弁道話講義(6回目)&本堂回り、2018年9月24/26日
いはく、仏法を住持せし諸祖ならびに諸仏、ともに自受用三昧に端坐依行するを、その開悟のまさしきみちとせり。西天東地、さとりをえし人、その風にしたがへり。これ、師資(しし)ひそかに妙術を正伝し、真訣を稟持せしによりてなり。宗門の正伝にいはく、この単伝正直の仏法は、最上のなかに最上なり。参見知識のはじめより、さらに焼香、礼拝、念仏、修懺(しゅさん)、看経をもちゐず、ただし打坐して身心脱落することをえよ。もし人、一時なりといふとも、三業に仏印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる。
ゆゑに、諸仏如来をしては本地の法楽をまし、覚道の荘厳をあらたにす。および十方法界、三途六道の群類、みなともに一時に身心明浄にして、大解脱地を証し、本来面目現ずるとき、諸法みな正覚を証会(しょうえ)し、万物ともに仏身を使用して、すみやかに証会の辺際を一超して、覚樹王に端¬¬坐して、一時に無等等の大法輪を転じ、究竟(くきょう)無為の深般若を開演す。
「今日私は忙しいから、今朝私はいつもより三時間多く祈ろう」(ルター)