諸佛如來ともに妙法を單傳して、阿耨菩提を證するに、最上無爲の妙術あり。これただ、ほとけ佛にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。この三昧に遊化するに、端坐参禪を正門とせり。
「蝦蟇蚯蚓」「乾屎橛」「麻三斤」「庭前の柏樹子」「即心即仏」「非心非仏」
山僧叢林を歴ること多からず。ただ是れ等閑(なおざり)に天童先師に見えて、当下に眼横鼻直なることを認得して人に瞞ぜられず。すなわち空手還郷す。ゆえに一毫も仏法無し。任運に且く時を延ぶ。朝朝、日は東より出で、夜夜、月は西に沈む。雲収て山骨露れ、雨過ぎて四山低し。(永平広録・卍山本)
上堂に、云く。山僧、是、叢林を歴ること多からず。只、是、等閑に先師天童に見えしのみなり。然れども、天童に瞞ぜられず、天童還って、山僧に瞞ぜらる。近来、空手にして郷に還る。所以に山僧、無仏法なり。任運に、且く延時す。朝朝の日、東に出でて、夜夜の月、西に落つ。雲、収まって山谷静かなり、雨、過ぎて四山低り。三年には必ず一閏、鶏は五更に向って啼く、と。(永平公録・祖山本)
三位一体論 父(創造主)・聖霊 ・子(救済主であるイエス)
仏身論(三身説) 法身(仏性)・報身(仏性の働き)・応身(色身・現実の身体)