Photography

  • Permalink Gallery

    2年ぶりの大船渡市・陸前高田市、2013年11月22日

2年ぶりの大船渡市・陸前高田市、2013年11月22日

柏陽一郎さんと知り合ったのは、やく二十年前のこと。当時、関東地方で托鉢に出かけていた私と、上野動物園で擬岩デザイナーの仕事をしていた柏さんはたまたま同じ宿に泊まっていました。それは山谷の泪橋の近くにある、ふだん日雇いが利用する安宿でした。その宿の最上階にあった大浴場で、朝風呂に入りながら柏さんとふたりで富士山を眺めていたことを今も鮮明に覚えています。私が安泰寺に帰山、柏さんが故郷の三陸に帰った後も、手紙のやり取りをしたり、安泰寺の文集に投稿してもらったりして連絡をとりあったりしていました。

2011年の3月11日、私もテレビの画面に釘付けになっていました。そこには、柏さんが住んでいる大船渡市の中心街が津波に呑み込まれている映像が映りだされていました。柏さんは幸いにも逃げ切れましたが、家は今も復旧していません。家のあったところで、2メートルの土が盛られ、高台の住宅街が建つ予定だそうですが、実現まではまだまだ時間がかかりそうです。5メートルの高さの防潮堤はあの震災で壊れてしまい、そのままです。その手前では、いっけん工業団地の建設現場とも思われる場所があります。そこには新たな防潮堤が作られ、その高さはなんと11メートルだとか。大船渡市に隣接している陸前高田市では、がれきはほとんど片付いているものの、街はいまだに2011年に見ていた時にほぼ近い状態です。こちらはさらに高く盛土する予定だそうです。実際に、土砂の山はあちらこちらに積まれています。こちらもあたらしい防潮堤は建設中ですが、高さは大船渡市のそれより更に高く、17メートルだそうです。

「元の状態に戻したい」という気持ちは分かります。ですが、人間の考えていることはあまりにも変わっていなすぎる気もします。港にいくらコンクリートを流し込んだところで、人間が自然に勝てるはずはありません。

安泰寺の冬支度と久斗山の「ふれあい餅つき大会」、2013年11月17日

久々の晴れの日で新聞のインタビュー、2013年11月14日

東司(とうす)の汲み取り、2013年10月27日

禅寺には不思議な専門用語がたくさん使われています。「東司(とうす)」という言葉もその一つです。
日本でもっとも古くかつ大きい東司は京都の東福寺にあります。現在は坐禅堂として使われていますが、「東司」のもともとの意味は「トイレ」なのです。
昔は数百名もの修行僧がいたようで、あれだけ大きな建物が必要だったのでしょう。ところが、東福寺の東司も永平寺の東司も、山門の西側に位置しています。
なぜ「東司」なのか。諸説があるようですが、こちらの推測が面白いです:「禅寺のトイレ:なぜ東司、西浄か」

今はほとんどの禅寺の東司は水洗トイレに変わりました。永平寺も東福寺もその例外ではありません。
しかし安泰寺では今も「ぽつん東司」ですので、定期的に汲み取りをしなければなりません。その「こえ」は畑や田んぼの大事な肥料になります。
今日は慈念さんが人参の追肥のために、タンクから人糞を汲み取っています。

 

ほかの作務は、田んぼにわらやヌカ、そしておが屑を入れる作業、庭の手入れ、柿の収穫などが行われています。
天才メカニックのトビくんは今日も機械をいじっています。アドリアンさんとふたりでブルドーザのブレーキを直し、キャタピラーを掃除しています:

 

  • Permalink Gallery

    本の紹介:星覚著「坐ればわかる」と内山興正著「いのちの問答」、2013年10月16日

本の紹介:星覚著「坐ればわかる」と内山興正著「いのちの問答」、2013年10月16日

献本された二冊を紹介します。一冊目を書いた星覚さんは山陰生まれで、今はベルリンで活躍しています。私とはベクトルが真逆に向いている方ですが、これから注目したい禅僧の一人です。
ネット上の情報は:
彼岸寺 http://higan.net/apps/mt-cp.cgi?__mode=view&blog_id=58&id=25
ベルリンの「雲堂」のFB https://www.facebook.com/undoinberlin
雲水喫茶 http://unsui.net/

日本でも、定期的に「禅の旅」を開催しています: http://www.higan.net/topics/2013/09/1011.html

アマゾンへのリンク:


坐ればわかる


身体と心が美しくなる禅の作法


内山興正老師いのちの問答

内山老師のその他の本:

坐禅の意味と実際―生命の実物を生きる

道元禅師・沢木興道老師一筋に生き抜いた内山興正老師が、禅を求める欧米人のために、平易に説いた坐禅入門書。アタマの中の“思い”を手放し、生命の実物に目覚めて生きる深い坐禅の内的体験も明かす。名著『生命の実物』に「道元禅師の祇管打坐」を加えて新装改訂。
AMAZONで注文:

坐禅の意味と実際

自己―ある禅僧の心の遍歴

いのちがけの恋、真実を求めての若き日の苦悩、恋人・妻の死、そして出家。悟りをも求めないという道元禅師の説いた坐禅への疑い・葛藤、…。七転八倒の心の遍歴とともに、たどり致いた道元・沢木興道の「祇管打坐(しかんたざ)」の禅と、女学生に説いたキリスト教の話を併載。1965年柏樹社刊の復刊。

AMAZONで注文:

自己

観音経・十句観音経を味わう

観音に願いをかけ妻子を失った若き日、南無観世音菩薩と念じた辛い山仕事の日々、その自らの体験を経て、ついに禅者が出逢った観音の正体とは。

AMAZONで注文:

観音経・十句観音経を味わう

正法眼蔵八大人覚を味わう

八大人覚とは、大人(だいにん・おとな)として覚り知るべき(少欲・知足など)八っのことの意で、ブッダ最後の教えといわれています。
その教えを、日本曹洞宗の開祖・道元禅師もまた『正法眼蔵』の一巻として書き遺しました。

本書で内山老師がユーモアを交えて平易に「大人の修行」の原点を解き明かす。原文はこちらでご覧になれます。

AMAZONで注文:

正法眼蔵八大人覚を味わう

正法眼蔵生死を味わう

生死の中に仏あれば生死なし。つまり生死の何から何までが仏なのだから、生死というものはないということです。すべて一切、天地一杯、生も死もひっくるめたものが、仏なのです。

道元の原文は、ストレートで分かり易い、詩的な情感漂う、900字足らずの散文です。

内山興正師著の本書は,『生死』を若い女性向きに分かり易く解説した物で気難しい古文読解の手引きではなく、内山師自身の生死への処し方を語り掛けた気軽なエッセイと云える。
原文はこちらでご覧になれます。

AMAZONで注文:

正法眼蔵生死を味わう

正法眼蔵現成公案・摩訶般若波羅蜜を味わう

「現成公案」の卷は、いわば正法現蔵の総論であると同時にエキスでもあるとは、古来から言われております。優しい言葉で書かれ短い卷でありながら、その美しいひびきのあるご文章は、分からぬながらもそこに限りない深さを感じさせ、これが誰をもひきつけてやまないのでしょう。よく禅の話と言えば、あっちへすっとびこちへすとびして、人の意表外をつけばいいくらいに考えている人が多いわけですが、少なくともこの卷では決してそんなことはありません。わたしはかねてから仏法とは「分からないからただ座れ」「ただ信ぜよ」というのではなく、本当の宗教としての仏法である限り「仏法とは分からないものだとよく分かったから信ずる」「分からないところがよく分かったから座る」のではなくてはならないといつも言ってきております。(内山興正)
現成公案の原文はこちらでご覧になれます。

AMAZONで注文: 正法眼蔵現成公案・摩訶般若波羅蜜を味わう

正法眼蔵仏性を味わう

仏性とは行きつく処へ行きついた生き方。仏性とは「仏になれる可能性」などという、痛くも痒くもない他人事ではない。道元禅師の『正法眼蔵』の中でも最高峰とされてきた「仏性」の巻の真意を解き明かす。

AMAZONで注文: 正法眼蔵―仏性を味わう

普勧坐禅儀を読む―宗教としての道元禅

仏祖正伝の坐禅とは何か? その真髄を得て帰朝した若き道元の最初の著作「普勧坐禅儀」を、いま現代語で明かす。1977年柏樹社刊に「正法眼蔵に学ぶ生きる態度」「坐禅の中味」の2編を加える。

曹洞禅を行じてる方は、この本と「坐禅の意味と実際―生
命の実物を生きる」を読み、自分の坐禅を一度チェックしてみてはいかが?原文はこちらでご覧になれます。

AMAZONで注文:
普勧坐禅儀を読む―宗教としての道元禅

内山興正法話集・天地一杯の生命(全10枚)[CD]

「どこまでも純粋に、自己のいのちの深さに向かう」

「生きる」ことと徹底的に対峙し、その真実を生涯追及し続けた内山興正師。人生科講義(第一巻~第五巻)では「何のために生きるのか」その真理をひもといて丁寧に解説。お釈迦様の遺言でもあり、道元禅師の遺言でもある『正法眼蔵』「八大人覚」(第六巻~第九巻)は、自らの修業体験も交えて分かりやすく手ほどきしています。貴重な音源である、師の晩年の説法(第十巻)も収録致しました。

※【おことわり】尚、この法話集は古い貴重な音源を使用している為、音質上で一部でお聴き苦しい部分がございます。予めご了承下さい。

AMAZONで注文:

内山興正法話集

在家得度とパーティー、2013年10月5日

実は今回の摂心中に坐禅を抜けて、二回目も講演に出かけました。3日に米子で行われた講演にベルリンで坐禅道場を開いている星覚さんが駆けつけてくれました:
ベルリンの坊さん、山陰の坊さん

そして10月の5日摂心の最終日の夕方には、安泰寺の本堂で慈念さん、擁真さんと博恵さんの在家得度式が行われました。敷の前にはまず皆でを般若心経を読みました。

愚聖さんに導いてもらいながら、三人は受戒をしました。

仏弟子の証として、絡子(らくす・お袈裟のミニ版)を身につけます。

写真はこちら:https://plus.google.com/u/0/photos/116218708782376154359/albums/5931525019102112113

式のあとに、外食堂で三人の新しい菩薩の誕生を祝いました。いきなり不如法です。予定していたキャンプファイヤは雨天のため延期になりました。

精米所で糠を8袋も頂戴する、2013年9月29日

午前中、箱根の九頭竜の森にある桟橋の上で坐禅もし、「菩提心にういて」話もし、顔の右半分を真っ赤に焼かれました。彼岸が過ぎていても、日本の太陽を侮ってはいけません。坐禅中に帽子などをかぶらないのが大前提ですが、次の機会では対応の仕方を考えなければ・・・
午後は5時過ぎに鳥取空港に着き、軽トラで帰路につきました。その途中、精米所で安泰寺の畑や田んぼの有機肥料、また鶏の餌にもなる糠を8袋も頂戴しました。

駒ケ岳山頂で坐禅、2013年9月28日

今日も箱根で二つのクラスがありました。早朝の「経行入門」と午後の「ただ坐る」。
午後の坐禅はMINI自動車の協力で、駒ケ岳山頂で行われました。「ただ坐る」ではなく、「ただデ坐る」のでした。
MINIの代表として、ドイツ人のアンドレアスが英語で挨拶しています:

ゴンドラから見る富士山は綺麗でした。60名ほどの参加者の中には、著名なヨガの先生もいました。渋木さやか先生や吉川めい先生も参加されました。
ゴンドラの中ではワクワクした気分でした。これからは山頂から、夕日を浴びる富士山をなまで見れるはずでした。

こんなはずではなかった!
富士山の夕日を見ながらの坐禅が、まさかのガス状態・・・。山頂では冷たい風が吹き渡り、初冬のような天気でした。MINI COOPERの協力のおかげで、さすがキャッシュバックの要求はなく、皆様は寒さの中でただで坐れて、ただでヨーガマットを貰えました。
しかし、思う通りになる坐禅により、思う通りにならない坐禅を実践することが大事。
思う通りの自分を追いかけるのではなく、思う通りにならない自分を受け入れること。

今朝は湖の近くにある箱根神社で早朝のお祈りに参列させていただいてから、居合道の道場で「経行入門」をしました。なかなか雰囲気のいい道場でした。こちらの「元宮」も2400年前からパワースポットだそうです。
しかし実は、私はパワースポット音痴なので、どんなパワースポットにいてもビビッと来るものはありません。逆に言えば、坐禅をする場所はどこであっても、私のパワースポットなのです。
ちなみに、芦ノ湖のホテルに戻ったとき、山の麓では綺麗に晴れていました。それはさておき、このあとお風呂に入ります。

29日の「菩提心について」(10:30~12:00)はこの浅橋で開催されます。そのあと、羽田から飛行機で鳥取に戻って、安泰寺に帰山です。

安泰寺の休日、2013年9月21日