薄弱ライフ

拓摩

私がまず何の道から始めたかというと「剣道」である。なんだか意志が弱く、どこか「薄弱」なイメージがあった私は小学三年生で近所の剣道部に放り込まれた。泣きながら六年生まで通いつめて何ができるようになったかというと、全く何もない。試合に出されて確実に「勝った」経験は、たとえあったとしても記憶にない。ゆえに、あまり人に話したくない恥ずかしい過去だが。

それと同時に五年生でやはり近所の英会話教室にも放り込まれた。オーストラリアから来た先生が圧倒的に多い長屋教室で、「私は喉が渇いた」から始まっていくつかの定型文をのんびりドリルする授業。先生も含めて田舎町の近所にもいろんな奴がいるなぁ、と感心したのを覚えている。モデルガンを通行人に向けて面白がるようなのとおさらばし、いつしか上を向いて歩くようになった気がする。

それでも大学はまた田舎町。まだ薄弱なイメージがあったので合気道を始めた。始めてみて分かったのは、自分はやっぱり向いていないことと、向いていないことにはアレルギー反応を起こすことだった。並み居る武闘派の先輩たちもそれを察知し、「お前そんなだと誰も相手にしなくなるぞ」と言われたが初めは何のことか分からず、分かった頃には全く順応できなくなっており、黒帯ゲットと同時に退部。こう書くと全く悲惨だが、ここで知り合ったM氏がアジア大陸に単身バイクで渡り、また学部でも知り合いの女の子がインドに行って帰ってくるなど、その後の私の方向性を決定することになる。

この間、まぁずっと薄弱だった。友達はいても折り合いがつかず、研究室にネット回線付きのパソコンが導入されるとずっとそこに詰め続け、朝方に学部生が登校してくる頃に帰宅。酒癖。むしろ輪をかけて薄弱になっていく。無理をして卒業論文を百ページ書くともう何の目的も見えなくなり、なおざりに就職すると、「自分は何なんだろう」というより他人に「お前は何なんだ」と言われるまま、薄弱が続いた。

そして目論見通りインドに行ってしまい、失敗してなんとか帰り、薄弱ヒゲ男だった私は全く「その埋め合わせ」で安泰寺にやってきた。ここなら「お前は何なんだ」と言うやつもいない。雪が積もると全く一人になり、どこか爽快だった。結局、仏道に入ってギリギリまで骨休めをしたのではないか。その後は借金だるまになったり、去年の今頃は断酒病棟のお世話になったりして今に至る。

断酒病棟も酒狂の人を「変える」ための施設なので、どこかしら禅寺のような趣があった。早起き、粗食、朝の集会、午前と午後に断酒講座、早くに就寝。「ここでなんとかならないと、もう一生このままだ」くらいの殊勝な思いで百日ほど頑張ったが、やはり暗い思い出だけが残ってあまり変わったとは言えない。「薄弱」なのか、「頑固」なのか、実は飛躍的に成長しているのか全く分からないが、とりあえず今年も越冬せねばなるまい。廻り巡って、投げ出すことなかれ。