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雪かき&知事清規の輪講(五回目・大河の当番)、2017年2月12日

本堂回り&挨拶&停電、2017年2月11日

本堂回り、2017年2月10日

知事清規の輪講(四回目・越智の当番)、2017年2月9日

今日も「知事清規」の輪講がありました。越智の当番でした:

今月以降の講演&WSの告知です:

2月
18日(土) 東京都 コンセプトスタジオvedaでワークショップ、19:00~20:30:「私を手放す生き方―本当の自由とは?」
21日(火) 京都府 宮津市 智源寺 で講話、13:30~15:00: 「般若心経講義」(三回目)

藤田一照さんと共同・本橋 スリランカ料理 キャンディで「信心銘」を味読:
https://www.facebook.com/kandyroyalfood/posts/382135125461815

3月
19日(日) 豊岡市 楽音寺の観音講で講演。

4月
19日(水) 名古屋市 中日文化センター で講演:「仏教とキリスト教―それぞれの死生観」

5月
3日~6日 安泰寺山内でTruenatureリトリート
17日(水) 名古屋市 中日文化センター で講演:「釈尊の入滅が現代人の私たちに何を語りかけているのか」
28日(日) 大阪市 中之島教室 | 朝日カルチャーセンター で坐禅ワークショップ&講演:「春は花~私の理想の生き方と死に方」
29日(月) 岡山県 真言宗御室派備前宗務支所で講演:「ドイツ人住職が見た日本仏教」

6月
21日(水) 名古屋市 中日文化センター で講演:「春は花ー私の理想の生き方と死に方」

7月
19・20日(水・木) 佐世保市 洪徳寺で講演

下山、2017年2月7日

安泰寺の本堂前、2017年2月6日

知事清規の輪講(一回目・道宣の当番)、2017年1月29日

まずは岩波文庫版の「知事清規矩」の原文を読み上げます:

続いて、英訳です:

ここから、道宣の説明が始まります:

典座教訓(6回目の輪講・ムリロの当番)、2017年1月27日

ムリロの英語の輪講の前に、神田が原文を読み上げました:

典座教訓の全文はこちら:
http://antaiji.org/archives/jap/ten.shtml

 山僧歸國より以降(このかた)錫を建仁に駐(とど)むること一兩三年。
 彼寺(矛+攵+心)(おろ)かに此の職を置けども。唯だ名字のみ有て、全く入の實無し。
 未だ是れ佛事なることを識らず、豈に敢て道を弁(冖+月)せんや。
 眞に其の人に遇はず、虚く光陰を度り、浪(みだり)道業を破ることを憐憫すべし。
 會(かつ)て彼の寺を看るに此の職の僧、二時の齋粥、都(すべ)て事を管せず。一りの無頭腦、無人情の奴子(ぬす)を帯して、一切大小の事、總に佗に説向す。正を作得すも、不正を作得すも、未だ會て去(ゆ)いて看せず。
 鄰家に婦女有るが如くに相ひ似たり。若し去(ゆ)いて得佗を見れば、及ち恥とし及ち瑕(きず)とす。
 一局を結構して、或は偃臥し、或は談笑し、或は看經(かんきん)し、或は念誦して、日久しく月深けれども、鍋邊(かへん)に到らず。
 況(いわん)や什物を買索(ばいさく)し、味數を諦觀するは、豈に其の事を存せんや。
 何(いか)に況や兩節の九拜未だ夢にだも見ざること在り。
 時至れども童行(ずんなん)に教ることも也(ま)た未だ會て知らず。
 憐むべく悲むべし。無道心の人。未だ會て有道徳に遇見せざるの輩(ともがら)、寶山に入ると雖も、空手にして歸り、寶海に到ると雖も、空身にして還ること。
 應に知るべし佗未だ會て發心せずと雖も、若も一本分人に見(まみ)へば、則ち其の道を行得せん。
 未だ本分人に見へずと雖も、若し是れ深く發心せば、則ち其の道を行膺せん。
 既に以(すで)に兩つながら闕(か)かば、何を以てか一の益あらん。
 大宋國の諸山、諸寺、知事頭首の職に居るの族(やから)を見るが如きんば、一年の精勤爲りと雖も、各三般(さんぱん)の住持を存し、時と與(とも)に之を營み、縁を競ふて之を勵む。
 已に他を利するが如く兼て自利を豐にす。叢席を一興し高格を一新す。肩を齋(ひとし)うし頭を竸ひ踵を繼ぎ蹤を重んず。
 是に於て應に詳(つまびらか)にずべし。自を見ること佗の如くなるの癡人(ちにん)有り。佗を顧ること自の如くなるの君子有りことを。
 古人云く、「三分の光陰二早く過ぐ、靈臺一點も揩磨(かいま)せず。生を貧り日を遂ふて區區(くく)として去る。喚(よ)べども頭を囘らさず爭奈何(いかん)せん」と。
 須(すべから)く知るべし未だ知識に見(まみ)えんざれば、人情に奪は被(る)ることを。
 憐むべし愚子長者所傳の家財を運出(うんすい)して、徒(いたづら)に佗人面前の塵糞と作すことを。
 今は乃ち然かあるべからざるか。
 嘗(かつ)て當職を觀るに前來の有道、其の掌其の徳自から符す。
 大イの悟道も、典座の時なり。洞山の麻三斤も、亦た典座の時なり。
 若し事を貴ぶべき者ならば、悟道の事を貴ぶべし。若し時を貴ぶべき者ならば、悟道の時を貴ぶべき者か。
 事を慕ひ道を耽(たのし)むの跡、砂(いさこ)を握て寶と爲する、猶ほ其の驗(しる)し有り。形を模して禮(らい)を作す。屡(しばし)ば其の感を見る。
 何(いか)に況(いわん)や其の職是れ同じく、其の稱(しょう)是れ一なるをや。
 其の情其の業、若し傳ふべき者ならば、其の美其の道、豈に來らざらんや。

続いて、ムリロが奥村正博老師の英語訳を読み上げます:

ネットでも、典座教訓の英訳がご覧になれます。奥村正博老師とは別バージョンです:
Instructions for the Cook (Stanford translation)
INSTRUCTIONS FOR THE TENZO (translated by Anzan Hoshin & Yasuda Joshu)

以下はスタンフォード大学のバージョンです:

After I returned to Japan I took up residence in Kennin Monastery for several years. That monstery established the position of cook, but it was in name only; there was no one at all who actually carried it out. As yet unaware that this is the work of the Buddha, how pathetic was their pursuit and practice of the way! Truly it is pitiable that they, without meeting such a person, vainly passed their days and recklessly destroyed the way of practice. Once I observed that the monk who held the position of cook at that monastery did nothing at all to manage the two daily meals. He entrusted all matters large and small to a servant without a brain or human feelings, giving him only general instructions. He never ever went to see whether the work was done properly or not. He acted as if he was the wife of a neighboring house: if he went and saw the other, it would be an embarrassment or an injury. He ensconced himself in his office, sometimes reclining, sometimes chatting and laughing, sometimes reading sûtras, and sometimes reciting prayers. For days on end and many months he did not approach the vicinity of the pots. How much less did he take stock of the utensils or pay attention to the flavors and numbers [of side dishes]. How could […]

窓からの眺めといつもの本堂回り、2017年1月25日

本堂回り、2017年1月24日