Ⓠ1 いまこの坐禅の功徳、高大なることをききをはりぬ。おろかならん人、うたがふていはん、「仏法におほくの門あり、なにをもてかひとへに坐禅をすすむるや。」
Ⓐ1 しめしていはく、「これ仏法の正門なるをもてなり。」

Ⓠ2 とふていはく、「なんぞひとり正門とする。」
Ⓐ2 しめしていはく、「大師釈尊、まさしく得道の妙術を正伝し、又 三世の如来、ともに坐禅より得道せり。このゆゑに正門なることをあひつたへたるなり。しかのみにあらず、西天東地の諸祖、みな坐禅より得道せるなり。ゆゑにいま正門を人天にしめす。」

(矧(いわ)んや彼(か)の祇薗の生知(しょうち)たる、端坐六年の蹤跡(しょうせき)見つべし。少林の心印を伝(つた)ふる、面壁九歳の声名(しょうみょう)、尚ほ聞こゆ。古聖(こしょう)、既に然り。今人(こんじん)盍(なん)ぞ辦ぜざる。所以に須(すべか)らく言(こと)を尋ね語を逐ふの解行(げぎょう)を休すべし。須らく囘光返照の退歩を学すべし。身心 自然に脱落して、本来の面目現前せん。恁麼の事を得んと欲せば、急に恁麼の事を務めよ。)

Ⓠ3 とふていはく、「あるいは如来の妙術を正伝し、または祖師のあとをたづぬるによらん、まことに凡慮(ぼんりょ)のおよぶにあらず。しかはあれども、読経念仏は、おのづからさとりの因縁となりぬべし。ただむなしく坐してなすところなからん、なにによりてかさとりをうるたよりとならん。」
Ⓐ3 しめしていはく、「なんぢいま諸仏の三昧、無上の大法を、むなしく坐してなすところなしとおもはん、これを大乗を謗(ぼう)ずる人とす。まどひのいとふかき、大海のなかにゐながら水なしといはんがごとし。すでにかたじけなく、諸仏 自受用三昧に安坐せり。これ広大の功徳をなすにあらずや。あはれむべし、まなこいまだひらけず、こころなほゑひにあることを。
おほよそ諸仏の境界は不可思議なり。心識のおよぶべきにあらず。いはんや不信劣智のしることをえんや。ただ正信の大機のみよくいることをうるなり。不信の人はたとひをしふともうくべきことかたし。霊山になお退亦佳矣(たいやくけい)のたぐひあり。おほよそ心に正信おこらば、修行し参学すべし。しかあらずは、しばらくやむべし。むかしより法のうるほひなきことをうらみよ。
又、読経 念仏等のつとめにうるところの功徳を、なんぢしるやいなや。ただしたをうごかし、こゑをあぐるを仏事功徳とおもへる、いとはかなし。仏法に擬するにうたたとほく、いよいよはるかなり。又、経書をひらくことは、ほとけ頓漸(とんぜん)修行の儀則ををしへおけるを、あきらめしり、教のごとく修行すれば、かならず証をとらしめんとなり。いたづらに思量念度(しりょうねんど)をつひやして、菩提をうる功徳に擬せんとにはあらぬなり。
おろかに千万誦(じゅ)の口業(くごう)をしきりにして、仏道にいたらんとするは、なほこれながえをきたにして、越にむかはんとおもはんがごとし。又、円孔(えんく)に方木(ほうぼく)をいれんとせんにおなじ。文(もん)をみながら修するみちにくらき、それ医方をみる人の合薬をわすれん、なにの益かあらん。口声(くしょう)をひまなくせる、春の田のかへるの昼夜になくがごとし、つひに又益なし。
いはんやふかく名利にまどはさるるやから、これらのことをすてがたし。それ利貪(りとん)のこころはなはだふかきゆゑに。むかしすでにありき、いまのよになからんや。もともあはれむべし。ただまさにしるべし、七仏の妙法は、得道明心の宗匠(しゅうしょう)に、契心証会(かいじんしょうえ)の学人あひしたがうて正伝すれば、的旨(てきし)あらはれて稟持(ぼんじ)せらるるなり、文字習学の法師のしりおよぶべきにあらず。しかあればすなはち、この疑迷をやめて、正師のをしへにより、坐禅辨道して諸仏自受用三昧を証得すべし。」