本堂回り&「『正法眼蔵随聞記』を読む」トレーラー、2018年7月5日&6日
6月に神保町で行った講義がDVDとして販売されることになりました。
詳細はこちら:samgha.co.jp/shop/products/detail/810
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眞丹第二祖大祖正宗普覺大師は、神鬼ともに嚮慕す、道俗おなじく尊重せし高徳の師なり、曠達の士なり。伊洛に久居して群書を博覽す。くにのまれなりとするところ、人のあひがたきなり。法高徳重のゆゑに、神物倏見して、祖にかたりていふ、將欲受果、何滯此耶。大道匪遠、汝其南矣(將に受果を欲はば、何ぞ此に滯るや。大道遠きに匪ず、汝其れ南へゆくべし)。
あくる日、にはかに頭痛すること刺がごとし。其師洛陽龍門香山寶靜禪師、これを治せんとするときに、空中有聲曰、此乃換骨、非常痛也(空中に聲有りて曰く、此れ乃ち骨を換ふるなり、常の痛みに非ず)。
祖遂以見神事、白于師。師視其頂骨、即如五峰秀出矣。乃曰、神汝相吉祥、當有所證。汝南者、斯則少林寺達磨大士、必汝之師也(祖遂に見神の事を以て、師に白す、師その頂骨を視るに、即ち五峰の秀出せるが如し。乃ち曰く、汝が相、吉祥なり、當に所證有るべし。神の汝南へゆけといふは、斯れ則ち少林寺の達磨大士、必ず汝が師なり)。
この教をききて、祖すなはち少室峰に參ず。神はみづからの久遠修道の守道神。このとき窮臈寒天なり。十二月初九夜といふ。天大雨雪ならずとも、深山高峰の冬夜は、おもひやるに、人物の窓前に立地すべきにあらず。竹節なほ破す、おそれつべき時候なり。しかあるに、大雪匝地、埋山沒峰なり。破雪して道をもとむ、いくばくの嶮難なりとかせん。つひに祖室にとづくといへども、入室ゆるされず、顧眄せざるがごとし。この夜、ねぶらず、坐せず、やすむことなし。堅立不動にしてあくるをまつに、夜雪なさけなきがごとし。ややつもりて腰をうづむあひだ、おつるなみだ滴滴こほる。なみだをみるになみだをかさぬ、身をかへりみて身をかへりみる。
自惟すらく、
昔人求道、敲骨取髓、刺血濟饑。布髪淹泥、投崖飼虎。古尚若此、我又何人(昔の人、道を求むるに、骨を敲ちて髓を取り、血を刺して饑ゑたるを濟ふ。髪を布きて泥を淹ひ、崖に投げて虎に飼ふ。古尚此の若し、我又何人ぞ)。
かくのごとくおもふに、志氣いよいよ勵志あり。
いまいふ古尚若此、我又何人を、晩進もわすれざるべきなり。しばらくこれをわするるとき、永劫の沈溺あるなり。
かくのごとく自惟して、法をもとめ道をもとむる志氣のみかさなる。澡雪の操を操とせざるによりて、しかありけるなるべし。遲明のよるの消息、はからんとするに肝膽もくだけぬるがごとし。ただ身毛の寒怕せらるるのみなり。(http://www.shomonji.or.jp/soroku/genzou16b/index.html)
Our great Ancestor Eka, the Second Chinese Ancestor, was of lofty virtue.
He was a magnanimous and cultured person, adored by deities and daemons, both
of whom were drawn to him. He was esteemed alike by followers of the Way and
by the worldly. He resided for a long time between the rivers Ii and Lo, where he
read extensively on a wide variety of subjects. He was considered to be a person
rare in any country, one who is seldom encountered. Because of the loftiness of his Dharma and the dignity of his virtuous ways, a strange and wondrous being
suddenly appeared and said to him, “If you really desire to receive the fruits of
your endeavors, why do you tarry here? The Great Way is not far off. Just go to the
south.”
The following day, the Ancestor suddenly had a stabbing headache. His
teacher at the time, a teacher of meditation named Kōzan Hōjō of Dragon Gate
Mountain in Loyang, was about to treat his condition when a voice from out of the
blue said, “This is due to an altering of the skull and is not an ordinary headache.”
Our Ancestor then told his teacher about his encounter with the strange and
wondrous being. When the teacher looked at the top of Eka’s head, it was as if five peaks had blossomed forth, whereupon he said, “This feature of yours is an
auspicious sign, and you will surely have an awakening to the Truth. This
wondrous being’s telling you to go south is because Great Master Bodhidharma of
Shōrin-ji Temple is undoubtedly to be your Master.” Heeding these instructions,
our Ancestor Eka then left in order to train with Bodhidharma, who was residing
atop a remote mountain peak. As for the wondrous being, he […]
諸佛如來ともに妙法を單傳して、阿耨菩提を證するに、最上無爲の妙術あり。これただ、ほとけ佛にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。この三昧に遊化するに、端坐参禪を正門とせり。
この法は、人々の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、證せざるにはうることなし。はなてばてにみてり、一多のきはならんや。かたればくちにみつ、縦横きはまりなし。
諸佛のつねにこのなかに住持たる、各各の方面に知覺をのこさず。群生のとこしなへにこのなかに使用する、各各の知覺に方面あらはれず。
いまをしふる功夫辨道は、證上に萬法をあらしめ、出路に一如を行ずるなり。その超關脱落のとき、この節目にかかはらんや。
予、發心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらひき。ちなみに建仁の全公をみる。あひしたがふ霜華、すみやかに九廻をへたり。いささか臨濟の家風をきく。全公は祖師西和尚の上足として、ひとり無上の佛法を正傳せり。あへて餘輩のならぶべきにあらず。
予、かさねて大宋國におもむき、知識を兩浙にとぶらひ、家風を五門にきく。つひに大白峰の淨禪師に參じて、一生參學の大事ここにをはりぬ。それよりのち大宋紹定のはじめ、本鄕にかへりし。すなはち弘法救生をおもひとせり、なほ重擔をかたにおけるがごとし。しかあるに弘通のこころを放下せん、激揚のときをまつゆゑに。しばらく雲遊萍寄(うんゆうひょうき)して、まさに先哲の風をきこえんとす。
ただしおのづから名利にかかはらず、道念をさきとせん、眞實の參學あらんか。いたづらに邪師にまどはされ、みだりに正解をおほひ、むなしく自狂にゑふて、ひさしく迷鄕にしづまん。なにによりてか般若の正種を長じ得道の時をえん。貧道はいま雲遊萍寄をこととすれば、いづれの山川をかとぶらはん。これをあはれむゆゑに、まのあたり大宋國にして禪林の風規を見聞し、知識の玄旨を禀持(ぼんぢ)せしをしるしあつめて、參學閑道の人にのこして、佛家の正法をしらしめんとす。これ眞訣ならんかも。
よく見れば 薺花咲く 垣根かな ー松尾芭蕉
6/24 仙台の国際ヨガdayの一環で、『ZEN FOR NOTHING』の上映会があります。お近くの方はぜひお出かけください。www.yogacco.com
仏教伝道協会 「ネルケ無方の処方箋」:VOL.02 育てること、育つこと
17日(日) 名古屋市 朝日カルチャーセンター名古屋教室 13:00~14:30 講義 15:00~16:30 椅子禅。
18日(月) 東京都 神保町 19:00~21:00 サンガくらぶ「120分de仏教書」
19日(火) 新潟県 長岡市 興国寺 19:00~21:00 仏教文化講話
20日(水) 新潟県 長岡市 興国寺 6:00~7:00 仏教文化講話(講演後、朝粥)
20日(水) 東京都 日本橋 Kandyで、15:00~17:00 “Sex&Money” 藤田一照師と「お金」について対談。申し込み:kandyアッとvkj.co.jp 件名:「法話会」
23・24日(土・日) 新温泉町 西光寺 永代経で講演(三回)。
25日(月) 京都府 宮津市 智源寺 13:30~15:00: 「弁道話」(第三回目)。
6/24 仙台の国際ヨガdayの一環で、『ZEN FOR NOTHING』の上映会があります。お近くの方はぜひお出かけください。www.yogacco.com
仏教伝道協会 「ネルケ無方の処方箋」:VOL.02 育てること、育つこと
17日(日) 名古屋市 朝日カルチャーセンター名古屋教室 13:00~14:30 講義 15:00~16:30 椅子禅。
18日(月) 東京都 神保町 19:00~21:00 サンガくらぶ「120分de仏教書」
19日(火) 新潟県 長岡市 興国寺 19:00~21:00 仏教文化講話
20日(水) 新潟県 長岡市 興国寺 6:00~7:00 仏教文化講話(講演後、朝粥)
20日(水) 東京都 日本橋 Kandyで、15:00~17:00 “Sex&Money” 藤田一照師と「お金」について対談。申し込み:kandyアッとvkj.co.jp 件名:「法話会」
23・24日(土・日) 新温泉町 西光寺 永代経で講演(三回)。
25日(月) 京都府 宮津市 智源寺 13:30~15:00: 「弁道話」(第三回目)。
10日(日) 大阪市 朝日カルチャーセンター中之島教室 11:00~12:30 講義 13:15~14:45 椅子禅。
17日(日) 名古屋市 朝日カルチャーセンター名古屋教室 13:00~14:30 講義 15:00~16:30 椅子禅。
18日(月) 東京都 神保町 19:00~21:00 サンガくらぶ「120分de仏教書」
19日(火) 新潟県 長岡市 興国寺 19:00~21:00 仏教文化講話
20日(水) 新潟県 長岡市 興国寺 6:00~7:00 仏教文化講話(講演後、朝粥)
20日(水) 東京都 日本橋 Kandyで、15:00~17:00 “Sex&Money” 藤田一照師と「お金」について対談。申し込み:kandyアッとvkj.co.jp 件名:「法話会」
23・24日(土・日) 新温泉町 西光寺 永代経で講演(三回)。
25日(月) 京都府 宮津市 智源寺 13:30~15:00: 「弁道話」(第三回目)。
仏教伝道協会 「ネルケ無方の処方箋」:VOL.02 育てること、育つこと
いまの見佛聞法は、佛祖面面の行持よりきたれる慈恩なり。佛祖もし單傳せずは、いかにしてか今日にいたらん。一句の恩なほ報謝すべし、一法の恩なほ報謝すべし。いはんや正法眼藏無上大法の大恩、これを報謝せざらんや。一日に無量恆河沙の身命すてんこと、ねがふべし。法のためにすてんかばねは、世世のわれら、かへりて禮拜供養すべし。諸天龍神ともに恭敬尊重し、守護讃歎するところなり、道理それ必然なるがゆゑに。
西天竺國には、髑髏をうり髑髏をかふ婆羅門の法、ひさしく風聞せり。これ聞法の人の髑髏形骸の功徳おほきことを尊重するなり。いま道のために身命をすてざれば、聞法の功徳いたらず。身命をかへりみず聞法するがごときは、その聞法成熟するなり。この髑髏は、尊重すべきなり。いまわれら、道のためにすてざらん髑髏は、他日にさらされて野外にすてらるとも、たれかこれを禮拜せん、たれかこれを賣買せん。今日の精魂、かへりてうらむべし。鬼の先骨をうつありき、天の先骨を禮せしあり。いたづらに塵土に化するときをおもひやれば、いまの愛惜なし、のちのあはれみあり。もよほさるるところは、みん人のなみだのごとくなるべし。いたづらに塵土に化して人にいとはれん髑髏をもて、よくさいはひに佛正法を行持すべし。
このゆゑに、寒苦をおづることなかれ、寒苦いまだ人をやぶらず、寒苦いまだ道をやぶらず。ただ不修をおづべし、不修それ人をやぶり、道をやぶる。暑熱をおづることなかれ、暑熱いまだ人をやぶらず、暑熱いまだ道をやぶらず。不修よく人をやぶり、道をやぶる。麥をうけ、蕨をとるは、道俗の勝躅なり。血をもとめ、乳をもとめて、鬼畜にならはざるべし。ただまさに行持なる一日は、緒佛の行履なり。(http://www.shomonji.or.jp/soroku/genzou16b/index.html)
In that we have encountered Buddha and heard the Dharma today, we are indebted for the loving-kindness evinced by the ceaseless practice of each and every Buddha and Ancestor. Had the Buddhas and Ancestors not directly Transmitted the Dharma to us, how could It possibly have reached us in the present? We should repay our indebtedness for even a single line of verse, and we should repay our indebtedness for even a single Teaching. How much more should we repay our immeasurable indebtedness for the unsurpassed great Dharma of the Treasure House of the Eye of the True Teaching! All day long, we should desire to give up our own lives, which have been as innumerable as the sands of the Ganges. In generation after generation, we should bow in deepest respect and make alms offerings to the bodies that we have abandoned for the sake of the Dharma. Together with all the celestial beings, dragons, and divine spirits, we should venerate and esteem these bodies, for they are something to protect and praise, because the principle of gratitude underlying this veneration is indispensable.
The practice of the Brahmans who buy and sell skulls has long been reported in India. They have deeply revered the numerous, meritorious virtues of the skulls and bones of those who have hearkened to the Dharma. Now, if we do not give up our own lives for the sake of the Way, we will not attain the meritorious virtue of having heard the Teaching. If we hearken to the Dharma without giving a thought for life and limb, that hearing of the Dharma will fully ripen, and this skull of ours will be revered. […]
諸佛如來ともに妙法を單傳して、阿耨菩提を證するに、最上無爲の妙術あり。これただ、ほとけ佛にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。この三昧に遊化するに、端坐参禪を正門とせり。
「蝦蟇蚯蚓」「乾屎橛」「麻三斤」「庭前の柏樹子」「即心即仏」「非心非仏」
山僧叢林を歴ること多からず。ただ是れ等閑(なおざり)に天童先師に見えて、当下に眼横鼻直なることを認得して人に瞞ぜられず。すなわち空手還郷す。ゆえに一毫も仏法無し。任運に且く時を延ぶ。朝朝、日は東より出で、夜夜、月は西に沈む。雲収て山骨露れ、雨過ぎて四山低し。(永平広録・卍山本)
上堂に、云く。山僧、是、叢林を歴ること多からず。只、是、等閑に先師天童に見えしのみなり。然れども、天童に瞞ぜられず、天童還って、山僧に瞞ぜらる。近来、空手にして郷に還る。所以に山僧、無仏法なり。任運に、且く延時す。朝朝の日、東に出でて、夜夜の月、西に落つ。雲、収まって山谷静かなり、雨、過ぎて四山低り。三年には必ず一閏、鶏は五更に向って啼く、と。(永平公録・祖山本)
三位一体論 父(創造主)・聖霊 ・子(救済主であるイエス)
仏身論(三身説) 法身(仏性)・報身(仏性の働き)・応身(色身・現実の身体)