法戦式について:
http://www.sotozen-net.or.jp/ceremony/special/hossenshiki

問者  「作者は坐禅をしたら悟れますか?乞尊意」
首座  「坐禅をしても何にもならない。」
問者  「ではなぜ坐禅をするのですか?」
首座  「何のためでもなく坐禅をするのです。」
問者  「中々。何も求めないのが坐禅ということですか?」
首座  「効果を求めて、何かのために坐禅をしては結局、煩悩に操られた人間のまま、世情のお金や、地位や、幸せを追い求めている生活と何の変わりもない。
坐禅は、いつも何かを追い求めて「今、ここ」に不在の私を、本来の私、本来の人間という家に帰ることです。
いつも追い求めている何かを、握りしめている手を放ち、人間そのものに成るということ、それが坐禅です。」
問者 「珍重」
首座 「万歳」

問者  「作者は、仏道とはどのように参究すべきでしょうか?乞尊意」
首座  「かつての祖師方は、”仏道は自己なり”と、申されております」
問者  「それはいったいどのような意味でしょうか?」
首座  「宇宙といえ、世界といえ、全ては六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)に現成する法の働きであると知ることです」
問者  「中々、ならば”私が在る”という根強い想いは、一体 どうすればよいのでしょうか?」
首座  「”私が在る”という想いを抱けることが、そのまま自己の空性を実証してくれています。」
問者  「”自己の空性”とはどのようなことでしょうか」
首座  「朱色に染まるものは、元々朱色ではないが故に、朱色に染まることができています」
問者 「珍重」
首座 「万歳」

問者  「作者は、どのように安心を求めるべきでしょうか?乞尊意」
首座  「”求める”ところに安心はありません」
問者  「中々。では”修証一等(修行と悟りは同じ)”とはどのようなことでしょうか?」
首座  「仏道の中まっただ中に在って、仏道を成就することです」
問者  「何を以て”成就”とするのでしょうか?」
首座  「いま以外に”真実”を求めないことです。いま以外に”他所”を探さないこ  
とです。」
問者  「もう一つ吹っ切れないものが残ります」
首座  「”吹っ切れない”という法のまま、脱落底(悟りの世界)に落ち着いていると知ることです。」
問者 「珍重」
首座 「万歳」

問者  「作者は、百尺の竿頭にさらに一歩進むべし そのこころは乞尊意」
首座  「30メートルの竿のさきに登って、なを手足をはなち、すなはち身心を放下するが如くするということです。」
問者  「そんなことをしたら真っ逆さまに落ちて死んでしまわないですか?」
首座  「如何にも! 死んでしまうかもしれない。が死ぬ恐怖さえも放ち忘れて、竿の先から一歩を踏み出す。それが真実に沿った生き方である。」
問者  「それはとても難しいことです。どうしたらよいのですか?乞尊意」
首座  「道元禅師は仰っています。まづ吾我、名利を離るるべきなり。是れを離れずんば行道は頭燃を払い精進は翹足をしるとも、只無理の勤苦のみ、と。」
問者  「尊意 尊意」
首座  「竿の先つまり、私というものにしがみついて、普段、私たちはどんな小さなことでも、知らない間に私に得になるように働いていることに気付き、私利私欲を離れて、正直に熱心にことにあたる姿勢が即ち、百尺の竿頭さらに一歩進むことです。」
問者 「珍重」
首座 「万歳」

問者  「作者は、安泰寺修行では細かく何も教えてもらえません。どのように修行すればよいのか、乞尊意。」
首座  「お前が安泰寺を創る!!」
問者  「しかし、私は農家のようなことをするために安泰寺に来たのではないのですが。」
首座  「お前なんかどうでもいい!!」
問者  「乞尊意。修行の秘訣は如何なることですか?」
首座  「まず、コップの水を空にして、安泰寺を発見することです。」
問者 「珍重」
首座 「万歳」

問者  「作者は、仏は不殺生を説く、如何なるか不殺生の意味。乞尊意」
首座  「新羅万象、生きとし生けるもの皆生命あり、万物の生命を断ずることなかれ。」
問者  「我等日々三度の食事をなす。換菜を食するは殺生戒を犯すに非ずや?」
首座  「毎日、多くの生命を頂いて、私たちは生命を繋いでいる。動物だけではなく、植物や食卓に上るまでもさまざまな人々の手を経て、食事となっている。釈尊の時代だってお布施となった粥を食べている。残念ながら、他の命を犠牲にしなければ命を繋ぐことができないのが人間である。」
問者  「中々。ではなぜ不殺生戒があるのか?」
首座  「時間を空費するは時間の殺生、金銭を浪費するは金銭の殺生、親にそむくは親を殺すなり、子どものわがままを許すは子どもを殺すなり、仏の戒法を破るは仏を殺すなり。あらゆるものへの慈悲心を教えている。新羅万象、悉く生命あり。学人、殺生戒を犯すことなかれ。」
問者 「珍重」
首座 「万歳」

問者  「作者は仏法とは何ですか?乞尊意。」
首座  「借問す、仏法でないものは何ですか?」
問者  「そんなものはあるんですか?」
首座  「威儀即仏法。行住坐臥即ち、日常の立ち居振る舞い全て仏法ではないものはないのです。」
問者  「中々。具体的にはどのようなことでしょうか?」
首座  「例えば朝起きたら布団を畳んでしまうこと、履物を揃えること、最後に部屋を出るなら電気を消すこと、使ったものは元の位置に戻すこと、自分が使ったカップは洗って戻すこと。目の前に起こっている状況に対して、誠実に対応すること。」
問者  「仏法とは何の関係もないように思うのですが。」
首座  「仏の法は真理の姿、真理の姿というは今、目の前に起こっていること、そのことがただ唯一の真実です。真理を表していることにほかならないのです。仏法をどこか遠くに求めるのではなく、常に自分の足元にあるのです。」
問者 「珍重」
首座 「万歳」
問者 「珍重」
首座 「万歳」