宗賢

あなたにとって安泰時とは何ですか。なぜ安泰寺にいるのですか。こう問われたら、どう答えればよいのでしょうか。
私は、2023年4月、安泰寺に上山しました。それ以前は、臨済宗の僧堂で、ほぼ2年間、お世話になっていました。その僧堂は、指導される老大師も素晴らしく、修行僧たちもよい人たちでした。そんな僧堂を出て、安泰寺に来たことは、確かに、わがままな振る舞いかもしれません。安泰寺に来た理由としては、自分には臨済宗の公案修行は合っていないのではないか、とか、臨済宗とは違う仏教を体験したい、という逃げるような消極的な気持ちもあったことは否定できません。しかし、積極的な理由としては、お世話になっていた、その僧堂で、藤田一照老師の講義を受けることができたことが大きいと思います。
その僧堂では、藤田老師の他にも、宗教者であるなしに関係なく、魅力的な講師の方々の講義を受けることができました。そのなかでも、藤田老師は、とても七十歳近いお歳であるとは思えず、いきいきした表情や動きをされていることに驚きました。そして、修行は愉しくなければならない、といったお話を伺ったことが心に残りました。そんなことから安泰寺に関心を持ち、藤田老師の真似を、少しでも、してみたいと希望するようになりました。
安泰寺に受け入れて頂いて、現在、半年ほど経ちました。そこで感じたことは、やはり理想と現実の違いです。安泰寺に居れば、それだけで、私が藤田老師のようになれるわけではありません。作務では全力を尽くしますが、体力がついて行けなかったり、人間関係への苦手意識があるので、意志疎通ができず、困難な状況に陥ったりもしました。また、ほぼ日本語しか話せないので、英語でのコミュニケーションに苦手意識を持ってしまうこともあります。その他にも、いろいろ問題だらけです。
しかし、私にとっての安泰寺とは、生きる為の仏教を身につける場所であると感じています。坐禅をして、掃除をして、田畑の仕事をして、本を読み、勉強をして、ご飯を作る。さらには、ピザを作ったり、時々、猟師さんから頂く鹿を解体して鹿肉を取ったりもします。生きる為に何が必要か。何ができるのか。これらを考え、試行錯誤する場所です。「私」とは何か。そして、「他者」とは何か。内山興正老師の言われる「人生科」という教科を学ぶ学校であると感じています。
私は、禅というものを、よくは分かっていませんが、この「私」、「自己」というものに注目して、考え始めていく立場が好きです。内山老師の本を少しずつ読み始めて、この「自己」ということから宗教を考えていく見方を、さらに学びたいと思うようになりました。「私」や「私の人生」の答えが見つかった訳ではありません。しかし、内山老師の本から、どちらへ向かって行ったらよいのか、という方向性は見つかったように感じています。内山老師の言われる「人生科」という教科を学ぶ学生になりたかったのだと改めて感じました。
興禅大燈国師遺誡に「専一に己事を究明する底は老僧と日々相見報恩底の人なり」とあります。「己事」、すなわち「自己」を究明することがどうして「報恩」になるのか。誰の何の恩に報いることなのか。考えていきたいと思います。私にとって安泰寺は、「人生科」を学ぶ為の、試行錯誤できる学校です。いつまで学生をやっているんだ、と叱られるかもしれません。しかし、「人生科」を学ぶことは、面倒ですが、楽しいと感じています。坐禅だけでも、作務だけでも、勉強だけでもなく、それらが全て揃っていなければ、ならないと思います。そして、私が仏教に求めていた方向性である「生きる為の仏教」を修行できることを嬉しく思っています。ただし、いわゆる「葬式仏教」も、大切であると今では感じています。それは、亡くなった方の為のものであると共に、残された、生きていく方の為のものであることを、お世話になった臨済宗の僧堂で学んだからです。その点は、強調しておきたいと思います。
安泰寺の堂頭様や他の修行者の方々が、とりあえず、私を安泰寺に置いておいて下さることで、「人生科」を学ぶ学生でいられるのだと思います。ありがとうございます。