京都の托鉢について。
今回私は安泰寺の行事で托鉢行脚に11月21日から25日迄の日程で京都に行ってきたのだ。11月21日の朝に安泰寺を出て京阪三条駅に着いたのは昼過ぎだった。私達は早速、駅の構内のトイレで衣に着替えてから近くの三条大橋の上で明玄さんに説明を受けて托鉢をスタートさせた。
最初のうちは『お経を間違えて読んでしまったらどうしよう!』とか『偽坊主だと思われないかな!』とか不安がよぎって中々集中出来なかったけどすぐに『偽坊主と思われたって、ちょっと位お経を間違えたって関係ないや!』と開き直って慣れてしまった。元々東京で産まれ育った私は東京にはあまり仏教に対する文化が無いのか?それとも私のまわりだけなのか?托鉢しているお坊さんは大体が怪し人で偽物だとばかり思っていてお金を入れた事もないしそもそも興味が全くなかったのである。だから最初はお金なんか入るのかなぁと半信半疑な気持ちでいた。
しかし数分も経たないうちに100円玉や500玉が次々に入ってきた時にはビックリしたし
感動してしまった。そして京都にはしっかりと仏教の文化が根付いているんだなぁと感心させられてしまった。今までとは違う托鉢という自分自身や僧伽、修行者などお寺とは関係ない人々を対象にする修行に大変な新鮮さと感動そしてやりがいを感じ初日が終わった。初日は3時間程度の托鉢であったのだが
初めての京都、初めての修行体験、久しぶりの街と言う事も手伝ったのか片道6時間という長旅で疲れているにもかかわらず興奮がさめきらず夜中の3時頃迄ねむれないでいた。
そして2日目の托鉢は私は銀閣寺に行く事になっていた。安泰寺からは明玄さん、ボクダンさん、クレモンさん、私と四人で来ており毎日托鉢をする場所を皆んなで相談して決めそれぞれが日替わりで色々な場所に立つ事になっていた。明玄さん以外の人は托鉢が初めてだったので色々な場所で托鉢を行い経験を積むという明玄さんの配慮もあったのである。銀閣寺までは四条河原駅の近くの木屋町のゲストハウスから片道約1時間歩く事にした。
初めての京都だったし京都の街並みや雰囲気そして地理を確かめながら歩きたかったのである。
ゲストハウスから東北方面に携帯ナビを使いながら、平安寺、南禅寺、永観堂から哲学の道を通って銀閣寺迄向かった。
歩いていて目に留まり感じたのは流れる鴨川や紅葉している木々や山々の美しさ、寺院や街並みの歴史、そしてすれ違う人々からは会釈やお辞儀をされる。衣を着て地下足袋をはき網代笠を持って早足で歩く、私は観光者では無く修行者として京都に来ておりその姿は芸妓さんなどと同様で人々の目からは京都の一部に映っているのだろうなぁと感じさせられたのである。
そう思うと自然と背筋がシャンとして下っ腹に力が入った。
哲学の道の終着地点の所が銀閣寺の参道とバス停から銀閣寺の参道に入る一般道とのY路地の様な形になっており、先ずは参道を銀閣寺の入り口迄歩き托鉢を行う場所に最適な場所はないかと一通り物色してから結局1番最初の地点のY路地の所から銀閣寺の参道にちょっと入る所に凄く小さな橋が有りその橋の袂で托鉢を初めた。9時頃からスタートして徐々に人が増え始めて10時過ぎにはかなりの人出になっていた。11月の三連休の中日とあってかなりの人出で紅葉の季節も相まって老若男女問わず賑わっていた。私は怯む事なく腹の底から一生懸命に般若心経を唱え続けた。やはり初日以上に100円、500円、時には1000円札迄!どんどん入った。最初は高齢の方々だけなのかと思ったら若いカップルや親御さんにお金を貰った保育園位の子から小中学生位の子までお布施をくれた。
そして皆、口々に『ご苦労様』『ありがとう』『頑張ってね』『少なくてごめんね』と様々な温かい声をかけてくださり有り難そうに手を合わせてお辞儀迄してくれるのであった。私はこれはタダごとじゃないとショックを受け初めてしまった。何故ならまだ私は仏教の修行を初めて1年足らず、安泰寺では毎日の様に怒られ、怒られた事に腹を立てたり些細な事で反発している未熟者、唯そんな普段と変わらない凡夫の私が衣を着て京都と言うロケーションで托鉢をしている、中身は何も変わっていない私に人々は手を合わせてお金を入れてくれる、オマケに皆んな『ありがとう!』などと温かい言葉をかけてくださるのである。これはとんでもない事が起きていると感じ益々魂を込めて般若心経を唱えたのである。しかしながら托鉢と言うものも中々大変なもので最初はいいが時間が経つにつれて唯、立って般若心経を唱えているだけでも腰はパンパンに張ってくるし足は寒さから感覚が無くなってくるし、色々な所が痛くなってくるのである。しかし人々の温かい言葉に助けられて一生懸命に頑張ったのだ。
そして午後3時過ぎた頃、スタートから6時間が過ぎた所で今日はそろそろ托鉢を引き上げて帰ろうと、カバンにお金を入れてもらう木のボウルをしまっている時ふと目線を感じ顔を上げると10メートル位先の方にいる家族が目に留まった。何やらお母さんと小学校3、4年生位の少年から、『終わっちゃったのかぁ』と言う様な残念そうな雰囲気が伝わってきたのだ。
私は再度カバンからボウルを取り出し般若心経を唱え始めた。そうすると男の子は嬉しそうにお母さんにお金を貰いお母さんも嬉しそうに行っておいでと背中を押していた。
そして私の前に立ち何とも言えないキラキラした純粋な目で私の目を見つめて私の持つボウルの中に百円玉を入れてくれたのであった。
そして私が
財宝二施(ざいほうにせ)
功徳無量(くどくむりょう)
檀波羅密(だんばらみつ)
具足円満(ぐそくえんまん)
乃之法界(ないしほっかい)
平等利益(びょうどうりやく)
と頭を下げてお経を唱えるとその少年は腰を90度に曲げて深々とお辞儀をしてくれたのである。その姿、雰囲気、正に嘘偽りの無い真実のありのままの姿を見た様な気がした。言葉では言い表せない何か凄いものを見た様な気持ちになったその瞬間に雷に打たれた様な衝撃を受け思わずその場で目頭が熱くなり涙を流しそうになったのである
そしてその少年は私の前から嬉しそうに去って行った。私はボウルに残された忘れもしない令和2年の百円玉それを暫く眺めていたのだった。
それからその少年の事を今もずっと考えている。そしていくつかの思いや考えが浮かんできた。それはほぼ間違いないだろう。
その少年は私を見ていたのでは無いと言う事、私を介してお釈迦様の姿、声を聞いていたのだろうと。そしてその少年だけでは無く私の持っている木のボウルにお金を入れてくれた全ての人々が私の姿、格好にお釈迦様を見ていたに違いない。そう思うと私は唯、私の身体を使ってお釈迦様の言葉や声や姿などを人々に伝えていただけの存在でしかないんだと思えた。自分なんて入り込む余地などない様に思える。そんな大切な役目を担っているそう思うと正しく真実に生きて行かなければならないんだなと素直に思えた。そしてそれを表して行くべきなのだろうと思う。
そしてあの少年が逆に私にお釈迦様を見せてくれて教えてくれたのである。それは言い換えれば、あの少年がお釈迦様なのだ。
京都でその他に大小含めて様々なエピソードや出来事があった。しかし大分長い文になってしまったのでここら辺で今回は辞めたいと思う。唯、一つ言える事は今回の托鉢は私にとって大きな気付きと将来の自分のあり方の一片が見えた様な気がする。それは一筋の光にも思える。しかしそう思った所でここからの毎日の自分自身の一瞬一瞬の生活態度が問われてくるし、ここからがまた日々の修行が始まる訳だ。また道に迷ったり道からそれてしまったらあの少年を思い出す事にしようと思っている。あの目を、あの誠実さを。

今回の托鉢に向けて御袈裟や計画を用意してくれた堂頭さんや現地で指導してくれた明玄さん、一緒に托鉢をしてくれたクレモンさんボクダンさん、安泰寺に残って留守番をしてくれた光君。
そしてこんな私にお釈迦様を見てお布施をしてくれた全ての人、そしてあの少年との出会いに感謝しかありません。ありがとうございます。

高橋 広忠

合掌