大人の修行

一至


子供の頃は1分、1日、1年と時の流れる感覚が非常に遅いと感じられると言われる。それは日々常に新しい経験をしていき、その一つ一つを理解していく時間が必要だからだとされている。

そして年齢を重ねるにつれ、新しい経験よりも日々同じ事を繰り返す事の方が多くなり、ただそれをこなしていくだけで、あっという間に1日が終わる。私が安泰寺に来て1年が過ぎました。坐禅、作務、坐禅、作務、坐禅、作務の繰り返しの生活。当然のようにあっという間に1年が過ぎてしまいました。

何を得て何を手放したか、そのような事を考える間もない、時の流れのあまりの早さに振り落とされないように付いていくだけで精一杯だった1年。目紛しいばかりの日常の中で何かを形作ろうと積み上げていくのだけれど、一瞬の気の緩みで全て壊れてしまい、時間だけが通り過ぎる。例えるなら応量器の使い方一つにとってしても、毎日同じ事をしているはずなのに、ボケっとしていたり、考え事をしていると、音を立てたり、汁を溢したりもする。どの瞬間も時間を遡ってやり直す事が出来ない。

人生80年だとすればもうすぐ私は人生の折り返し地点に差し掛かる。この歳で安泰寺に身を投げ入れた事に間違いはなかったと思っています。先日、堂頭さんが「ここでの時間は本来輝いていないと勿体無い」」と仰っておられたように、1日、1日が大変貴重な時間だという事も理解しているし、鐘が鳴ると同時に反射的に眠りに落ちているようではいけないという事も重々承知しています。この1年、時に時間に振り落とされたり、しがみつくのがやっとでしたが、次の1年は矢のように過ぎ去る時としっかりと向き合う事の出来るようにしていきたいです。まずは苦手なコーヒーをたっぷりと口に含んで、輝く時間を少しでも増やせるように日々精進していこうと思います。

越智 一至