私が安泰寺に期待すること

無方

Muho


 その昔、安泰寺には「きみょう係」という係がありました。何のことはない、「帰命」というパッとしない安泰寺便りの責任者でした。毎月、寺の雲水に原稿を依頼したり(テーマは「日常の中のさやかな気づき」や「田畑からの実況」といったものから、「坐禅とは何か」という気合の入った原稿まで)、短期参禅者に感想文を書かせて編集しなければなりませんでした。堂頭にも決まって原稿用紙一枚半ほど書いてもらい、修行者の文書とB5の紙二枚に印刷し、浜坂駅の待合室や駅前の喫茶店「岬」、諸寄のユースホテルなどに配りました。インターネットの時代に入ってからもしばらくこの係は存在し、"Shit paper" という少しニュアンスの違う英語バージョンも発足しました。日本語版「帰命」はその後「火中の蓮」に改名され、ネット配信だけになりましたが、いつの間にかネタ切れのため書かなくなってしまいました。毎年の終わりに発行する「安泰寺文集」だけが、練った配信の形で今も続いています。

 さて、14年前の5月の「帰命」にはまだ「無方名義」でこんな原稿を載せていました(このHPのアーカイブに残っていますが、ブラウザーによって文字化けします。エッジで観覧することをお勧めいたします:https://antaiji.org/archives/kimyou/2002/0205.html):

 『初めて安泰寺に上がって、師匠にあったのは12年前、台風19号で参道が流されていたあとだった。久斗山に「独坐」しているこの場所にすぐ魅せられた。そして、来たばかりの私が堂頭さんに最初に言われたのは(みながそう言われるように)「安泰寺をお前が創らなければならない」という一言。安泰寺は他人が創ったものではない。自分が創ったものである。そして、絶えず創りなおさなければならないものである。昨日、自分が創った安泰寺は今日問いなおして、ぶっ壊して、新しく創りなおさなければならない。(無論、この「問いなおす」「ぶっ壊す」という作業も型にはまった真似事にはなれやすいので、「問う」こと自体もまた問い、「壊す」作業自体を壊さなければならない。)

 私は何をしに安泰寺に来たのか。そして今なんでまだここにいるのか。何が私にこんな生活を送らせているのか。他の選択筋はいくらでもあったはず。しかし、私をここまで導いてくれたのは坐禅であり、これからも私は坐禅のために生きていこうと思う。

 坐禅の場所を私が創る。そしてここに坐禅している皆も、それぞれの場所を創らなければならない。昨日の安泰寺はもうない。明日の安泰寺は、明日に任せればよい。今日、私たちがどんな安泰寺を創れるのか。私は安泰寺を創り、問い、壊し、創りなおす。安泰寺によって私は創られ、問われ、壊され、創りなおされる』

 その後、「大人の修行」というキャッチフレーズが安泰寺の山内で流行らされるようになりましたが、ここがその元ネタです。私が初めて「堂頭名義」で「帰命」に登場したのは、次の 6月号でした:

 『私が安泰寺の堂頭の役を引き受けた理由はただひとつ。去年、安泰寺を後にし、大阪の公園で坐禅会を開こうと決めた。師匠と別れるときに言われたのは「ワシが死んだら(他の弟子と同じく)安泰寺を心配しなければならない」。そして付け加えたのは「アヤツリ人形にはなるなよ」。これからホームレスになろうと思っていた私を誰が操ろうとするのだろうか、また師匠が死ぬのも何十年先の話ではないか、とも思ったが、師匠が2月に突然亡くなったとき、安泰寺の後を継ぎたいという人は一人もいなかった。私もとてもそんな力はないと思ったが、せっかくのこの坐禅道場をつぶすわけにもいかず、私の名前があがったとき、引き受けてしまった。穴があれば入りたい自分だが、この責任を引き受けた以上、自分で歩み、他の力を借りるわけにも行かない。アヤツリ人形になりたくてもなれない。自分が自分を自分するしか道がない。

 私が戸惑ったもう一つの理由がある。大阪に半年間住んでいたあいだに、いまの妻と出会い、一緒に坐禅をし、一緒に生活するようになった。これから結婚と二人の将来を夢見たそのとき、師匠の急死の連絡があった。私は安泰寺に戻らなければならない。しかし妻は大阪に家があり、仕事があり、友達もたくさんある。このまま別れるか。そうなればそれで致し方ない。幸い、私の住職としての任命が決まったとき、彼女が妻になって、大阪を後にし私についてきてくれた。今は一緒に坐禅し、一緒に摂心している。

 妻は私と一緒、大都会の出身。二人とも山に入って自給自足したいという気は微塵もなかった。妻にはそれよりイギリスに留学して歴史を学びたいという夢があった。しかし、二人の夢をもっと大きな夢と交換した。安泰寺でもう一度、坐るのだ。後を継ぐ弟子が育つまで、さあ、15年か。先のことは何も分からないが、一歩一歩、前進していく』

 この「さあ、15年か」から、すでに14年半が過ぎてしまいました。後継ぎが育たないのは、人材不足のためではありません。その責任はひとえに、その人を育てていないわたくしにあります。
 HPでは「期待するものが一つもあれば、必ず失望するであろう」と書いていながら、今年の文集のテーマではやや意地悪な問題提起をしました。
 あなたは、安泰寺に何を期待していますか?
 年齢を問わず、性別を問わず、誰にでもいつでも、開かれた場所であってほしい。短期でも長期でも、ほかに行く場所のない人に本当のふるさとであってほしい。足元が見えなくなってしまった現代人に、自給自足の生活を通して未来への道しるべになってほしい。もちろん、参加費は「ただ」のまま、お金のかからない修行体験を提供してほしい。
 そういった期待を持っている人々は世界に多いと思います。そういった期待に応えるべき、安泰寺では長年やってきましたが、4年前に「修業期間は最低3年、年齢は18歳から40まで、人とのコミュニケーションが取れること」という新しいの参禅条件を設けました。それによって、安泰寺で短期参禅したい人や、「山寺で第二の人生を!」という人をがっかりさせたことも事実でしょう。しかし、「私が安泰寺に期待すること」の中の「安泰寺」を例えば「彼女」と言葉に置き換えて考えてみてください。昼夜を問わず、必要なときにいつでも相手にしてほしいい。話を聞いてほしい時には、話を聞いてくれる彼女。肉体関係を持ちたいときには、それも許してくれる彼女。もちろん、「ただ」で! やさしくて、美人で、教養があって、手料理は美味しくて、天使のような彼女。「たまにはフランス料理も食べてみたい」なんて、ぜいたくな注文など言わない彼女。ましてや、「誠心誠意」だなんて、そんなうざいことをいう彼女は要らない! 
 ところが、当たり前ですが、そんな都合のいい女はどこにもいませんよ。

 私が安泰寺に期待すること

 それは同時に、

 安泰寺が私に期待すること

 という問題提起でもあります。そうでなければ、それこそ「必ず失望するであろう」で終わってしまいます。

 各々が安泰寺に期待することより、

 安泰寺で、このわたくしに、今、何が期待されているのか? 

 安泰寺で修行している各々が今年も真剣にこの問いと向き合っています。彼らに期待をかけ、期待をかけられ、切磋琢磨して参りたいと思います。