安泰寺文集2013
恵光
安泰寺まで
1967年12月8日、菓子卸売りを生業としていた両親のもとに第2子として生まれた。
幼少期は小児喘息に悩まされたみたいだが、本人は全く覚えていないくらい健康に育ったと思う。学童期は引っ込み思案で過ごし、思春期には子どもの成長のお約束どおり思春期の嵐が吹き荒れつつも、並外れずに育ってこれた。そして不純な動機から看護師の道を選びそこから一念発起、助産師という道に進んでいった。
助産師・看護師として働いていくうちに、なぜかこころの奥底に「得体の知れない物足りなさ」を感じていた。しかし日々の忙しさの中に流されていた。しかし募りに募った思いはとうとう職を辞するという方向へと向かった。そうして仕事を辞めて早5年の歳月が経った。
その「得体の知れない物足りなさ」はいったい何なのかは自分でもはっきりせず、当時「人、本来の暮らし方、生き方は農的生活、自分で米・野菜をつくりいのちをつないでいくことではないか」と感じていたところで、農業など全く経験のない私は農的生活を模索しようと、有機農家さんでお手伝いをするウーフというシステムを利用して国内を旅した。
とても楽しくてやりがいがあったが、それだけではこの「得体の知れない物足りなさ」に近づく気配がなく、何をどうしたらよいのか模索していたとき、徒歩でお遍路をしてみようと突然に思いついた。しかしそうは思いついたものの、歩いて1200キロも旅をするなんて、それまでの私には想像もつかなかった。でも私には「断念」という選択肢は全くなかった。
冬の最中、43日で88ヶ寺を歩き終えた感想は楽しい旅行でしかなかった。もちろん、ひたすら歩くのも決して楽ではない。様々な出来事があった。1日10~30キロ、時には40キロ近く歩くこともあった。足の痛みで明日は絶対歩くことはできないのではないか、という心境になったりもしたが翌朝には何事も無かったように歩き出せるという体験をした。また多くの知らない人々との交流や人の温かな優しさにふれたりと、ぼんやりながらも、広い世界の中で支えられ、生かされているという感覚を実感したりもした。人生の中でも大きな経験になった。しかしそこから決定的なものは生まれず、実家での居候生活にやや焦りを感じていた。そんな折、偶然に安泰寺を知った。「自給自足で檀家を持たない禅寺」というフレーズに「これだ!!」という感触だった。私の中では「檀家を持たない」イコール「お金に媚びない」これは真実に近づけるのではないかという期待があった。
安泰寺での3年間
安泰寺に来て、どんなにキビシイのかとドキドキしていたが、たくさんのバッグパッカーごときのような人々でいっぱいだった。放参ごとに浜坂に行き楽しんだり、お酒を飲みおしゃべりをし、まるでそれまでやっていたウーフの旅の延長のようだった。坐禅も生活もキビシイルールはなく、「タダスワル」と言われ、ただ座るだけなら私にもできるなどと安易に考え、3週間の滞在予定を延ばしていったのが始めである。
それまで寺どころか仏教の「ブ」の字も知らなかった私はこんな安易なツーリスト気分で過ごしていた。しかしそんな中でも以前からの「得体の知れない物足りなさ」の塊のようなものは頑なに消え去ろうとはしていなかった。
一般的な生活をしているときはいつも化粧をして、制服を着て鎧のようなものをいつも纏っていた。さらには私をステキに魅せるためにも惜しみなかった。髪をおしゃれにカットしたり、染めたり、洋服だって今年の流行は何、私に合うスタイル・色は?この洋服に見栄えのよい体型にならなくてはとダイエットしたり、脚やせなどなど、人からよく見られるであろうことにお金をつぎ込んできていたが、それにしても相変わらず3日坊主のダイエットであったり、癖毛のところで決まってヘアスタイルは目当てどおりにいかない。がんばってがんばってもこの短くて太い脚がそう簡単に変化しようもなく・・・一向にステキにはなれず、いくらお金をかけても私はずっと醜い私のままだった。そんなことにうんざりしていたのかもしれないし、何の意味があるのだろうと思っていたのかもしれない。
安泰寺に来てからも、ふと気付くと鏡に映る自分の身形を気にしている。鏡にうつる自分を観て、そんな取り繕うというか、駆け引きというか、小細工じみた根性をしている自分に無性に嫌悪を感じた。
「そんなに気になるならこの髪の毛なくしてしまえ~~」と思った。しかしイザ切るとなると躊躇してしまう。ルームメイトだったスペインの子に、バリカンを持って恐る恐る「お願い」と言ったとき、彼女は「あ~~ 似合うかもね」と全くもってあっさりと、何事もなかったかのようにサラッと言ってのけ、私の髪の毛をバリカンでジ~ジ~と刈り上げていった。それまで自分で作っていた囲いのようなものがはずれて、なんだか安心したという記憶がある。私はそれ以来、坊主頭である。
これでなんだかスッキリして、気になるものは何も無くなったかのようだった。事実そのとおり、私は人目を気にすることなく作務でも何でも我を忘れてガツガツできるようになった。
しかしいくら丸坊主にしても所詮、髪の毛は伸びてくるのと同じように、そう簡単に人は変われるものではない。
にぎやかだった初秋から晩秋に移り変わり、雪に閉ざされる冬に入って周りが静かになるにつれて、私のこころの中のにぎやかさがクローズアップされてきた。
私は学生の頃からよく友人に辛口、毒舌などと言われていた。その辛辣な思いは単なる思いから徐々に口外に発展していき、安泰寺で起こる日常的な場面、場面でその辛さは発揮されていった。実は、「得体の知れないもの足りなさ」の根源は私のこの習性によるものだと思っている。人も嫌うでしょうが、長い間自分自身のこころも同時に傷つけていたように思う。しかし毒を吐いては反省し、また毒を吐き反省し、とずっとその繰り返しで、自分自身がとても嫌で、嫌でどうしようもない、一向に抜け道のない迷路だったと振り返る。あまりにも慢性化して自分でも鈍感になっていたように思う。
安泰寺生活も楽しさ我武者羅にとにかくやっていればいいという時期を過ぎると、本当の自分自身の問題と向き合わざるを得ない状況が到来した。昨年夏頃から雲行きの怪しかった私のこころの中は、この春大きな大きな台風に見舞われていた。
何をやっても、何を言っても常に空回り。こころの中はまさに「思議粉飛すること其の野馬の如く、情念奔馳すること林猿におなじきなり」で悪魔に取り付かれたように、歩く凶器のような心境だった。また時にエクソシストを彷彿とさせる私がいた。なんで私はこんなに醜い、嫌な人間なんだ。と何度もこころの中で叫んでいた。こんな醜い私、すり潰して消えてしまえばいいとさえ思った。
人は善人になりたい、善人でありたいという欲求を持っていることに気がついた。良い人にならなければいけないのか?いくら良い人の装いをしても内側から湧き出てくる悪魔のようなこころを自分ではどうしようもない。まるで着飾っても、着飾っても決してもの足りることがないように・・・ 逆にそれを追い払おうとすればするほど泥沼にはまっていくようにさえ思える。
よく言われる、悟りを追いかけるようなものかもしれない。坐禅の時の沸き起こる思いを消してしまおうと思い躍起になってしまうのと同じことなのかもしれない、と気付いたとき、「悪人なら悪人でいいではないか。今生では悪人なんだから、悪人という人生を悪人になりきって生きてやろうではないか」とさえ思えた。
そんな自問自答のようなことを繰り返しながらもこの安泰寺を去ってしまおうとは思えなかった。ましてやこの世を去る実行力には繋がらなかった。逃げても同じことの繰り返しという理屈もあったが、なぜだかますます、ドッカリと腰を落ち着けなくてはという思いになっていった。多分そこには何らかの手ごたえのようなものを感じていたような気がする。
とにかく今は目の前の私の成すべきことをただこなしていればいい。誰かの評価ではなく、自分で評価せず、ただ目の前のことをそのまま受け取り、必要だと感じたことを淡々とこなしていくことに集中して日々過ごしていった。必要最低限の会話、事務的事項だけにしていた方が自分に集中できると周囲との距離をとっていた。
そんな悶々とした心境で過ごしていた折、「自己」という内山老師の著書を読むきっかけがあり、その中に腑に落ちるような、真綿に包まれるような感覚を受けた。その第1話に「宗教の慰め―坐禅人によるキリスト教の話」という項がある。以下私の感じ入った部分を抜粋する。
『「何から何まで神の働き」によって「自分は生かされているのである」と発見することが信ずるということ。
「神はすべてにおいて平等」このことは人間根性の私たちから見れば途方もないおおらかさ。このおらかさを仰ぎみるとき、何かそこにほのぼのとした寛しというか、和らぎというのか、安らいというか・・・そんなものを感じないでしょうか?
愛とは小さな我のカコイをとりはずすこと、自己放棄、自己否定なのであります。
ただひたすら、まっすぐに「自分自らのカコイをとりはずすこと」
信仰とは人間根性を自分とするのではなしに、聖霊をわが心、わが眼としてカコイなしの神の眼を自己とすること。この「自己の入れ換え」こそが信仰というものでなければならない。
私たちは、私というカコイを、自分の力で取り外すことはできない。人間として生まれた以上はこの「自分のカコイ」とともに生きていかなければならない。
「それにもかかわらず」神の恩寵で、「私というカコイのはずれた所にある自分」を発見せしめられ、神に働かれるかぎりにおいて、私は私というカコイを超えて働くことができます。
人間は人間として生まれただけでいかに罪深いかを自覚する必要がある。この罪相の真実の姿をわれわれにはっきりさせるものこそが法律、戒というもの。
自分中心の行動、罪とはまさしく「自分を区切りとる」ということ
罪とは「自分を区切りとって、自分中心にする」ということ
罪の反対は、「神から自分を区切りとらぬこと」、「自分中心でなく、神中心」すなわち「信仰」 信仰の反対は罪、罪の反対は信仰
何から何までの力に、私が生かされているということを発見することを「信」。しかし発見するのではなく「信仰」とは神からのものであり、祈りは神の呼び声に対する答え。「祈りとは神の前に静まること」信仰とは人間が神におちつくこと。絶対者、神の前にしずまる。私たちにおいては「ただ、しずまる」- 「坐禅をする」のです。すると、今の自分がわびしく味気ないなんて思うのは。結局「今の自分の人間根性」が、そう思っているのでしかないのだということがわかってきて、「人間根性以上のところで」なんともいえぬ安らかさと、生気を、とり戻してまいります。』
この本を読み、私は私でよいんだという穏やかなゆるしのような感覚があった。まさしく私にとって「ほのぼのとした寛しというか、和らぎというのか、安らいというか」と内山老師の表現がピッタリくるようだった。私が感じていた悪魔のようなこころとは、このカコイを鉄壁の如く守っているこころなのではないだろうか。そして「得体の知れない物足りなさ」とはこのような泥沼から這い出たいというこころのSOSだったのかもしれない。
私は今年5月、出家得度するに至った。どうしてそんな気になったかと聞かれれば、それらしい理由を並べることばはいろいろあるが、こうして振り返ってみると、ただこうなったとしかいえない。今はまだ大衣やお袈裟がまとわりつき、これまでの自由な服装に比べれば不自由さばかりを感じる。これも私の人間根性であることをしみじみ感じながら毎日坐っている。この窮屈さを感じなくなったとき、ひとつ広い世界に出たということなのかもしれな。
出家するということについていつも思うのは、住み慣れた温かく守られていた家から出ること、つまり大事に大事にしていたエゴを取り払うこと、自分の殻から出ること内山老師の表現でいえば、「自分のカコイ」を取り外すということではないかと思っている。
自分、自分、私、私、私がかわいいというカッコつきの私という殻から出て神、仏のようなとてつもない大らかさを学び実践していくことをこころに持って忘れないことが出家得度ということではないだろうかと思っている。
この神、仏のような「とてつもない大らかさ」を身近で感じることがある。それは安泰寺の家風を守り、お金があろうとなかろうと、うるさいことは言わず、使えない、トンチンカンな私たちでも、どんな人でもこの安泰寺で修行生活をさせてくれている師匠である。
このことを想う時、なぜだか自然に涙が溢れてくる。こうしてとても遠くにある「とてつもない大らかさ」を遥か彼方に探し求めるより、身近にある「とてつもない大らかさ」を感じとっていく感性を磨いていくことが大切ではないかと思う今日、この頃である。
こんなすったもんだの道が、私の生かされている道である。