6月の2日・9日・23日、大阪城公園の「隠し曲輪」で野外坐禅 6:40-7:40(雨天中止)。場所を Google Map で見る。

私は坐禅の風景を、いつも草原の比喩で説明しています。坐禅をして、まずは羊の多いことに気づいて、驚く。そしていつの間にか、羊飼いのまねごとをするけど、うまくいかない。うまくいかないから、草原の中心に根付いている大きな欅の下で一服し、羊たちのことを忘れて大きなその幹を見上げる(呼吸の観察、シャマター)。あるいは、草原の向こうに見える山脈の一つの峰に注目する(鼻の先に気を置く、丹田や親指に気を置く)。あるいは、その遠い山脈全体を見渡す(身体全体を意識する)。それができるようになると、その手前に広がっている草原んも見渡せるようになる。そうなれば、自分はもはや羊飼いのまねをする必要がないことに気づく。草原の中の羊飼いではなく、空の視点から、すべてを見渡す。しかも、一つ一つの微細な部分をぼけさせない。このステージを「目を開いたビッパサナ」と言ってもいいかもしれませんね。ところが、そのあとは空から再び草原におりて、草原になりきる。羊たちに踏まえようが、草を食われようが、うんこをされようが「ミンナニデクノボートヨバレホメラレモセズクニモサレズ・・・」ではありませんが、今ここにあるこの現実になりきるのみ、この最後の大事なステップはビッパサナの中では用意されていないのではないかと思います。つまり、空で終わってしまうのがビッパサナ、草原に戻るのが大乗の禅。