典座教訓の全文はこちら: antaiji.org/archives/jap/ten.shtml

今日のテキストの原文は:

 同年七月、山僧天童に掛錫(かしゃく)す。時に彼の典座來りて得相見して云く、「解夏了(かいげりょう)に典座を退き、郷に歸り去らんとす。適(たまた)ま兄弟(ひんでい)の老子が在りと説くを箇裏に聞く。如何ぞ來りて相見せざらんや」と。山僧喜踊(きゆう)感激して、佗を接して説話(せった)するの次で前日舶裏に在りし文字辨道の因縁を説き出す。
 典座云く、「文字を學ぶ者は、文字の故を知らんことを爲(ほっ)す。辨道を務る者は、辨道の故を肯(うけが)わんことを要す」と。
 山僧佗に問う、「如何にあらんか是れ文字」。座云く、「一二三四五」。
 又問う、「如何にあらんか是れ辨道」。座云く、「偏界會て藏さず」と。
 其の餘の説話(せった)、多般(たはん)有りと雖も、今緑せざる所なり。
 山僧聊(いささ)か文字を知り、辨道を了するは、及ち彼の典座の大恩なり。
 向來一段の事、先師全公に説似す。公甚だ隨喜するのみ。
 山僧後に雪竇の頌有り僧に示して「一字七字三五字。萬像窮め來るに據(よ)りどころ爲(あら)ず。夜深(ふ)け月白うして滄溟に下り、驪珠(りじゅ)を捜り得るは多許(そこばく)か有る」と云を看る。
 前年彼の典座の云ふ所と、今日雪竇の示す所と、自ら相ひ符合す。彌(いよいよ)知る彼の典座は是れ眞の道人なることを。
 然あれば則ち從來看る所の文字は、是れ一二三四五なり。今日看る所の文字も、亦た六七八九十なり。
 後來の兄弟(ひんでい)、這頭從り那頭を看了し、那頭從り這頭を看了す。恁(かくのごとき)功夫を作さば、便ち文字上の一味禪を了得し去らん。
 若し是の如くならずんば、諸方の五味禪の毒を被りて、僧食を排辨するに、未だ好手たることを得(う)べからざらん。
 誠に夫れ當職は先聞現證(せんもんげんしょう)。眼に在り耳に在り。文字有り道理有り。正的(しょうてき)と謂つべきか。
 縱(すで)に粥飯頭の名を忝(かたじけの)うせば、心術も亦た之に同ずべきなり。

ネットでも、典座教訓の英訳がご覧になれます。奥村正博老師とは別バージョンです:
Instructions for the Cook (Stanford translation)
INSTRUCTIONS FOR THE TENZO (translated by Anzan Hoshin & Yasuda Joshu)