ばさばさ生きねば案内所: 西田幾多郎の宗教哲学②ネルケ無方さま(安泰寺ご住職)からご意見を頂きました。

Ⓠ4 とふていはく、「いまわが朝(ちょう)につたはれるところの法華宗、華厳教¬¬¬、ともに大乗の究竟(くきょう)なり。いはんや真言宗のごときは、毘盧遮那如来したしく金剛薩埵(こんごうさった)につたえへて、師資みだりならず。その談ずるむね、即心是仏、是心作仏といふて、多劫(たごう)の修行をふることなく、一座に五仏の正覚をとなふ、仏法の極妙(ごくみょう)といふべし。しかあるに、いまいふところの修行、なにのすぐれたることあれば、かれらをさしおきて、ひとへにこれをすすむるや。」
Ⓐ4 しめしていはく、「しるべし、仏家には、教の殊劣(しゅれつ)を対論することなく、法の浅深(せんじん)をえらばず、ただし修行の真偽(しんぎ)をしるべし。草華山水(そうかさんすい)にひかれて仏道に流入(るにゅう)することありき、土石沙礫(どしゃくしゃりゃく)をにぎりて仏印を稟持(ぼんじ)することあり。いはんや広大の文字は万象にあまりてなほゆたかなり、転大法輪 又 一塵(いちじん)にをさまれり。しかあればすなはち、即心即仏のことば、なほこれ水中の月なり。即坐成仏のむね、さらに又かがみのうちのかげなり。ことばのたくみにかかはるべからず。いま直証菩提の修行をすすむるに、仏祖単伝の妙道をしめして、真実の道人とならしめんとなり。
また、仏法を伝授することは、かならず証契(しょうかい)の人をその宗師とすべし。文字をかぞふる学者をもてその導師とするにたらず、一盲の衆盲をひかんがごとし。
いまこの仏祖正伝の門下には、みな得道証契の哲匠をうやまひて、仏法を住持せしむ。かるがゆゑに、冥陽の神道もきたり帰依し、証果の羅漢もきたり問法するに、おのおの心地を開明する手をさづけずといふことなし。余門にいまだきかざるところなり、ただ仏弟子は仏法をならふべし。
又しるべし、われらはもとより無上菩提かけたるにあらず、とこしなへに受用すといへども、承当することをえざるゆゑに、みだりに知見をおこすことをならひとして、これを物とおふによりて、大道いたづらに蹉過(しゃか)す。この知見によりて、空華まちまちなり。あるいは十二輪転、二十五有の境界とおもひ、三乗五乗、有仏無仏の見、つくることなし。この知見をならうて、仏道修行の正道とおもふべからず。しかあるを、いまはまさしく仏印によりて万事を放下し、一向に坐禅するとき、迷悟情量のほとりをこえて、凡聖のみちにかかはらず、すみやかに格外に逍遥し、大菩提を受用するなり。かの文字の筌罤(せんてい)にかかはるものの、かたをならぶるにおよばんや。

Ⓠ5 とうていはく、「三学のなかに定学あり、六度のなかに禅度あり。ともにこれ一切の菩薩の、初心よりまなぶところ、利鈍をわかず修行す。いまの坐禅も、そのひとつなるべし。なにによりてか、このなかに如来の正法あつめたりといふや。」
Ⓐ5 しめしていはく、「いまこの如来 一大事の正法眼蔵 無上の大法を、禅宗となづくるゆゑに、この問(もん)きたれり。しるべし、この禅宗の号は、神丹以東におこれり、竺乾(ちくけん)にはきかず。はじめ達磨大師、嵩山の少林寺にして九年面壁のあひだ、道俗いまだ仏正法をしらず、坐禅を宗とする婆羅門となづけり。のち代代の諸祖、みなつねに坐禅をもはらす。これをみるおろかなる俗家は、実をしらず、ひたたけて坐禅宗といひき。いまのよには、坐のことばを簡(かん)して、ただ禅宗といふなり。そのこころ、諸祖の広語にあきらかなり。六度および三学の禅定にならっていふべきにあらず。」

道本円通、いかでか修証を仮らん。宗乗自在、何ぞ功夫を費さん…大都当処を離れず、豈に修行の脚頭を用ふる者ならんや…入頭の辺量に逍遥すと雖も、幾んど出身の活路を虧闕す…少林の心印を伝ふる、面壁九歳の声名、尚ほ聞こゆ。

亦云く、道を得ることは心を以て得るか、身を以て得るか。教家等にも身心一如と云て、身を以て得るとは云へども、猶一如の故にと云ふ。しかあれば正く身の得ることはたしかならず。今我が家は身心ともに得るなり。其の中に心を以て佛法を計校する間は、萬劫千生得べからず。心を放下して知見解会を捨つる時得るなり。見色明心聞声悟道の如きも、猶を身の得るなり。然あれば心の念慮知見を一向に捨てて只管打坐すれば道は親しく得るなり。然あれば道を得ることは正しく身を以て得るなり。是に依りて坐を專らにすべしと覚へて勧むるなり。(随聞記)