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辨道話講義⑬、2019年4月19日

Ⓠ5 とうていはく、「三学のなかに定学あり、六度のなかに禅度あり。ともにこれ一切の菩薩の、初心よりまなぶところ、利鈍をわかず修行す。いまの坐禅も、そのひとつなるべし。なにによりてか、このなかに如来の正法あつめたりといふや。」
Ⓐ5 しめしていはく、「いまこの如来 一大事の正法眼蔵 無上の大法を、禅宗となづくるゆゑに、この問(もん)きたれり。しるべし、この禅宗の号は、神丹以東におこれり、竺乾(ちくけん)にはきかず。はじめ達磨大師、嵩山の少林寺にして九年面壁のあひだ、道俗いまだ仏正法をしらず、坐禅を宗とする婆羅門となづけり。のち代代の諸祖、みなつねに坐禅をもはらす。これをみるおろかなる俗家は、実をしらず、ひたたけて坐禅宗といひき。いまのよには、坐のことばを簡(かん)して、ただ禅宗といふなり。そのこころ、諸祖の広語にあきらかなり。六度および三学の禅定にならっていふべきにあらず。この仏法の相伝の嫡意なること、一代にかくれなし。如来むかし霊山会上(りょうぜんえじょう)にして、正法眼蔵 涅槃妙心 無上の大法をもて、ひとり迦葉尊者にのみ付法せし儀式は、現在して上界にある天衆、まのあたりみしもの存(そん)せり、うたがふべきにたらず。おほよそ仏法は、かの天衆とこしなへに護持するものなり、その功(こう)いまだふりず。まさにしるべし、これは仏法の全道なり、ならべていふべきものなし。」

Ⓠ6 とうていはく、「仏家なにによりてか四儀のなかに、ただし坐にのみおほせて禅定をすすめて証入をいふや。」
Ⓐ6 しめしていはく、「むかしよりの諸仏、あひつぎて修行し証入せるみち、きはめしりがたし。ゆゑをたづねば、ただ仏家のもちゐるところをゆゑとしるべし、このほかにたづぬべからず。
ただし、祖師ほめていはく、「坐禅はすなはち安楽の法門なり。」はかりしりぬ、四儀のなかに安楽なるゆゑか。いはんや一仏二仏の修行のみちにあらず、諸仏諸祖にみなこのみちあり。」

心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、作仏を図ることなかれ。あに坐臥に拘わらんや。 尋常、坐処には厚く坐物を敷き、上に蒲団を用う…

Ⓠ7 とうていはく、「この坐禅の行は、いまだ仏法を証会(しょうえ)せざらんものは、坐禅辨道してその証をとるべし。すでに仏正法をあきらめえん人は、坐禅なにのまつところかあらん。」
Ⓐ7 しめしていはく、「痴人のまへにゆめをとかず、山子(さんす)の手には舟棹(しゅうとう)をあたへがたしといへども、さらに訓をたるべし。
それ修証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。仏法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆゑに、初心の辨道すなはち本証の全体なり。かるがゆゑに、修行の用心をさづくるにも、修のほかに証をまつおもひなかれとをしふ。直指の本証なるがゆゑなるべし。すでに修の証なれば、証にきはなく、証の修なれば、修にはじめなし。ここをもて、釈迦如来、迦葉尊者、ともに証上の修に受用せられ、達磨大師、大鑑高祖、おなじく証上の修に引転せらる。仏法住持のあと、みなかくのごとし。すでに証をはなれぬ修あり、われらさいはひに一分の妙修を単伝せる、初心の辨道すなはち一分の本証を無為の地にうるなり。
しるべし、修をはなれぬ証を染汚せざらしめんがために、仏祖しきりに修行のゆるくすべからざるとをしふ。妙修を放下すれば本証 手の中にみてり、本証を出身すれば妙修通身におこなはる。
又まのあたり大宋国にしてみしかば、諸方の禅院みな坐禅堂をかまへて、五百六百、および一二千僧を安じて、日夜に坐禅をすすめき。その席主とせる伝仏心印の宗匠に、仏法の大意をとぶらひしかば、修証の両段にあらぬむねをきこえき。このゆゑに、門下の参学のみにあらず、求法の高流(こうる)、仏法のなかに真実をねがはん人、初心後心をえらばず、凡人聖人を論ぜず、仏祖のをしへにより、宗匠の道をおふて、坐禅辨道すべしとすすむ。
きかずや祖師のいはく、「修証はすなはちなきにあらず、染汚することはえじ。」又いはく、「道をみるもの、道を修す」と。しるべし、得道のなかに修行すべしといふことを。」

安泰寺の桜 & ビニールハウスから開山堂へ & 玉切り・薪割り、2019年4月17&18日

流転会の報告・今後のイベントの告知、2019年4月15日

毎週日曜日、6:40~7:40 大阪城公園(石山若宮三吉大明神の裏)。
antaiji.org/ja/muho/events

流転会の報告・時間の変更、2019年4月9日

毎週日曜日、6:40~7:40 大阪城公園(石山若宮三吉大明神の裏)。
antaiji.org/ja/muho/events

本の紹介 & 春日和の安泰寺、2019年4月4&5日

流転会の再開と「安泰寺」と「ネルケ無方」のアカウントの使い分けについて、2019年3月31日

安泰寺のアカウント: youtube.com/user/sendaba
ネルケ無方のアカウント: youtube.com/user/sendab
無方の再生リスト: youtube.com/user/sendab/playlists

トマス・マートンの「最も危険な人物」や小池龍之介さんの「懺悔」などについて(英語)、2019年3月28日

The most dangerous man in the world is the contemplative who is guided by nobody. He trusts his own visions. He obeys the attractions of an interior voice but will not listen to other men. He identifies the will of God with anything that makes him feel, within his own heart, a big, warm, sweet interior glow. The sweeter and the warmer the feeling is, the more he is convinced of his own infallibility. (Thomas Merton)
出典:New Seeds of Contemplation

解脱失敗とその懺悔――小池龍之介さんからの電話

本堂回り、2019年3月24日

ばさばさ生きねば案内所&ネルケ無方「弁道話講義⑫」&本堂回り、2019年3月12&15&16日

ばさばさ生きねば案内所: 西田幾多郎の宗教哲学②ネルケ無方さま(安泰寺ご住職)からご意見を頂きました。

Ⓠ4 とふていはく、「いまわが朝(ちょう)につたはれるところの法華宗、華厳教¬¬¬、ともに大乗の究竟(くきょう)なり。いはんや真言宗のごときは、毘盧遮那如来したしく金剛薩埵(こんごうさった)につたえへて、師資みだりならず。その談ずるむね、即心是仏、是心作仏といふて、多劫(たごう)の修行をふることなく、一座に五仏の正覚をとなふ、仏法の極妙(ごくみょう)といふべし。しかあるに、いまいふところの修行、なにのすぐれたることあれば、かれらをさしおきて、ひとへにこれをすすむるや。」
Ⓐ4 しめしていはく、「しるべし、仏家には、教の殊劣(しゅれつ)を対論することなく、法の浅深(せんじん)をえらばず、ただし修行の真偽(しんぎ)をしるべし。草華山水(そうかさんすい)にひかれて仏道に流入(るにゅう)することありき、土石沙礫(どしゃくしゃりゃく)をにぎりて仏印を稟持(ぼんじ)することあり。いはんや広大の文字は万象にあまりてなほゆたかなり、転大法輪 又 一塵(いちじん)にをさまれり。しかあればすなはち、即心即仏のことば、なほこれ水中の月なり。即坐成仏のむね、さらに又かがみのうちのかげなり。ことばのたくみにかかはるべからず。いま直証菩提の修行をすすむるに、仏祖単伝の妙道をしめして、真実の道人とならしめんとなり。
また、仏法を伝授することは、かならず証契(しょうかい)の人をその宗師とすべし。文字をかぞふる学者をもてその導師とするにたらず、一盲の衆盲をひかんがごとし。
いまこの仏祖正伝の門下には、みな得道証契の哲匠をうやまひて、仏法を住持せしむ。かるがゆゑに、冥陽の神道もきたり帰依し、証果の羅漢もきたり問法するに、おのおの心地を開明する手をさづけずといふことなし。余門にいまだきかざるところなり、ただ仏弟子は仏法をならふべし。
又しるべし、われらはもとより無上菩提かけたるにあらず、とこしなへに受用すといへども、承当することをえざるゆゑに、みだりに知見をおこすことをならひとして、これを物とおふによりて、大道いたづらに蹉過(しゃか)す。この知見によりて、空華まちまちなり。あるいは十二輪転、二十五有の境界とおもひ、三乗五乗、有仏無仏の見、つくることなし。この知見をならうて、仏道修行の正道とおもふべからず。しかあるを、いまはまさしく仏印によりて万事を放下し、一向に坐禅するとき、迷悟情量のほとりをこえて、凡聖のみちにかかはらず、すみやかに格外に逍遥し、大菩提を受用するなり。かの文字の筌罤(せんてい)にかかはるものの、かたをならぶるにおよばんや。

Ⓠ5 とうていはく、「三学のなかに定学あり、六度のなかに禅度あり。ともにこれ一切の菩薩の、初心よりまなぶところ、利鈍をわかず修行す。いまの坐禅も、そのひとつなるべし。なにによりてか、このなかに如来の正法あつめたりといふや。」
Ⓐ5 しめしていはく、「いまこの如来 一大事の正法眼蔵 無上の大法を、禅宗となづくるゆゑに、この問(もん)きたれり。しるべし、この禅宗の号は、神丹以東におこれり、竺乾(ちくけん)にはきかず。はじめ達磨大師、嵩山の少林寺にして九年面壁のあひだ、道俗いまだ仏正法をしらず、坐禅を宗とする婆羅門となづけり。のち代代の諸祖、みなつねに坐禅をもはらす。これをみるおろかなる俗家は、実をしらず、ひたたけて坐禅宗といひき。いまのよには、坐のことばを簡(かん)して、ただ禅宗といふなり。そのこころ、諸祖の広語にあきらかなり。六度および三学の禅定にならっていふべきにあらず。」

道本円通、いかでか修証を仮らん。宗乗自在、何ぞ功夫を費さん…大都当処を離れず、豈に修行の脚頭を用ふる者ならんや…入頭の辺量に逍遥すと雖も、幾んど出身の活路を虧闕す…少林の心印を伝ふる、面壁九歳の声名、尚ほ聞こゆ。

亦云く、道を得ることは心を以て得るか、身を以て得るか。教家等にも身心一如と云て、身を以て得るとは云へども、猶一如の故にと云ふ。しかあれば正く身の得ることはたしかならず。今我が家は身心ともに得るなり。其の中に心を以て佛法を計校する間は、萬劫千生得べからず。心を放下して知見解会を捨つる時得るなり。見色明心聞声悟道の如きも、猶を身の得るなり。然あれば心の念慮知見を一向に捨てて只管打坐すれば道は親しく得るなり。然あれば道を得ることは正しく身を以て得るなり。是に依りて坐を專らにすべしと覚へて勧むるなり。(随聞記)

近況報告「変わること」&「安泰寺へ残す言葉」、2019年3月7日

仏教伝道協会「ネルケ無方の処方箋」:VOL.06 変わること(最終回)

安泰寺へ残す言葉より (内山興正老師)

1 人情・世情ではなく仏法ために仏法を学し仏法のために仏法を修すべきこと。
2 坐禅こそ本尊であり正師である。
3 坐禅は具体的に「得はマヨイ、損はサトリ」を実行し二行(懺悔行、誓願行)、三心(喜心、老心、大心)として生活の中に働く坐禅でなければならない。
4 誓願を我が生命とし深くその根を養うこと。
5 向上するのも堕落するのも自分持ちであることを自覚して修行向上に励むこと。
6 黙って10年坐ること、さらに10年坐ること、その上10年坐ること。
7 真面目な修行者達が悩まないでいいような修行道場であることを願って互いに協力すべきこと。

「安泰寺を去る」
老人としての私には私なりの仕事がある。
それは若い時のように外に向かって働くことではない。
ただ、内に向かって自己を見つめ
大空の中に雲が消えて行くように静かに消えていくことだ。

2019年のスケジュール:antaiji.org/ja/muho/events/