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正法眼蔵・行持の講義、2018年5月31日

いまの見佛聞法は、佛祖面面の行持よりきたれる慈恩なり。佛祖もし單傳せずは、いかにしてか今日にいたらん。一句の恩なほ報謝すべし、一法の恩なほ報謝すべし。いはんや正法眼藏無上大法の大恩、これを報謝せざらんや。一日に無量恆河沙の身命すてんこと、ねがふべし。法のためにすてんかばねは、世世のわれら、かへりて禮拜供養すべし。諸天龍神ともに恭敬尊重し、守護讃歎するところなり、道理それ必然なるがゆゑに。
 西天竺國には、髑髏をうり髑髏をかふ婆羅門の法、ひさしく風聞せり。これ聞法の人の髑髏形骸の功徳おほきことを尊重するなり。いま道のために身命をすてざれば、聞法の功徳いたらず。身命をかへりみず聞法するがごときは、その聞法成熟するなり。この髑髏は、尊重すべきなり。いまわれら、道のためにすてざらん髑髏は、他日にさらされて野外にすてらるとも、たれかこれを禮拜せん、たれかこれを賣買せん。今日の精魂、かへりてうらむべし。鬼の先骨をうつありき、天の先骨を禮せしあり。いたづらに塵土に化するときをおもひやれば、いまの愛惜なし、のちのあはれみあり。もよほさるるところは、みん人のなみだのごとくなるべし。いたづらに塵土に化して人にいとはれん髑髏をもて、よくさいはひに佛正法を行持すべし。
 このゆゑに、寒苦をおづることなかれ、寒苦いまだ人をやぶらず、寒苦いまだ道をやぶらず。ただ不修をおづべし、不修それ人をやぶり、道をやぶる。暑熱をおづることなかれ、暑熱いまだ人をやぶらず、暑熱いまだ道をやぶらず。不修よく人をやぶり、道をやぶる。麥をうけ、蕨をとるは、道俗の勝躅なり。血をもとめ、乳をもとめて、鬼畜にならはざるべし。ただまさに行持なる一日は、緒佛の行履なり。(http://www.shomonji.or.jp/soroku/genzou16b/index.html)

In that we have encountered Buddha and heard the Dharma today, we are indebted for the loving-kindness evinced by the ceaseless practice of each and every Buddha and Ancestor. Had the Buddhas and Ancestors not directly Transmitted the Dharma to us, how could It possibly have reached us in the present? We should repay our indebtedness for even a single line of verse, and we should repay our indebtedness for even a single Teaching. How much more should we repay our immeasurable indebtedness for the unsurpassed great Dharma of the Treasure House of the Eye of the True Teaching! All day long, we should desire to give up our own lives, which have been as innumerable as the sands of the Ganges. In generation after generation, we should bow in deepest respect and make alms offerings to the bodies that we have abandoned for the sake of the Dharma. Together with all the celestial beings, dragons, and divine spirits, we should venerate and esteem these bodies, for they are something to protect and praise, because the principle of gratitude underlying this veneration is indispensable.
The practice of the Brahmans who buy and sell skulls has long been reported in India. They have deeply revered the numerous, meritorious virtues of the skulls and bones of those who have hearkened to the Dharma. Now, if we do not give up our own lives for the sake of the Way, we will not attain the meritorious virtue of having heard the Teaching. If we hearken to the Dharma without giving a thought for life and limb, that hearing of the Dharma will fully ripen, and this skull of ours will be revered. […]

弁道話講義(二回目)、2018年5月25日

諸佛如來ともに妙法を單傳して、阿耨菩提を證するに、最上無爲の妙術あり。これただ、ほとけ佛にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。この三昧に遊化するに、端坐参禪を正門とせり。

「蝦蟇蚯蚓」「乾屎橛」「麻三斤」「庭前の柏樹子」「即心即仏」「非心非仏」

山僧叢林を歴ること多からず。ただ是れ等閑(なおざり)に天童先師に見えて、当下に眼横鼻直なることを認得して人に瞞ぜられず。すなわち空手還郷す。ゆえに一毫も仏法無し。任運に且く時を延ぶ。朝朝、日は東より出で、夜夜、月は西に沈む。雲収て山骨露れ、雨過ぎて四山低し。(永平広録・卍山本)

上堂に、云く。山僧、是、叢林を歴ること多からず。只、是、等閑に先師天童に見えしのみなり。然れども、天童に瞞ぜられず、天童還って、山僧に瞞ぜらる。近来、空手にして郷に還る。所以に山僧、無仏法なり。任運に、且く延時す。朝朝の日、東に出でて、夜夜の月、西に落つ。雲、収まって山谷静かなり、雨、過ぎて四山低り。三年には必ず一閏、鶏は五更に向って啼く、と。(永平公録・祖山本)

三位一体論    父(創造主)・聖霊       ・子(救済主であるイエス)
仏身論(三身説) 法身(仏性)・報身(仏性の働き)・応身(色身・現実の身体)

五月晴れの放参、2018年5月21日

本堂回り、2018年5月18日

本堂回り、2018年5月11日

典座リトリートの講義、田植えと最後のキャンプファイヤー、2018年5月1~6日

正法眼蔵・行持の話、2018年4月30日

しづかにおもふべし、正法よに流布せざらんときは、身命を正法のために抛捨せんことをねがふともあふべからず。正法にあふ今日のわれらをねがふべし、正法にあうて身命をすてざるわれらを慚愧せん。はづべくは、この道理をはづべきなり。しかあれば、祖師の大恩を報謝せんことは、一日の行持なり。自己の身命をかへりみることなかれ。禽獸よりもおろかなる恩愛、をしんですてざることなかれ。たとひ愛惜すとも、長年のともなるべからず。あくたのごとくなる家門、たのみてとどまることなかれ。たとひとどまるとも、つひの幽棲にあらず。むかし佛祖のかしこかりし、みな七寶千子をなげすて、玉殿朱樓をすみやかにすつ。涕唾のごとくみる、糞土のごとくみる。これらみな、古來の佛祖の古來の佛祖を報謝しきたれる知恩報恩の儀なり。病雀なほ恩をわすれず、三府の環よく報謝あり。窮龜なほ恩をわすれず、餘不の印よく報謝あり。かなしむべし、人面ながら畜類よりも愚劣ならんことは。

コンクリート・ミキサーと仏心、田んぼの代掻き、2018年4月27・28日

本堂回り、2018年4月26日

弁道話講義&本堂回り、2018年4月18日

資料:
辨道話
諸佛如來ともに妙法を單傳して、阿耨菩提を證するに、最上無爲の妙術あり。これただ、ほとけ佛にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。この三昧に遊化するに、端坐参禪を正門とせり。
この法は、人々の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、證せざるにはうることなし。はなてばてにみてり、一多のきはならんや。かたればくちにみつ、縦横きはまりなし。
諸佛のつねにこのなかに住持たる、各各の方面に知覺をのこさず。群生のとこしなへにこのなかに使用する、各各の知覺に方面あらはれず。
いまをしふる功夫辨道は、證上に萬法をあらしめ、出路に一如を行ずるなり。その超關脱落のとき、この節目にかかはらんや。
予、發心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらひき。
ちなみに建仁の全公をみる。あひしたがふ霜華、すみやかに九廻をへたり。いささか臨濟の家風をきく。全公は祖師西和尚の上足として、ひとり無上の佛法を正傳せり。あへて餘輩のならぶべきにあらず。
予、かさねて大宋國におもむき、知識を兩浙にとぶらひ、家風を五門にきく。つひに大白峰の淨禪師に參じて、一生參學の大事ここにをはりぬ。それよりのち大宋紹定にのはじめ、本鄕にかへりし。すなはち弘法救生をおもひとせり、なほ重擔をかたにおけるがごとし。しかあるに弘通のこころを放下せん、激揚のときをまつゆゑに。しばらく雲遊萍寄(うんゆうひょうき)して、まさに先哲の風をきこえんとす。
ただしおのづから名利にかかはらず、道念をさきとせん、眞實の參學あらんか。いたづらに邪師にまどはされ、みだりに正解をおほひ、むなしく自狂にゑふて、ひさしく迷鄕にしづまん。なにによりてか般若の正種を長じ得道の時をえん。貧道はいま雲遊萍寄をこととすれば、いづれの山川をかとぶらはん。これをあはれむゆゑに、まのあたり大宋國にして禪林の風規を見聞し、知識の玄旨を禀持(ぼんぢ)せしをしるしあつめて、參學閑道の人にのこして、佛家の正法をしらしめんとす。これ眞訣ならんかも。

学道用心集 第九 道(どう)に向って修行すべき事
右、学道の丈夫(じょうぶ)は、先(ま)づ須(すべか)らく道に向うの正と不正とを知るべきなり。夫(そ)れ、釋雄調御(しゃくゆうちょうご)、菩提樹下に坐して、明星を見ることを得て、忽然(こつねん)として頓に無上乗の道を悟る。其の悟る所の道は、声聞、縁覚等の能(よ)く及ぶ所に非ず。佛能く自から悟りて、佛、佛に傳へて、今に断絶せず。其の悟を得る者は、豈に佛に非ざらんや。

三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。

わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。―『ヨハネによる福音書』

この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。―中村一訳『ブッダ最後の旅』