典座教訓の全文はこちら: antaiji.org/archives/jap/ten.shtml

今日のテキストの原文は:

山僧歸國より以降(このかた)錫を建仁に駐(とど)むること一兩三年。
 彼寺(矛+攵+心)(おろ)かに此の職を置けども。唯だ名字のみ有て、全く入の實無し。
 未だ是れ佛事なることを識らず、豈に敢て道を弁(冖+月)せんや。
 眞に其の人に遇はず、虚く光陰を度り、浪(みだり)道業を破ることを憐憫すべし。
 會(かつ)て彼の寺を看るに此の職の僧、二時の齋粥、都(すべ)て事を管せず。一りの無頭腦、無人情の奴子(ぬす)を帯して、一切大小の事、總に佗に説向す。正を作得すも、不正を作得すも、未だ會て去(ゆ)いて看せず。
 鄰家に婦女有るが如くに相ひ似たり。若し去(ゆ)いて得佗を見れば、及ち恥とし及ち瑕(きず)とす。
 一局を結構して、或は偃臥し、或は談笑し、或は看經(かんきん)し、或は念誦して、日久しく月深けれども、鍋邊(かへん)に到らず。
 況(いわん)や什物を買索(ばいさく)し、味數を諦觀するは、豈に其の事を存せんや。
 何(いか)に況や兩節の九拜未だ夢にだも見ざること在り。
 時至れども童行(ずんなん)に教ることも也(ま)た未だ會て知らず。
 憐むべく悲むべし。無道心の人。未だ會て有道徳に遇見せざるの輩(ともがら)、寶山に入ると雖も、空手にして歸り、寶海に到ると雖も、空身にして還ること。
 應に知るべし佗未だ會て發心せずと雖も、若も一本分人に見(まみ)へば、則ち其の道を行得せん。
 未だ本分人に見へずと雖も、若し是れ深く發心せば、則ち其の道を行膺せん。
 既に以(すで)に兩つながら闕(か)かば、何を以てか一の益あらん。

ネットでも、典座教訓の英訳がご覧になれます。奥村正博老師とは別バージョンです:
Instructions for the Cook (Stanford translation)
INSTRUCTIONS FOR THE TENZO (translated by Anzan Hoshin & Yasuda Joshu)