安泰寺の広間にて。最初の20分の様子です:

原文:
右、仏法は諸道(しょどう)に勝(すぐ)れたり。所以(ゆえ)に人之(こ)れを求む。
如来(にょらい)の在世(ざいせ)には、全く二教(にきょう)なく、全く二師(にし)なし。大師釈尊、唯だ無上(むじょう)菩提(ぼだい)を以つて、衆生(しゅじょう)を誘引(ゆういん)するのみ。
迦葉(かしょう)、正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)を傳へてより以来(このかた)、西天(さいてん)二十八代、東土(とうど)六代、乃至五家(ごけ)の諸祖(しょそ)、嫡々(てきてき)相承(そうじょう)して、更に断絶(だんぜつ)なし。
然れば則ち梁(りょう)の普通(ふつう)中以後(いご)、始め僧徒(そうと)より、及び王臣に至るまで、抜群(ばつぐん)の者は、帰(き)せずといふこと無し。
誠に夫(そ)れ、勝(しょう)を愛すべき所以(ゆえん)は、勝(しょう)を愛すべきなればなり。葉公(しょうこう)の龍を愛するが如くなるべからざるか。
神丹(しんだん)以東(いとう)の諸国、文字の教網(きょうもう)、海(うみ)に布(し)き山に遍(あま)ねし。山に遍(あま)ねしと雖も雲心(うんしん)なく、海に布(し)くと雖も波心(はしん)を枯(から)す。愚者(ぐしゃ)は之を嗜(たしな)む。譬(たと)えば魚目(ぎょもく)を撮(とっ)て以て珠(たま)と執(しゅう)するが如し。
迷者(めいしゃ)は之を翫(もてあそ)ぶ。譬(たと)えば燕石(えんせき)を蔵(ぞう)して玉と崇(あが)むるが如し。多くは魔坑(まきょう)に堕(だ)して、屡(しばし)ば自身を損(そん)す。哀(かなし)む可(べ)し、辺鄙(へんぴ)の境(きょう)は邪風(じゃふう)扇(あお)ぎ易(やす)く、正法は通じ難し。
然りと雖も、神丹の一国は、已(すで)に仏の正法に帰す。我が朝(ちょう)、高麗(こうらい)等は、仏の正法未だ弘通(ぐづう)せず。何(なに)が為ぞ、何(なに)が為ぞ。
高麗国は猶(な)お正法の名を聞くも、我が朝(ちょう)は未だ嘗(かつ)て聞くことを得ず。前来入唐((にゅつとう)の諸師、皆な教網(きょうもう)に滞(とどこ)るが故なり。仏書を傳うと雖も、仏法を忘るるが如し。其の益(えき)是れ何ぞ。其の功(こう)終に空し。是れ乃ち学道の故実(こじつ)を知(し)らざる所以なり。哀(あわ)れむ可し、徒(いたず)らに労(ろう)して一生の人身(にんしん)を過すことを。
夫れ仏道を学ぶに、初め門に入る時、知識の教(おし)えを聞き、教えの如く修行す。此の時知る可き事あり。
所謂(いわゆる)法(ほう)我(われ)を転(てん)じ、我(われ)法を転(てん)ずるなり。我(われ)能く法を転(てん)ずるの時は、我は強く法は弱きなり。法還(かえ)って我(われ)を転(てん)ずるの時は、法は強く我は弱きなり。
仏法従来(じゅうらい)此の両節(りょうせつ)あり、正嫡(しょうてき)に非ずんば、未だ嘗(かつ)て之を知らず。
衲僧(のうそう)に非ずんば、名(な)すら尚お聞くこと罕(まれ)なり。
若し此の故実(こじつ)を知(しら)ずんば、学道未だ辨(べん)ぜず、正邪奚為(なんすれ)ぞ分別(ふんべつ)せん。
今、参禅学道の人、自(おのず)から此の故実を傳授(でんじゅ)す。所以(ゆえ)に誤(あやま)らざるなり。餘門(よもん)には無し。仏道を欣求(ごんぐ)するの人、参禅に非ずんば眞道(しんどう)を了知(りょうち)すべからず。

最後に「法、我を転じ、我、法を転じる」からくりについて、無為から質問がありました: