大人の修行

雪隠

yoga


早いもので今年も文集の季節です。文集の時期になると今年も暮れが近づいていることを感じます。安泰寺に来て2年が経ちました。ここでの生活にもおかげさまで徐々に慣れてきました。

さて今年の文集のテーマは「大人の修行」についてです。大人は八大人覚に記述がありますが、小人に対する概念です。そこには小欲、知足からはじまり不戯論までいろいろ述べられていますがそれとは別に、ここでは私の考える大人の修行についてここでは書きたいと思います。大人の修行には2つのことが大切だと思います。一つには自分自身が修行をしっかりしていくことともう一つは修行をする環境を自分が作っていくということです。

まず、大人の修行に大切な一つ目のポイントは修行をしっかりしていくことです。当たり前のようですが、忠実に修行を実践することは容易ではありません。安泰寺の差定には如常と摂心、放参の日がありますが、放参の日を除いて暁天坐禅で一日が始まり、夜坐で一日が終わっていきます。なかなか坐禅でさえもしっかりと行じることは難しいのです。普勧坐禅儀の中で「昏散先づ撲落することを」とありますが坐禅をしていると沈昏、すなわち気が沈んでしまって眠気に襲われたり、ぼーっとしてしまうことがあります。またある時には坐禅をしていると考え事をしていたりして気が散乱してしまうことがあります。本来の坐禅の状態はその昏散の両極端を離れたものですが、私の坐禅の状態はまだまだ昏散の状態に陥ることが多いです。一日の始まりの坐禅の様子がその様では、食事や作務などの一日の他の行事においても修行を忠実に実践することが難しいことは言うまでもありません。それでは修行をしっかりしていくにはどうすれば良いのでしょうか。修行の中心は坐禅ですが坐禅に特効薬はなく、どれだけ時間がかかっても正直に愚直に工夫を相続していくしかないと思います。

続いて大人の修行に大切なもう一つのポイントは修行をする環境を自分自身で作っていくことです。私たちは安泰寺という叢林で生活をしています。安泰寺はもちろん堂頭さまが中心となって形作られていますが、どれだけ堂頭さまに頑張って頂いても叢林にはなりません。参禅者は自らが修行していると同時に自らの修行する場を自分自身で作らなければなりません。全ての参禅者はすでにある叢林で修行しているのではなく、安泰寺に来た初日から叢林を自ら作らなければならないのです。私たちが思いきり坐禅が相続できるのも典座や直堂は言うまでもなく、周りの多くの人の助けと支援があってこそです。その環境に感謝すると同時に自分が修行する場を主体的に作ることなしに私たちの修行の相続は不可能です。修行の質は叢林の環境に大きく左右されます。その意味で修行する場を自分自身で作っていくことは大切です。

大人の修行に必要な二つのポイントはコインの裏表のように思います。自分自身が忠実に修行することは叢林の場を作ることに貢献しますし、主体的に叢林を作ることは自分自身が修行するための助けとなります。以上のことをおさえて修行に精進いたします。