菩提(ぼだい)心とは、多名一心なり。竜樹(りゅうじゅ)祖師のいわく、唯、世間の生滅無常を観ずるの心も、また菩提心と名づくと。
(学道用心集)

 菩薩(ぼさつ)として修行するためには、まず必要なのが道心(梵語bodhi-cittaの漢訳、音訳は「菩提心」)です。そして私たちが生きている現代社会においても責任ある立場で自分を、そして社会全体を向上させようと思っている人がいれば、ぜひとも仏教の道心を参考にしていただければ、とも思っています。今回から、数回にわたって道心のありようを参究したいと思います。
 それでは、道心とは何か?
 道元禅師は五十三歳でなくなっているので、決して長生きしたわけではありませんが、その短い生涯の中で膨大な作品の量を残しています。その中でも「道心」は重要なキーワードの一つです。まず上の引用をみてみたいと思います。三十四歳の若さで書いた「学道用心集」の冒頭で「多名一心」としていながら、まずインド哲学の大物でもある竜樹(Nagarjuna)を引用します。レッテルはたくさんあるけれども、中身が一つだというのです。無常を観ずるのが道心だというのです。この定義に対して起こるであろう反論を道元禅師はかなり意識していたようです。
 「無常を感じる? それじゃまるで今はやりの《祇園精舎の鐘の声……》ではないか。仏教の肝心要の心がそんな平易な言葉でかたれられるはずがない!」道元禅師の生きていた仏教界には、そういう声も聞こえてきそうであったかもしれません。

有(ある)が云(わ)く、菩提心とは、無上正等覚心なり、名聞利養に拘(かか)わる可からず、有が云(い)く、一念三千の觀解なり、有が云く、一念不生の法門なり、有が云く、入仏界の心なりと。是(かく)の如(ごと)くの輩(ともがら)は、未(いま)だ菩提心を知らず、猥(みだ)りに菩提心を謗(ぼう)す。仏道の中に於いて遠くして遠し。
 (ある人は道心を「無上正等覚心(むじょうしょうとうかくしん)」といい、名利の心に関(かか)わりがないという。別の人は「一念三千の觀解」といい、また「一念不生の法門」ともいう。あるいは、「入仏界の心だ」という。連中は道心を知りもしない癖に、道心を冒涜する。修行者の中で仏道から最も遠く離れている連中である。)

 道元禅師はその作品中に時おり、人に強烈な批判を浴びせます。それはおそらく、自分自身にも当時の仏教界の批判の矛先が向けられていたからではないかと察します。それはともかく、これらの仏教学者らしい道心の定義を道元禅師は一切否定してしまいます。
 
所謂(いわゆる)菩提心とは、前来云ふ所の無常を觀ずるの心、便(すなわ)ち是れ其の一なり、全く狂者の指(ゆび)さす所に非(あら)ず。
(道心とはやはり、まず先の《無常を観ずる心》であって、あの狂者たちが表現しようとするものとは関係がない。)

 それにしても、「狂者」とまでいうのは少しひどすぎますね。道元禅師はこのとき、顔を真っ赤にしていたのではないでしょうか。どうしてそんなに怒ったのでしょうか。なにしろ、「無上正等覚心」などという定義が間違っていたとはいいにくいのです。仏教大辞典を引けば、道心の語源として出てくるのが、まさにこの「無上正等覚心」ですから。「無上正等覚心」とは般若心経の「阿耨多羅三藐三菩提(あぬったらさんみゃくさんぼだい)」の心であって、菩提心や道心はその略に過ぎません。つまり、道心=無上正等覚心は優等生の正解です。
 道元禅師の狙いは仏教学的・文献的な定義ではないということはいうまでもありません。禅師のいう道心が私たちの生活の中で表現されていなければならないため、若い禅師はあえて仏教学者の定義ではなく、「無常」という日本人なら誰でも身近で親しみやすい表現を選んでいたのだと思います。
 四季の移り変わりの中にも無常を感じるのが日本人です。一方、道元禅師のいう「無常を観じる」ことはそれほど生やさしいことではないのです。まず「感」ではなく、「観」ですね。無常を見抜くことです。何の無常かというと、今、ここ、この私の命です。私の物でもなければ、あなたの物でもない、つかみ所のないこの一瞬の命です。
 これを見抜けば、もはや執着のしようがありません。つかみ所のないものに執着しようとするのは、「狂者」のみです。無常を観じたかどうかの基準は、「名利(みょうり)の念」が起こるかどうかです。本当に無常を見抜いた人なら、当然ながら自分のプライドを捨てているはずです。

時光の太(はなは)だ速やかなることを恐怖(くふ)す、所以(ゆえ)に行道は頭燃(ずねん)を救う。
(時の移り変わりの速さを恐れて、頭が燃えているごとく修行に励む。)

 プライドを捨てて、もえるような気持ちで生きる・・・・・・。それができるのは、「今、私がするしかない」と自覚している人です。明日からではダメです。明日はない、私しかない、やることは今しかできない。

(ネルケ無方著 「生きるヒント33」より)