Monthly Archives: April 2019

正法眼蔵・行持の講義 & 本堂回り、2019年4月27日&30日

長慶の慧稜和尚は、雪峰下の尊宿なり。雪峰と玄沙とに往來して、參學すること僅二十九年なり。その年月に蒲團二十枚を坐破す。いまの人の坐禪を愛するあるは、長慶をあげて慕古の勝躅とす。したふはおほし、およぶすくなし。しかあるに、三十年の功夫むなしからず、あるとき涼簾を卷起せしちなみに、忽然として大悟す。
三十來年かつて郷土にかへらず、親族にむかはず、上下肩と談笑せず、專一に功夫す。師の行持は三十年なり。疑滯を疑滯とせること三十年、さしおかざる利機といふべし、大根といふべし。勵志の堅固なる、傳聞するは或從經卷なり。ねがふべきをねがひ、はづべきをはぢとせん、長慶に相逢すべきなり。實を論ずれば、ただ道心なく、操行つたなきによりて、いたづらに名利には繋縛せらるるなり。

The venerable monk Chōkei Eryō was a revered senior monk training under Seppō. For twenty-nine years he went back and forth between Seppō and Shibi, exploring the Matter through his training with both of them. During those months and years he wore out twenty sitting mats. There are people today who love doing seated meditation and, citing Chōkei, they take this beloved ancient one as their model. Those who idolize him are many; those who equal him are few. At the same time, his efforts for thirty years were not in vain. There was a time when he was rolling up a bamboo blind in the doorway of the Meditation Hall and suddenly had a great awakening. During those thirty years, he never returned to his home country, or visited his relatives, or chatted with those sitting on either side of him; he just put his efforts into the Principle Matter. The ceaseless practice of this Master went on for thirty years. For thirty years he treated his doubts and misgivings as doubts and misgivings: we should speak of him as someone of keen wit who did not ignore anything, as someone with great potential for realizing the Truth. Reports of such firmness in resolve are sometimes met with when studying the Scriptures. When we desire what we should desire and feel shame about what we should feel shame about, then we may encounter Chōkei. To speak the truth, it is only due to a lack of heart for the Way and a lack of skill in handling their daily conduct that people become vainly tied to fame and gain.

流転会の報告:雑念、呼吸と居眠りについて、2019年4月24日

辨道話講義⑬、2019年4月19日

Ⓠ5 とうていはく、「三学のなかに定学あり、六度のなかに禅度あり。ともにこれ一切の菩薩の、初心よりまなぶところ、利鈍をわかず修行す。いまの坐禅も、そのひとつなるべし。なにによりてか、このなかに如来の正法あつめたりといふや。」
Ⓐ5 しめしていはく、「いまこの如来 一大事の正法眼蔵 無上の大法を、禅宗となづくるゆゑに、この問(もん)きたれり。しるべし、この禅宗の号は、神丹以東におこれり、竺乾(ちくけん)にはきかず。はじめ達磨大師、嵩山の少林寺にして九年面壁のあひだ、道俗いまだ仏正法をしらず、坐禅を宗とする婆羅門となづけり。のち代代の諸祖、みなつねに坐禅をもはらす。これをみるおろかなる俗家は、実をしらず、ひたたけて坐禅宗といひき。いまのよには、坐のことばを簡(かん)して、ただ禅宗といふなり。そのこころ、諸祖の広語にあきらかなり。六度および三学の禅定にならっていふべきにあらず。この仏法の相伝の嫡意なること、一代にかくれなし。如来むかし霊山会上(りょうぜんえじょう)にして、正法眼蔵 涅槃妙心 無上の大法をもて、ひとり迦葉尊者にのみ付法せし儀式は、現在して上界にある天衆、まのあたりみしもの存(そん)せり、うたがふべきにたらず。おほよそ仏法は、かの天衆とこしなへに護持するものなり、その功(こう)いまだふりず。まさにしるべし、これは仏法の全道なり、ならべていふべきものなし。」

Ⓠ6 とうていはく、「仏家なにによりてか四儀のなかに、ただし坐にのみおほせて禅定をすすめて証入をいふや。」
Ⓐ6 しめしていはく、「むかしよりの諸仏、あひつぎて修行し証入せるみち、きはめしりがたし。ゆゑをたづねば、ただ仏家のもちゐるところをゆゑとしるべし、このほかにたづぬべからず。
ただし、祖師ほめていはく、「坐禅はすなはち安楽の法門なり。」はかりしりぬ、四儀のなかに安楽なるゆゑか。いはんや一仏二仏の修行のみちにあらず、諸仏諸祖にみなこのみちあり。」

心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、作仏を図ることなかれ。あに坐臥に拘わらんや。 尋常、坐処には厚く坐物を敷き、上に蒲団を用う…

Ⓠ7 とうていはく、「この坐禅の行は、いまだ仏法を証会(しょうえ)せざらんものは、坐禅辨道してその証をとるべし。すでに仏正法をあきらめえん人は、坐禅なにのまつところかあらん。」
Ⓐ7 しめしていはく、「痴人のまへにゆめをとかず、山子(さんす)の手には舟棹(しゅうとう)をあたへがたしといへども、さらに訓をたるべし。
それ修証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。仏法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆゑに、初心の辨道すなはち本証の全体なり。かるがゆゑに、修行の用心をさづくるにも、修のほかに証をまつおもひなかれとをしふ。直指の本証なるがゆゑなるべし。すでに修の証なれば、証にきはなく、証の修なれば、修にはじめなし。ここをもて、釈迦如来、迦葉尊者、ともに証上の修に受用せられ、達磨大師、大鑑高祖、おなじく証上の修に引転せらる。仏法住持のあと、みなかくのごとし。すでに証をはなれぬ修あり、われらさいはひに一分の妙修を単伝せる、初心の辨道すなはち一分の本証を無為の地にうるなり。
しるべし、修をはなれぬ証を染汚せざらしめんがために、仏祖しきりに修行のゆるくすべからざるとをしふ。妙修を放下すれば本証 手の中にみてり、本証を出身すれば妙修通身におこなはる。
又まのあたり大宋国にしてみしかば、諸方の禅院みな坐禅堂をかまへて、五百六百、および一二千僧を安じて、日夜に坐禅をすすめき。その席主とせる伝仏心印の宗匠に、仏法の大意をとぶらひしかば、修証の両段にあらぬむねをきこえき。このゆゑに、門下の参学のみにあらず、求法の高流(こうる)、仏法のなかに真実をねがはん人、初心後心をえらばず、凡人聖人を論ぜず、仏祖のをしへにより、宗匠の道をおふて、坐禅辨道すべしとすすむ。
きかずや祖師のいはく、「修証はすなはちなきにあらず、染汚することはえじ。」又いはく、「道をみるもの、道を修す」と。しるべし、得道のなかに修行すべしといふことを。」

安泰寺の桜 & ビニールハウスから開山堂へ & 玉切り・薪割り、2019年4月17&18日

流転会の報告・今後のイベントの告知、2019年4月15日

毎週日曜日、6:40~7:40 大阪城公園(石山若宮三吉大明神の裏)。
antaiji.org/ja/muho/events

流転会の報告・時間の変更、2019年4月9日

毎週日曜日、6:40~7:40 大阪城公園(石山若宮三吉大明神の裏)。
antaiji.org/ja/muho/events

本の紹介 & 春日和の安泰寺、2019年4月4&5日

流転会の再開と「安泰寺」と「ネルケ無方」のアカウントの使い分けについて、2019年3月31日

安泰寺のアカウント: youtube.com/user/sendaba
ネルケ無方のアカウント: youtube.com/user/sendab
無方の再生リスト: youtube.com/user/sendab/playlists