レイショウ)は、この身の滅するとき、もぬけてかしこにうまるるゆゑに、ここに滅すとみゆれども、かしこの生(ショウ)あれば、ながく滅せずして常住なりといふなり。かの外道が見、かくのごとし。
しかあるを、この見をならうて仏法とせん、瓦礫(ガリャク)をにぎりて金宝(コンポウ)とおもはんよりもなほおろかなり。癡迷(チメイ)のはづべき、たとふるにものなし。大唐国の慧忠国師(エチュウ コクシ)、ふかくいましめたり。
いま心常相滅(シンジョウ ソウメツ)の邪見を計(ケ)して、諸仏の妙法にひとしめ、生死の本因をおこして、生死をはなれたりとおもはん、おろかなるにあらずや、もともあはれむべし。ただこれ外道の邪見なりとしれ、みみにふるべからず。
ことやむことをえず、いまなほあはれみをたれて、なんぢが邪見をすくはん。しるべし、仏法には、もとより身心一如(シンジン イチニョ)にして、性相不二(ショウソウ フニ)なりと談ずる、西天東地(サイテン トウチ)おなじくしれるところ、あへてうたがふべからず。
いはんや常住を談ずる門には、万法みな常住なり、身と心とをわくことなし。寂滅を談ずる門には、諸法みな寂滅なり、性と相とをわくことなし。しかあるを、なんぞ身滅心常(シンメツ シンジョウ)といはん、正理(ショウリ)にそむかざらんや。
しかのみならず、生死(ショウジ)はすなはち涅槃(ネハン)なりと覚了(カクリョウ)すべし、いまだ生死のほかに涅槃を談ずることなし。
いはんや心は身をはなれて常住なりと領解(リョウゲ)するをもて、生死をはなれたる仏智に妄計(モウケ)すといふとも、この領解知覚の心は、すなはちなほ生滅して、またく常住ならず。これ、はかなきにあらずや。
嘗観(ショウカン)すべし、身心一如(シンジン イチニョ)のむねは、仏法のつねの談ずるところなり。しかあるに、なんぞこの身の生滅せんとき、心ひとり身をはなれて生滅せざらん。もし一如なるときあり、一如ならぬときあらば、仏説おのづから虚妄(コモウ)になりぬべし。
又生死はのぞくべき法ぞとおもへるは、仏法をいとふつみとなる。つつしまざらんや。
しるべし、仏法に心性大総相(シンショウ ダイソウソウ)の法門といふは、一大法界をこめて、性相(ショウソウ)をわかず、生滅をいふことなし。
菩提涅槃(ボダイ ネハン)におよぶまで、心性にあらざるなし。一切諸法 万象森羅、ともにただこれ一心にして、こめずかねざることなし。
このもろもろの法門、みな平等一心なり、あへて異違(イイ)なしと談ずる、これすなはち仏家の心性をしれる様子なり。
しかあるを、この一法に身と心とを分別し、生死と涅槃とをわくことあらんや。
すでに仏子なり、外道(ゲドウ)の見(ケン)をかたる狂人のしたのひびきをみみにふるることなかれ。」

正法眼蔵随聞記2-26
亦云く、道を得ることは心を以て得るか、身を以て得るか。教家等にも身心一如と云て、身を以て得るとは云へども、猶一如の故にと云ふ。しかあれば正く身の得ることはたしかならず。今我が家は身心ともに得るなり。其の中に心を以て佛法を計校する間は、萬劫千生得べからず。心を放下して知見解会を捨つる時得るなり。見色明心聞声悟道の如きも、猶を身の得るなり。然あれば心の念慮知見を一向に捨てて只管打坐すれば道は親しく得るなり。然あれば道を得ることは正しく身を以て得るなり。是に依りて坐を專らにすべしと覚へて勧むるなり。

マルコによる福音書(口語訳)14:37-38
「シモンよ、眠っているのか、ひと時も目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」

ガラテヤ人への手紙(口語訳)5:16-17
わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。

遺教経
「世は実に危脆なり。牢強なる者の無し。我れ今、滅を得ること悪病を除くが如し。此れは是れまさに捨つべき罪悪の物、仮に名づけて身と為す。老病生死の大海に没在す。何ぞ智者あって、之を除滅すること怨賊を殺すが如くして、而も歓喜せざらんや。」

修証義・行持報恩
「此(この)一日の身命は尊ぶべき身命なり、尊ぶべき形骸なり、此(この)行持あらん身心(しんじん)自らも愛すべし、自らも敬うべし」

流転会、2019年7月28日

愛語 (priya-vāditā) について、2019年7月17日

愛語といふは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛(こあい)の言語をほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。世俗には安否をとふ礼儀あり、仏道には珍重のことばあり、不審の孝行あり。慈念衆生(じねんしゅじょう)、猶如赤子(ゆうにょしゃくし)のおもひをたくはへて言語するは愛語なり。徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。愛語をこのむよりは、やうやく愛語を増長するなり。しかあれば、ひごろしられずみえざる愛語も現前するなり。現在の身命の存ぜらんあひだ、このんで愛語すべし、世々生々にも不退転ならん。怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること、愛語を根本とするなり。むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こゝろをたのしくす。むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ、魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり、たゞ能を賞するのみにあらず。

無財の七施 (眼施(がんせ)・和顔施(わがんせ)・言辞施(ごんじせ)・身施(しんせ)・心施(しんせ)・床座施(しょうざせ)・房舎施(ぼうしゃせ))

愛着、渇愛、十二因縁(無明-行-識-名色-六処-触-受-愛-取-有-生-老死)

四聖諦 (苦・集・滅・道 → 正見-正思-正語-正業-正命-正精進-正念-正定)

無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。

婆子焼庵(ばすしょうあん) 「枯木は寒巌に倚(よ)る。三冬に暖気なし」

四無量心(慈→布施・悲→愛語・喜→利行(?)・捨→同事)

愛語 (priya-vāditā) について、2019年7月17日

愛語といふは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛(こあい)の言語をほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。世俗には安否をとふ礼儀あり、仏道には珍重のことばあり、不審の孝行あり。慈念衆生(じねんしゅじょう)、猶如赤子(ゆうにょしゃくし)のおもひをたくはへて言語するは愛語なり。徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。愛語をこのむよりは、やうやく愛語を増長するなり。しかあれば、ひごろしられずみえざる愛語も現前するなり。現在の身命の存ぜらんあひだ、このんで愛語すべし、世々生々にも不退転ならん。怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること、愛語を根本とするなり。むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こゝろをたのしくす。むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ、魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり、たゞ能を賞するのみにあらず。

無財の七施 (眼施(がんせ)・和顔施(わがんせ)・言辞施(ごんじせ)・身施(しんせ)・心施(しんせ)・床座施(しょうざせ)・房舎施(ぼうしゃせ))

愛着、渇愛、十二因縁(無明-行-識-名色-六処-触-受-愛-取-有-生-老死)

四聖諦 (苦・集・滅・道 → 正見-正思-正語-正業-正命-正精進-正念-正定)

無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。

婆子焼庵(ばすしょうあん) 「枯木は寒巌に倚(よ)る。三冬に暖気なし」

四無量心(慈→布施・悲→愛語・喜→利行(?)・捨→同事)

坐禅の意味について(英語&日本語)& Antaiji kitchen、2019年7月9日&10日

人生の意味の有無、ゲームを降りること、出家と日常生活における行、大人の条件、坐禅における痛みとの向き合い方、座布上で死ぬこと、関心のない人への伝え方、修行によって人を幸せにできるか、輪廻転生はあるか、神通力、慈悲の根源、今ここに戻ること、坐禅して本当に何んならないのか、など、いろいろな質問について。

本堂回り、2019年7月7日