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書評:「池上彰と考える、仏教って何ですか」「アップデートする仏教」「哲おじさんと学くん」、2015年1月22日

迷いは悟りの第一歩、2015年1月15日

迷いは悟りの第一歩

迷いは悟りの第一歩

私には二つの名前がある:「ネルケ・イエンス・オラフ・クリスティアン」と「ネルケ無方」。
前者はドイツ人である私の「クリスチャン・ネーム」。多くの欧米人と同様、私は幼い頃に洗礼を受けてクリスチャンになりました。一方、「無方」という僧名には「一切の方角に開かれている、とらわれのないありさま」という意味がある。二つの名前が象徴するように、私はキリスト教の国に生まれ、クリスチャンとして育ちましたが、現在は安泰寺の住職を務めています。
・・・「無常・無我」を悟る仏教と、神を愛し、隣人を愛せよというキリスト教・・・
『仏教よ、君にはまだ愛が足りないよ』、その声はひょっとして、私の内なる「クリスティアン」。そこには、「無方」も黙ってはいられない:『愛が足りないのは、あなたこそでしょう!』
他人事だと思っても、この本で展開されている私の内なる夫婦喧嘩に付き合って頂き、日本人の読者の宗教観を考えるきっかけとなれば、これほど嬉しいことはありません。

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万事休息、2014年12月14日

今年最後の「安泰寺たより」になります:

2015年1月出発予定の『迷いは悟りの第一歩』の「あとがき」より:

「今の私が考えている〝恋と愛の仏教″の表現――。
それは安泰寺の修行生活が、単なる浮世離れした「仙人ごっこ」ではなく、共生の小モデルとなることです。また同時に、それが日本と世界の交流に少しでも寄与すればと願っています。
いまさらいう必要もないと思いますが、私は日本のことが好きです。それは日本の豊かな自然が好きだとか、その四季が好きだというくらいのことではありません。ましてやお寿司とお酒が好きだ、という意味ではないし、漫画やアニメが好きだからに日本に来たわけではありません。私が日本に来た理由は、禅が好きだからです。それから日本人の心もとても好きです。
 私は今まであれこれ日本や日本人にたいして批判めいたことを書いているのも事実です。それは決して日本が嫌いだから書いているのではありません。嫌いであれば、もうとっく特にドイツに帰っていると思います。
日本仏教についても、同じことがいえます。日本の仏教が好きだからこそ、日本で仏教徒になったのです。今年で四六歳になりました。人生の半分、二十三年間を日本で過ごしています。坐禅と最初に出会ったのは十六歳の時ですから、その付き合いはもう三〇年ということになります。仏教と私はいわば、熟年夫婦のようなものです。
一方のキリスト教は、私にとって産みの母でもあり、初恋の相手のようなものでもあります。一度捨てたはずのキリスト教が再び恋しくなったのは、そのためかもしれません。キリスト教は恋と愛の宗教であり、そこには、「神の国を自分たちの手で作ろう」という〝夢″も感じるのです。
だからというわけではありませんが、最近の私が叫びたくなるときがあるのです。
 「仏教よ、君にはまだ愛が足りないよ」」
 それは私の内なる「クリスティアン」の声でしょう。そこには、「無方」なる私も黙ってはいられない。
「愛が足りないのは、あなたこそでしょう」
 この本はある意味、ネルケ・イエンス・オラフ・クリスティアンとネルケ無方の格闘のようなものです。最初は他人事だと思っても、私の内なる夫婦喧嘩にしばらくのあいだ付き合って頂ければ幸いです。読者にとっても、自らの宗教観を考えるきっかけとなれば、これほど嬉しいことはありません。
 この本を読んで、私の修行の実体験に興味を持ち始めた方がいれば、二〇一一年に発行されたデビュー作『迷える者の禅修行』をお勧めいたします。その中で書ききれなかった《論》は本書の内容です。信じてもらえないかもしれませんが、二時間で読めそうなこの一冊に、私は『迷える者…』の出版からずっと手をかけていたのです。難産を救ってくださったのが、デビュー作も可能にした新潮新書の体育系編集者、金寿煥の愛と力の入ったご鞭撻です。最後になりましたが、お念仏とともにひれ伏して御礼申し上げます。」

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迷いは悟りの第一歩: 日本人のための宗教論

安泰寺文集、2014年11月16日

今日は「読むだけ禅修行」の発売日、2014年9月19日

先日、ビデオで紹介しました新著「読むだけ禅修行」が発売されました。
JTの広告などで知られている寄藤文平にかわいらしいカバーをデザインしていただきました:

カンチョー

シャワーの下でカンチョー?

罰ゲーム

修行は罰ゲームではないよ

安泰寺に新しい畳が来た!そのほか英語で:「宿無し興道」の新しい英語訳と、禅僧の武装について、2014年9月16日

2014年10月8日に執り行う予定の 
五世沢木興道大和尚五〇回忌・六世内山興正大和尚一七回忌・八世宮浦信雄大和尚一三回忌
に備えて、30数年ぶりに畳を変えました。

英語です:

Article by Brad Warner: Monks and Laypeople, War and Peace

Link to new translation published by Simon & Schuster: Zen Teaching of Homeless Kodo

「読むだけ禅修行」の見本が届きました(1st&2nd トライ)、2014年9月12日

朝の撮影にいろいろなジャマが入っていたので、夕方にもういちど取り直しましたが、セカンド・トライも今一でした。

『お父ちゃんの字、下手すぎる!書き順も違うよ』と言われました・・・

自由

『自由』

喫茶去

ベルギーの激安ビール『KARLSQUELL』

ブライアン・ヴィクトリアに質問:『あなたは仏教徒ですか?』(英語)、2014年9月6日

禅と戦争、出家と家族、そして持戒と破壊については、「裸の坊様」のなかでも書きました。

hadakanobosama

裸の坊様

「国 家、集団、性欲、家族愛、隣人愛、私-すべてをつなぐのは禅の実践。キリスト教文化の中で育ち、違和感を感じ続けたドイツ人青年は、禅と出合い、日本で禅 僧となった。身体と頭、キリスト教と仏教、国家と個人、いくつもの境界を超えて、異文化を実感するなかで、一貫するのは禅的生き方。山奥の禅堂・安泰寺の 九代目の堂頭として、坐禅と自給自足に一生をかける――と、覚悟を決めたその対極に、最愛の妻、家族の幸せを考えるアンビバレントな現実がある。禅僧とし ての矜持から、集団に対しての責任、そして家庭――引き裂かれつつ、悩み尽きない禅僧の赤裸々な現在。」(本の帯より)

書評:zenken.aichi-gakuin.ac.jp/word/bookmark/17.htmlameblo.jp/nibbaana/entry-11284562957.html

AMAZONで注文: 裸の坊様

英語で知りたい人のために:

Original exchange between Muho and Brian can be read here:
Letter to a friend about Zen practice, family life, Japanese Buddhism and the war about Zen at war

New articles by Brian on the topic:
Zen Masters on the Battlefield (Part I)
The “Non-Self” as a Killer

Other articles by Muho on the topic of being a Buddhist monk and having a family, and the precepts:
Married monks?
The diameter of attachment
My idea of adult practice
A broken precept

Dogen’s “Shoji”:
Life and death

9月の第一摂心終了・書評『ハートメイカー』、2014年9月5日

台風11号、無事通過・ 本の紹介「プリニウス」「初めて読む聖書」・新しいエッセー「愛という名のバトルフィールド」をアップ、2014年8月11日